体罰を用いた軍隊的な統率は人格を破壊するだけなんですね
じゃあ 何で懲役刑罰が更正になるんでしょうね
実際なんないから再犯率が50%近くまで膨れ上がっている
体罰や虐待などによって人格が破壊された人が大人になって犯罪を犯したら急に刑罰で更正することになっちゃうっていう話には合理性がないんですよ
テロの準備をしている奴がいたら、とりあえず身柄を確保してテロを実行させないようにするという措置には合理性があるんですけど
誰も被害者がいない段階で罰は合理性が全くない
そもそもテロなんていうのは 社会に対する合理性のない報復感情が根底にあるので
準備段階で罰なんぞ与えたら反って報復感情を煽るだけなんですよ
何でテロなんかやろうとするのか その原因を究明して治療方法を確立することの方が応用も効くわけです
合理性のある自律的な社会的責任判断選択をなぜしなくなるのか
その原因究明が出来れば あらゆる「人災」に対しての効果的再発防止策になる
軍隊式体罰教育というのは 絶対服従です
ですから東電社内において「津波の危険性を考慮に入れたら日本のどこにも原発など造れない」と言われれば短絡的に服従し 津波に対する脆弱性を放置して何も対策をしないようになる
JR福知山線脱線事故においても 体罰はなかったにせよ精神的な懲罰を用いた「教育」をしたことが事故の大きな要因となったことが 被害者遺族達による原因究明によって明らかになっている
軍隊では 個人が自律的に善し悪しを判断して行動することを許しません そうじゃなきゃ戦争なんていう暴走破壊なんぞ出来ないからです
そして服従というのは ヒトという種の生物に先天的行動習性であるために 服従は快楽として脳の古い領域に組み込まれている快楽でもあるのです
行動習性のままに行動選択をすることは 基本的に快楽です
快楽を感じるから その行動を採るようになる
「気分が良くなった」ことを短絡的に「自分の頭が良くなった」と錯覚する
なにせ「自分は頭が良くなった」と本気で信じているのですから 地下鉄に毒ガス撒くことにも疑いを持たなくなる
自分の行動に一切疑うことをしなくなる
バカになっている方が 脳は楽なんですね
今まで自分が信じてきたものに一切疑いを持たずに 事後正当化の言い訳言い逃れ取り繕いはぐらかしを続けていた方が気分的に安心で満足なんですよ
「もしかしたら 自分の今までの行動は間違っていたのかも知れない」なんて思いはじめたら 気分が悪くなるから拒絶するわけです
逃避と言い換えても構いません
戸塚ヨットスクールの校長は 懲役実刑を受けたにも関わらず 体罰を正当化し続けています
治ってないんですよ 刑罰ってそういうものなんです
合理性が全くない幻想なんですよ
戸塚校長も刑務所では「素直」に服従していたでしょう
その場限りには服従させることが出来るのが罰を用いた「教育」方法なのですが
これは個人の主体的な判断力を奪い 気分的に「怖くない」かどうかで行動が決定する短絡的人格を形成します
何せ当人が「怖いか、怖くないか」だけで行動が決定している短絡的なヒトですから
自律的に物事を選択判断する能力なんぞ誰にもないと思っているわけですね
「俺様ができねぇ事を 何でお前らが出来るんだ」ってね
だから体罰を用いて強制的に服従させる以外の方法は存在しないと思っている
戸塚校長の頭には 体罰で服従させる以外に何もないんですよ
何にもない
スッカラカン
だから条件反射的に体罰を用いた強制的服従だけを正当化する
他人の話には耳を貸さない
洗脳状態なんです
当人にとっては それだけが満足
中毒状態ってそういうものです
危険ドラッグの中毒患者と一緒
だから治らない
Ende;
じゃあ 何で懲役刑罰が更正になるんでしょうね
実際なんないから再犯率が50%近くまで膨れ上がっている
体罰や虐待などによって人格が破壊された人が大人になって犯罪を犯したら急に刑罰で更正することになっちゃうっていう話には合理性がないんですよ
テロの準備をしている奴がいたら、とりあえず身柄を確保してテロを実行させないようにするという措置には合理性があるんですけど
誰も被害者がいない段階で罰は合理性が全くない
そもそもテロなんていうのは 社会に対する合理性のない報復感情が根底にあるので
準備段階で罰なんぞ与えたら反って報復感情を煽るだけなんですよ
何でテロなんかやろうとするのか その原因を究明して治療方法を確立することの方が応用も効くわけです
合理性のある自律的な社会的責任判断選択をなぜしなくなるのか
その原因究明が出来れば あらゆる「人災」に対しての効果的再発防止策になる
軍隊式体罰教育というのは 絶対服従です
ですから東電社内において「津波の危険性を考慮に入れたら日本のどこにも原発など造れない」と言われれば短絡的に服従し 津波に対する脆弱性を放置して何も対策をしないようになる
JR福知山線脱線事故においても 体罰はなかったにせよ精神的な懲罰を用いた「教育」をしたことが事故の大きな要因となったことが 被害者遺族達による原因究明によって明らかになっている
軍隊では 個人が自律的に善し悪しを判断して行動することを許しません そうじゃなきゃ戦争なんていう暴走破壊なんぞ出来ないからです
そして服従というのは ヒトという種の生物に先天的行動習性であるために 服従は快楽として脳の古い領域に組み込まれている快楽でもあるのです
行動習性のままに行動選択をすることは 基本的に快楽です
快楽を感じるから その行動を採るようになる
「気分が良くなった」ことを短絡的に「自分の頭が良くなった」と錯覚する
なにせ「自分は頭が良くなった」と本気で信じているのですから 地下鉄に毒ガス撒くことにも疑いを持たなくなる
自分の行動に一切疑うことをしなくなる
バカになっている方が 脳は楽なんですね
今まで自分が信じてきたものに一切疑いを持たずに 事後正当化の言い訳言い逃れ取り繕いはぐらかしを続けていた方が気分的に安心で満足なんですよ
「もしかしたら 自分の今までの行動は間違っていたのかも知れない」なんて思いはじめたら 気分が悪くなるから拒絶するわけです
逃避と言い換えても構いません
戸塚ヨットスクールの校長は 懲役実刑を受けたにも関わらず 体罰を正当化し続けています
治ってないんですよ 刑罰ってそういうものなんです
合理性が全くない幻想なんですよ
戸塚校長も刑務所では「素直」に服従していたでしょう
その場限りには服従させることが出来るのが罰を用いた「教育」方法なのですが
これは個人の主体的な判断力を奪い 気分的に「怖くない」かどうかで行動が決定する短絡的人格を形成します
何せ当人が「怖いか、怖くないか」だけで行動が決定している短絡的なヒトですから
自律的に物事を選択判断する能力なんぞ誰にもないと思っているわけですね
「俺様ができねぇ事を 何でお前らが出来るんだ」ってね
だから体罰を用いて強制的に服従させる以外の方法は存在しないと思っている
戸塚校長の頭には 体罰で服従させる以外に何もないんですよ
何にもない
スッカラカン
だから条件反射的に体罰を用いた強制的服従だけを正当化する
他人の話には耳を貸さない
洗脳状態なんです
当人にとっては それだけが満足
中毒状態ってそういうものです
危険ドラッグの中毒患者と一緒
だから治らない
Ende;