「答えのない問題」というものは一種類ではない
単に気分的に悩ましいだけで 論理客観的には答えなんぞ出しようもない 「絶対に答えが出てこないことが立証可能な問題」というのもあれば
「まだ誰も何がなのかはおろか そもそも正解が存在するのかどうかもわからない問題」というものもある
正解にたどりつくために必要な情報や知見自体が不足している場合や 単に「まだ誰も論理客観的には考えてすらいない」場合もある
つまり「まだ答えが見つかっていない問題」の場合には 答えが見つかる可能性が残されているが
気分的に悩ましいだけの問題の場合には答え自体が存在してないのであり そもそもそんな問題自体が論理客観的には「命題」ですらないのである
「トロッコ問題」が倫理的に役に立たないのは 命題自体が主観的に悩ましいだけであって そもそも倫理的責任が介在する命題ではないからである
「死んだ人数」だけで物事を判断するのであれば 死んでいなければ飲酒運転であっても事故さえ起こさなければ倫理に適ってしまうことになるのである
法手続き的な懲罰というものも意味を為さない なぜなら「バレなければ責任を問われない」からである
この世の全ての人の行動の全てを把握できるわけもなく しかもプライバシーも存在している以上は誰にもわからず無責任な「悪いこと」は可能なのである
原発事故であっても 津波に襲われて事故になるまでは非常用電源が津波に弱い地下にしかなかった無責任性も問われることはなかったのである
また 実際に刑罰による抑圧をしたところで 自律の欠落した無責任な者にとっては 「女子中学生を誘拐監禁することなど 高価な美術品を盗むよりは罪が軽いと思った」などと言い出す始末である
飲酒運転によって小学生を死傷させた大型トラック運転手においても 警察に捕まって厳しい取り調べを受けて嫌な気持ちになったから「反省」しているだけであって 飲酒運転に対する罪悪感よりも 目先の欲望の方が勝っていたから事故になるまで飲酒運転を続けたのである
他人から促されるまでは問題だとすら「思って」いない
それは 振り込め詐欺に騙されているにも関わらず頑なに「いや 自分は絶対に騙されてなどいない」と言い張る人の「思い込み」と同じものであって 実際に目の前に物的証拠を見せられても「理解」しているわけではなく 「皆が言っているから」観念的に認めているに過ぎない
犯罪者の多くが懲役刑を終えて出所しても凡(およ)そ半数(英国では70%以上)が再犯してしまうのも 自分がなぜ無責任な犯罪を犯しているのかを理解していないことや そもそも無責任であることの何が悪いのかも理解してないのが原因である
刑務所の中だけなら 外見上反省しているかのような態度を採ることは可能であり だからこそ「へずまりゅう」は釈放後に「俺の涙はヨダレと一緒」などと称して司法裁判を愚弄しているのである
釈放されれば何を言っても「言論の自由」であり どんなに司法を冒涜しても罪に問われることはないのである
司法による法手続きというものは その程度の抑止力しか持っておらず 本人の自律の有無に関しては「思想信条の自由」の範疇として扱われてしまっているのである
自律的な社会的責任については 本人の意識の問題であって 法的に抑圧してどうにかなるものではない
基本的な理想としては 国民の全てが自律的に社会的責任判断選択を行うことが必要であって 国民が社会的責任を負わないのであれば役人もまた負うことはなくなるのである
警察権力任せにしておいても国民の自律を促すことにおいては逆効果であって 逆に国民が警察権力に依存しているが故に警察もまた厳罰化にばかり頼る施策しかしなくなるのである
こうした相互依存的な責任のなすりつけ合い制度だからこそ 論理客観的な犯罪の原因究明や再発防止のための施策がほとんど進まないのである
「ほとんど」は進まないのだが 少しづつは進んでいる
それは 現場の警察官や 窃盗症治療に携わる医師などの当事者の中に問題意識を持った人もいるからであって
「意識」なくしてあらゆる問題は解決しないのである
ヒトの大半は 他人から考えを促されなければ何が問題なのかすら自分では見つけることすらしないバカである
警察官も大半は自分の「業績」にしか興味はなく 警察としての社会的役割や「本当の目的」に基づいた行動選択など興味がないバカが大半である
道路交通法違反は現行犯でしか逮捕出来ないとか 整備不良は陸運局による検査が必要だとか そういった手続きの穴を理由に暴走族やルーレット族は放置されているのである
暴走族なんぞやらかすバカが なぜ自律的な責任判断をしないのかについてまで徹底的に言及しなければならないのであって これは国家権力による抑圧ではなく 学術研究機関による調査が優先しなければならない
航空機事故や原発事故であれば学術研究が優先されるが こうした方法論は犯罪においても応用可能なものであり 漫然と犯罪者の「刑事責任能力」を問うても 司法手続き上では懲罰の判決や民事による賠償金の金額しか算出しないのである
何が問題なのか見えていない「問題盲」の状態だからこそ 実効性のある論理客観的根拠に基づいた合理的施策がほとんど進まず 傍観放置状態が変わらないのである
問題自体が見えていないのであれば 問題に対する答えの有無に関わらず何もわからないのは当然の話である
それはもはや「痴呆状態」とも言えるものである
Ende;