子供の好奇心は科学的探求の動機にはなっていますが だからといって子供が科学的に論理検証できるわけではありません
好奇心(主観)は「答え」を求めますが 必ずしも論理「客観」的根拠を必要としません
子供というのは考えが幼稚であるため 好奇心だけで「答え」をでっちあげて勝手な正義を振るうので 子供だけで集団生活をさせればイジメなどの非合理な行動も簡単に起きるわけです
科学的論理検証というのは「わからないことは わからない」とする冷静さが不可欠であって 本当は論理的には理解できていないのに「わかった」ような錯覚に陥って勝手に「答え」をでっち上げてしまうからこそ ヒトは暴走破綻に陥るのです
科学が科学であるためには 単に子供じみた好奇心(主観)だけで科学的検証になるわけではなく 論理客観性が必要不可欠なのです
大脳辺縁系を損傷した人の場合 決して子供じみた「答え」の追求はせず あくまで他人から選択を求めれた際に「わからない」と言うだけであって 子供の探求心と大脳辺縁系を損傷した人の言動は全く異なるものであり これをごちゃまぜにしている現状の「哲学者」達は「叡智界」などという訳のわからぬ話を鵜呑みにしていた自分達の頭の悪さをはぐらかしているだけなのです
子供に限らずヒトという種の生物というのは論理客観的検証に基づいた合理性のある行動選択は出来ないため 「叡智界」などという実証不能の観念であっても簡単に鵜呑みにして満足し 論理客観的検証に基づく「本当のこと」を簡単に見失う欠陥があります
「本当のこと」がわからなければ 「本当ではないこと」に意識囚われ 非効率で意味のない行動しかしなくなり 暴走破綻の危険性に対しても何の対策も出来なくなります
何も「考え(客観的論理検証)」ない人なら それで良いと「思って(主観)」るんでしょう
その「意識」こそが「無意識」だということも「理解」することも「区別」することも出来ないからです
単なる好奇心や探究心といった主観的欲望だけなら宗教でもイデオロギーでも妄想ファンタジーでも何でも良いのであって 論理客観的根拠をすっ飛ばして「答え」をでっち上げてしまえば暴走しか招きません
実証不能の観念だからこそ暴走するのであって 論理客観的検証が伴えば暴走はしないのです
カントの時代以降は科学技術の暴走が度々起きていますが これは別に科学そのものが暴走しているのではなく 科学技術という「道具を使う側の欲望」によって暴走しているのであって 科学そのものが温室効果ガスの増大を促しているわけではなく むしろ科学は温室効果ガスの削減を求めているのです
科学技術の進歩によって得られるベネフィットは享受しておきながら 科学技術の使う方の欲望の暴走は「科学が悪い」と言い出すのは あまりにご都合主義的なこじつけでしかありません
ネコをネコだと識別出来ることを知能だと言うバカもいますが これは深層学習AIでも可能な機械手続き的能力に過ぎず 論理的根拠を必要としません
服従対象としての権威を権威と「学習」してしまえば地下鉄に毒ガス撒き散らして「人類の救済だ」などと勘違いすることも簡単なのです
抽象化による識別 シンボル機能自体は知能ではありません
擬態によってスズメバチに外見が酷似している蛾であっても 外見がスズメバチにしか見えなければ蛾だとは「思わない」でしょう これは抽象化機能による「錯覚」です
主観的に「スズメバチだと思った」とか「ネコだと思った」だけの機能は本質的知能とは関係がありません
カントの純粋理性批判を「近代哲学の最高峰」だと「思った」からといって そんなものが知能の論証にならないことは既に何度も述べました
少しは理解してくれ
いちいち説明すんのめんどくさいんだよ
多くのヒトはカントの純粋理性批判を鵜呑みにしますが これはヒトの主観的満足が作り出す罠に過ぎません
「人間は叡智界に属している」などという論理客観的根拠のない話であっても それで主観的に満足してしまうことによって論理客観的検証性を簡単に喪失し それが間違いであることには誰も気づかなくなる
科学技術という道具の使い方を間違えている自分達の欲望の方を正当化するために 科学そのものを悪だと決めつけておけば満足し 何も考えなくなる
それはバカとしか言いようがありませんよ
Ende;