2000年くらい昔には 本当に神様がいて 悪いことをしたら天罰を下してくれたのかも知れないが それは古文書には書いてあるものの 本当にあったことなのかどうかはもはや確認のしようがない
すくなくとも現代においてはパレスチナやウクライナやミャンマーにおける野蛮行為に対して神様的なものは何の役にも立たないことは明らかである
年端もいかない子供達が蹂躙され 頭から血を流して死んでいても 何もしてくれない神なんぞいてもいなくても どっちでも良い話ではないか
「再現性」がない現象は 実質的には役に立たないのである
いくら神様を信じて安心しても 温室効果ガスを減らす上においては意味がないでしょ
だが ノルウェーの「リゾート刑務所」が犯罪の再犯防止に高い効果を上げ 被害を減らすことに成功していることは 再現性のある統計的事実である
平気で他人に危害を加えていた野獣のような残忍な犯罪者が 自分から「いつまでこんなくだらないことを続けているんだ もう良い大人だろ」と自覚を促し更生させることに「リゾート刑務所」は実質的効果を上げているのである
刑務所に服役している犯罪者の6割は 幼少期に暴力を伴う苛烈な虐待を受けて育っていることが 実際の刑務官によって実証されているのである
暴力を受けて育つことで暴力的になった人に対し 懲役罰という国家権力による抑圧的生活を強要しても逆効果にしかならず 英国での再犯率は70%を超えているという
懲罰というのは 被害者や大衆の心情(気分)的には満足感を得られるものではあるものの 実質的には被害を減らすことには実効性がなく むしろ被害を継続的に増やしてしまうものであって それを公的資金を浪費して実行し続ける不毛さは自覚しなければならない
おしなべて独裁者というのは暴力によって統治しようとしたがる傾向があり これはヒトに普遍的に見られる懲罰感情バイアスによる凡人が考える幼稚な統治の方法論である
暴力的威圧で服従させたがるのは 自分自身が暴力威圧的な相手にしか従おうとせず 自律的に社会的責任判断をすることが困難であるが故に 「国民の全員もまた自律的な社会的責任判断なんぞ出来ないはずだから 暴力威圧的に抑圧しておかなければ統治が絶対に出来ない」という観念が働いているからである
バカは暴力的で「怖い」相手にしか従わない
自分の頭で物事を考え判断し 自律的に社会的責任ある行動選択をしようとしないからこそ「バカ」なのである
神だろうが権力者だろうが嘘で騙した国民であろうが とにかく「怖い相手」に服従忖度してさえおけば その「怖い相手」からの評価承認が得られるもんだから主観的な満足感が得られる
しかし その満足感というのはあくまで他人ありき 他人次第であるために 本当の自分の充足感にはならないために いくら資産や権力を集中させても本当の自分は満たされることがないのである
いくら他人を恐怖で支配しようとも 本当の自分は満たされず むしろ「暴力的恐怖で他人を支配している」という自分自身の卑劣さによって自尊心や自己肯定が出来ないことに腹を立てているのである
それはまるで 自分の尻尾を追いかけてグルグル回り続けるイヌのようなものであり その行為に終わりがない
それを仏教では「無間地獄」と言うのである
「無限」ではなくて「無間」なのは間違えているわけではないよ 「無限」のように時間的余裕すらない焦燥感で圧迫されているから「無間」地獄と言う 飯を喰ってても 風呂に入っていても 糞してても 常に罪悪感に苛まされる人生 それが「無間地獄」
自分の頭で物事を考え 何が本当に社会的責任判断選択になるのかを自律的に判断できる者であれば それができない相手をどうやったら自律的な社会的責任判断選択ができるようになるかまで考えが及ぶのである
暴力的威圧でしか統治できないと「思って」いる奴というのは 「自分が出来ないことは 他人も出来ないはずだ」という個人的観念に基づき 「俺だけが自律的な社会的責任判断選択が出来ないとしたら 俺だけがバカみたいじゃないか」とも「思って」いるから 何が何でも暴力威圧的統治だけでナントカしようとすること以外何も思いつかないのである
暴力威圧で温室効果ガスは削減できない
一人一人が自律的に自分の責任において行動しなければ 温室効果ガス削減は無理なのであり 権力者とか神はどうでも良い話なのである
Ende;