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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

悪口。

2011年06月29日 14時27分20秒 | 意識論関連
 人の悪口を言っても何ら建設性はない。相手に落ち度があるならば、どうすれば改善できるのかをアドバイスでもすれば良い。

 悪口を言う者というのは、相手にとって有益な情報は一切提供することはない。ただ、逆に言うと、相手の顔色をうかがって欠点を指摘することも嫌がる傾向というのも日本人には根強くある。

 松下幸之助の言葉に。

 「自分の仕事は、他人の助けなくして、一日も進み得ないのである。」

 というのがある。

 この言葉には同時にこういう意味も含まれている。

 「自分自身が他人の助けを必要とするのであるから、自分も他人を助けなければ社会は成立し得ない。」

 自分に出来ることを他人に提供しあうことによって、個人の仕事というものは初めて成立するのだ。

 今の日本人からは、この大原則が欠落しているのである。

 「がんばろう、日本。」だとか言いながら他人の悪口を仲間内で共有して喜んでいる者は多い。そして、その仲間というものが、如何に下らない仲間であるのかも一切考えることもなく、同じ観念を共有する気分的な安心のまどろみに浸っているのである。これこそが、本当の「現実逃避。」というものである。

 「がんばって。」という言葉は鬱症状の人には絶対に言ってはならない禁句である。がんばるというのは、自発的にがんばろうとする人には有効であるが、むやみやたらに使う言葉でない。

 そもそも「がんばろう、日本。」などというスローガンを掲げる者というのは、世間体としてウケ狙いで言っている場合が少なくない。

 相手にアドバイスができないのであれば、そいつは相手にとって無用な者である。ましてや悪口を言うなどというのは社会にとって無意味な糞野郎でしかない。

 大切なのは、自分にできることを一生懸命やる自発性である。本質的な自発行動であるならば、それは自分の利益に直接つながらなくても一生懸命行うものである。それが結果的に社会貢献となるのであれば、当人にその意識があってもなくても社会にとっては同じなのである。

 できないこと、苦手なことをやる必要性はない。客商売の苦手な者に接客されても迷惑なのである。個人が積極的に行うことこそが社会にとって最も有益なのであり。その「積極性。」というものが目先の欲望に惑わされないためにも、本質的自発性というものが重要なのである。

 振り込め詐欺が得意だからといって、振り込め詐欺に邁進したり。ユダヤ人を死体に変換することが得意だからといってナチスに迎合されたのでは迷惑でしかないのである。それは本質的には「個性。」ではない。そこには本質的合理性が伴っていないからなのである。


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