書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○ヤンキー糞DQNに根性はあるのか。

2017年12月12日 13時42分43秒 | 意識論関連
生物としての先天的な社会形成習性の結果として、自分が属する集団に対しての自己犠牲的献身性の現れとして根性を発揮することはある

しかし、こうした先天的習性の結果というのは、何に献身的自己犠牲を発揮するのかを選択することは出来ず、ISILで自爆攻撃に参加するのも、オウム真理教内部で命懸けで毒ガス製造を行うのも、ヤクザの鉄砲玉も自分が所属する集団組織に対する献身的自己犠牲であることに何ら違いはない

何に対して自律的に献身的自己犠牲を発揮するのかを選択せずに、環境依存的に暴走させるだけの献身的自己犠牲というものは。時に甚大な社会的迷惑になることもしばしばである

むしろあらゆる「人災」のほとんど全ては、こうした献身的自己犠牲の暴走に因るものでもある

こうした「根性」などというのはスポーツ競技などの成績に寄与するだけであり、実質ヤンキー糞DQNの行動というのは迷惑極まりないことに違いはない

スポーツでどんなに成績が良くても、社会持続可能性や安全性においては直接的にほとんど価値がないのである

そもそも「根性」などという精神論に快楽を感じている「ヒト」の脳の欠陥を認識せずに、「ヤンキーには根性がある。」などという極めて一面的側面だけを取り上げて意味があるかのように言い張るのは無責任極まりない妄想でしかない

ヒトという種の生物が、精神論に意味があると錯覚するのは、それに対して快楽を感じるからであり。その快楽による気分的安心満足を安全性か何かと錯覚する習性があるからだ

太平洋戦争の日本軍が国策として「一億玉砕」などという暴走を標榜し、何の勝算もない特攻攻撃に命懸けで従ったのも。こうした特定集団組織に対する忠誠忠実さ、従順さに対する快楽を「感じた」からに他ならない

特攻隊は別に国民を守るためではなく、むしろ自分の評価を得るために行った献身性の暴走に過ぎない

未だに一部では英霊などと称して、あたかも「特攻隊が命懸けで戦ったから今の平和がある。」かのようにすり替えをする話が絶えないが。むしろ特攻などというキチガイじみた攻撃に恐れたからこそ米軍も無差別爆撃や核兵器の使用に追い込まれた側面も充分にある

命懸けなら何でも「一大事」扱いし、全てに意味があるかのように言い張るのは文科系大衆観念的妄想錯覚でしかない




Ende;
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