小田急線で刃物振り回して暴れた男は中央大学理工学部に入学していたそうだ
中退したともあるが
中央大学理工学部の偏差値は55.0~57.5だそうで
通り魔の類いは高い確率で学生時代に学力が高い傾向が見られる
偏差値は高いが サラダ油でテロができると思っていた無知でもある
理工系に進学したにも関わらず 可燃性の高いものが何なのかを知らないというのは本当は別に理工系に興味があったわけではなさそうだ
主体的な「目的」がないんだろう
だから他人との比較や物質的豊かさにしか興味がない
「目的」がないというのは 「本質的な意識」もないことを意味する
だから 理工系学部に進んでいても 論理客観的検証という「考え」は働かない
逮捕直前コンビニ店内で見知らぬ他人に「握手しておきますか? 俺有名になるんで」などと言ってたそうだ
多分「有名になる」ことが短絡的に「勝ち」か何かだと勘違いしているらしい
凶悪犯罪者というのは 時折「歴史に残る犯罪を犯してやる」だとか言い出す奴がいて 「何人殺したか」などという数字にこだわったりすることがよくある
要は価値観が幼稚なのだが 脳が育たなかった原因というものを検証し 同じ様なバカが出てこないように対策を立てないと 何度でも同じ様なバカは再生産され続けることになる
被害者に死者がいないことから 司法は殺人未遂だとか称して懲役刑で済ますつもりだろう
だが 強盗殺人で25年刑務所に入れても出所後すぐに殺人を犯す例もあることから 懲役刑に再犯防止の効果を期待すべきではない
社会安全性の観点からは 意味が全くないのである
更生治療も重要だが それと同時に「なぜ無差別殺人などという誰にも得にならない非合理な行動を採ったのか」についての論理客観的原因検証によって 似たような発想に陥るバカを再生産しない対策が必要不可欠である
「勝ち組」などと称して 収入や資産の「量(数字)」だけで あたかも人間として優秀であるかのような錯覚に陥っている価値観を鵜呑みにするようなバカを再生産しない必要がある
「勝ち負け」などというのは 結局金銭だの地位権益だのを基準にしたものであって 本質的には「人間としての価値」にはならない
ゲームじゃねぇんだから
「東大に合格したら勝ち組」だとかいうのも 東大医学部の学生が地下鉄テロをやらかした事実を無視したデクノボウの発想であり テロリストや通り魔の多くは「学生時代に学力が高い」という傾向を 多くのヒトは忘れているのである
現状の学校では 学力偏差値こそが価値であるかのような教育をしているため 生徒の価値を偏差値だけで測っているからこそ 生徒の多くはその価値観を鵜呑みにして 何の疑いも持たずに「偏差値さえ高ければ褒められる勝ち組なんだな」という妄想錯覚を鵜呑みにしてしまうのである
別に路傍の花の色や夕焼けの空の色に関心を持たなくても構わないのだが そういった些細な世界の美しさに気づけない時点で精神に余裕がない証拠である
他人との比較は競争にしかならない
競争であれば他人を蹴落とすことも正当化される
卓球などのスポーツなら 相手が嫌がることをわざとやったりするものだが それはルールに基づいた「ゲーム」の中だけの世界であり 単なる「お楽しみ」「お遊び」の域を出ない
それでも 熱中できることがあれば その熱中できることを続けるためには社会の安全性や持続可能性にも配慮が働くようになる
重要なのは 勝ち負けという結果ではなく 好きなゲームに熱中して楽しめるという純粋な行為 その過程に「個人的な価値」が存在するのである
下手くそなプログラミングや造形やプラモデルや写真であっても 個人的に楽しいと思っているからこそ それを続けられる社会にも配慮ができるようになる
勝つ必要性は特にない
卓球だってオリンピックで金メダルが獲れる人は4年に一人だけであり それ以外に何の価値もないわけではなく 温泉卓球でも「楽しい」なら 個人的価値にはなる
自分が個人的に楽しいと思えることを続けるためには 社会が安定して安全で持続可能であることが大前提だからであり 自分が楽しんでいることを他人から評価順位をつけられる必要性はない
勝ち負けというのは「他人が作った特定の基準」に基づいたものであって 自分自身の価値観とは必ずしも合致するとは限らない
勝つことを目的にしているから「迷惑な撮り鉄」だとか「迷惑系ユーチューバー」も出てくるようになる
フォロワーだの閲覧数だの「いいね」だのといった数字を競っても それで人間としての価値が決定するようなものではないことは バカでなければわかるはずなのだが バカというのは後を絶たない
原因はわかっている 評価承認欲求中毒だけが価値の全てになっていて 他人との比較でしか物事の価値を判断できないからである
人間性や倫理性は他人とは比較競争ができない というか 比較競争するようなものでは最初からない
自分が主観的に楽しめる人生を送れる社会の安全性や持続可能性を 自分が求めているから発揮されるのが人間性や倫理であって
評価承認欲求に意識を奪われて他人との比較競争にしか価値を見いだせないからこそ 個人的な人生の楽しみ 純粋行為に価値を見いだせなくなるのである
いうなれば 目の前の吊るされたエサに意識を奪われ 自分の人生全体の「目的」を見失っている状態である
多くの人が欲しがるエサの奪い合いに意識を奪われ 本当に自分が欲しいものが何なのかがわからない
まるで「バーゲンセールで欲しくもない商品の奪い合い競争で無駄遣いするバカ」と一緒である
だから何でもかんでも「どうすれば良いんですか」という質問ばかりをし続ける
もはや機械か蟲である
条件反射的に「どうすれば良いんですか」としか訊いてこない
終いにゃ「私は何が好きなんですかね」的な質問までしてくる始末である
お前の好き嫌いなんぞ俺が知るかバカ
Ende;