先天的本能習性に従って行動するのは、生存や種の保存などの目的のために合理的に選択して行動しているわけではなくて
あくまで脳の古い領域に組み込まれた機械手続き的な条件反射行動として、それをやらないといられない衝動として行動しているのであって。これに目的は存在しない
衝動的に女性を犯すとか、刃物で刺すといった衝動行動に合理的目的など存在しないのである
赤ちゃんの頬っぺたを指でプニプニ突きたくなるのも、恐らく先天的に組み込まれた衝動であろう。一応言っておくが新生児の頬っぺたは触ってはいけない
塩分、糖分、脂質を過剰摂取しがちなのも、ヒトの先天的本能習性として組み込まれたものであり。かつて祖先がこれらの栄養素が乏しい環境下において、より積極的に摂取する個体への淘汰が働いた結果と考えられるが。これに後から合理的目的をこじつけるのはおかしな話である
繁殖行動として異性に何かをアピールするのも、それが快楽で衝動だからであって、「種の保存のため」などといった合理的に選択した目的を「考え」て行動しているわけではない
あくまで、異性に何かをアピールすることで繁殖に成功した個体種だけに淘汰された結果として、そういう個体種だけが生き延びたという「結果」であって。先天的な行動習性を促す遺伝的要素を個体種自身が選択することは原理的に不可能であり、意識的、合理的な「目的」行動選択が介在する余地は1㎜も存在しない
ヒトのように体内受精を行う動物からすると、魚類であるサケの産卵や放精の一体どこが「気持ちいい」のかサッパリわからないだろうが。サケの脳ではそれこそが快楽であり、死んでも良いからヤリたい衝動行動に過ぎず、サケの脳には「子孫を遺したい」などといった概念は存在せず、あくまで子孫が遺るような衝動行動を持った個体種への淘汰圧力の「結果」以上に意味はない
ヒトであっても、繁殖能力もない幼女相手に性行為を行った挙げ句に、他人にばれないよう殺害するという、全く非合理極まりない衝動が存在するが
そもそも繁殖のためのあらゆる衝動行動の全ては「ヤリたくて仕方ない。」などといった行動バイアスでしかなく、これに「頑張っている」だの「努力している」といった形容をするのは科学を逸脱した文科系大衆観念的「こじつけ」でしかなく、客観性と傍観性の区別がついていないバカの発想である
要するに生物学者の大半はバカなのである
これを指摘できない哲学者もマスコミも同罪である
生物が種の保存などに適して種として遺る過程や構造メカニズムに合理性はない
擬態などの現象も、あくまで「枯れ葉などに似ている個体種だけが生き残った」結果であって、誰の「目的」も介在する余地はないのである
従って、ヒトの脳に意味のわからぬ非合理な衝動が組み込まれていても、それは祖先が淘汰圧力を免れた行動習性に過ぎず。何ら合理的「目的」選択が介在する余地はない
寄生であろうが、弱肉強食であろうが、異常繁殖であろうが、とにかく「死ななければ生存」であって。それは「結果」以上の意味は何もない
文科系大衆の多くは、自分が個人的、主観的に「死にたくない」とか「生き延びたい」といった感情の強度程度に基づいて生存を目的だと錯覚しがちであり。さらに遺伝的進化が個体種による選択可能性が存在していて、世代をわたって努力し続ければ自動的に進化が促されるという非科学的妄想と一緒くたにすることで、「生物の目的は、生存」などという大衆観念が蔓延しているのである
この「生存」を「種の保存」にすり替えても同じことである
「種の保存」こそが目的であると言うのであれば、先天的疾患で繁殖能力を持たない障害者はヒトとして無用という屁理屈が出て来てしまうことになる
これをフランシス:ゴルトンの優生学に基づいて判断するから「障害者は淘汰対象」になってしまうのである
進化というものには目的などなく、あくまで結果以上に意味がないことが認識していれば、たとえ繁殖能力に欠けていても、「誰かの大切な子供」である以上淘汰対象などではないことは明白である
何が何でも遺伝的進化をしなければならないというのは、結果と目的を区別出来ていないバカの妄想宗教でしかない
生存や種の保存に意味があるのではなく、あくまで存在として意味があるのであって。誰の子供が先天的疾患を持って産まれてくるのかなどわからない以上、偶発的に自分の子供や孫の世代が先天的疾患を持って産まれてくる可能性は拭い切れず、たまたま先天的疾患を持っていたからといって「淘汰対象だ」などという短絡的帰結にはならないのである
むしろ、そうした「頭の悪さこそが人間社会にとっては淘汰対象なのではないか。」とすら思ってしまう(思うのは勝手である)
というのは嘘で、本来誰の子供がバカに産まれてくるのかもわからない以上、どうやったら後天的教育によって短絡的なバカに育たないように出来るかを工夫することも大切な人間性の一環であろう
個人的には面倒臭いがっ!
特に学力偏差値が高いだけで「俺は頭が良いんだ」とか思っているバカが一番タチが悪い
バカであることを自覚していないバカは難治性がハンパないからだ
先天的本能習性というものは、かつて祖先が淘汰圧力を免れた行動習性として遺されたものではあるが。先天的本能習性である以上、これは機械手続き的条件反射行動であることからは逃れることが出来ず、必ずしも生存や種の保存にとって有利に働くわけではない
蛾が炎に飛び込んでしまうのは、ヒトが人工的に火を使い始めたことに対応出来ていないからであるが。環境が変われば先天的本能習性というのは逆効果になることも珍しくはない
これは先天的本能習性というものが、合理的な選択ではないことの一端でもある
トンボの羽根は僅かな風をも捉えられる高性能な形状を持っているそうだが、これも別にトンボが目的のために自らの遺伝子を都合良く書き換えて獲得した性質ではなく。あくまで淘汰圧力の結果としてより性能の良い羽根形状を持った個体への淘汰の結果以上に意味はなく。これを根拠に「トンボは頭が良い」などと言い出すのは文科系大衆妄想的な発想に過ぎず、何ら科学的根拠に基づく話ではない
ただ、蛾が炎に飛び込むのは、蛾がバカだからである
虫の脳なんてのは顕微鏡下でしか見えない程ちっちゃいので、頭が悪いのは致し方ない話ではあるのだが
ヒトでありながら論理的思考検証が出来ないのでは話にならない
論理的議論が成立しないことには民主主義も人権もヘッタクレも論じるに価せず、「バカ主義」に陥るのがオチである
今日は太平洋上の台風19号と20号のダブルパンチで蒸し暑いわ (>_<;)
Ende;
あくまで脳の古い領域に組み込まれた機械手続き的な条件反射行動として、それをやらないといられない衝動として行動しているのであって。これに目的は存在しない
衝動的に女性を犯すとか、刃物で刺すといった衝動行動に合理的目的など存在しないのである
赤ちゃんの頬っぺたを指でプニプニ突きたくなるのも、恐らく先天的に組み込まれた衝動であろう。一応言っておくが新生児の頬っぺたは触ってはいけない
塩分、糖分、脂質を過剰摂取しがちなのも、ヒトの先天的本能習性として組み込まれたものであり。かつて祖先がこれらの栄養素が乏しい環境下において、より積極的に摂取する個体への淘汰が働いた結果と考えられるが。これに後から合理的目的をこじつけるのはおかしな話である
繁殖行動として異性に何かをアピールするのも、それが快楽で衝動だからであって、「種の保存のため」などといった合理的に選択した目的を「考え」て行動しているわけではない
あくまで、異性に何かをアピールすることで繁殖に成功した個体種だけに淘汰された結果として、そういう個体種だけが生き延びたという「結果」であって。先天的な行動習性を促す遺伝的要素を個体種自身が選択することは原理的に不可能であり、意識的、合理的な「目的」行動選択が介在する余地は1㎜も存在しない
ヒトのように体内受精を行う動物からすると、魚類であるサケの産卵や放精の一体どこが「気持ちいい」のかサッパリわからないだろうが。サケの脳ではそれこそが快楽であり、死んでも良いからヤリたい衝動行動に過ぎず、サケの脳には「子孫を遺したい」などといった概念は存在せず、あくまで子孫が遺るような衝動行動を持った個体種への淘汰圧力の「結果」以上に意味はない
ヒトであっても、繁殖能力もない幼女相手に性行為を行った挙げ句に、他人にばれないよう殺害するという、全く非合理極まりない衝動が存在するが
そもそも繁殖のためのあらゆる衝動行動の全ては「ヤリたくて仕方ない。」などといった行動バイアスでしかなく、これに「頑張っている」だの「努力している」といった形容をするのは科学を逸脱した文科系大衆観念的「こじつけ」でしかなく、客観性と傍観性の区別がついていないバカの発想である
要するに生物学者の大半はバカなのである
これを指摘できない哲学者もマスコミも同罪である
生物が種の保存などに適して種として遺る過程や構造メカニズムに合理性はない
擬態などの現象も、あくまで「枯れ葉などに似ている個体種だけが生き残った」結果であって、誰の「目的」も介在する余地はないのである
従って、ヒトの脳に意味のわからぬ非合理な衝動が組み込まれていても、それは祖先が淘汰圧力を免れた行動習性に過ぎず。何ら合理的「目的」選択が介在する余地はない
寄生であろうが、弱肉強食であろうが、異常繁殖であろうが、とにかく「死ななければ生存」であって。それは「結果」以上の意味は何もない
文科系大衆の多くは、自分が個人的、主観的に「死にたくない」とか「生き延びたい」といった感情の強度程度に基づいて生存を目的だと錯覚しがちであり。さらに遺伝的進化が個体種による選択可能性が存在していて、世代をわたって努力し続ければ自動的に進化が促されるという非科学的妄想と一緒くたにすることで、「生物の目的は、生存」などという大衆観念が蔓延しているのである
この「生存」を「種の保存」にすり替えても同じことである
「種の保存」こそが目的であると言うのであれば、先天的疾患で繁殖能力を持たない障害者はヒトとして無用という屁理屈が出て来てしまうことになる
これをフランシス:ゴルトンの優生学に基づいて判断するから「障害者は淘汰対象」になってしまうのである
進化というものには目的などなく、あくまで結果以上に意味がないことが認識していれば、たとえ繁殖能力に欠けていても、「誰かの大切な子供」である以上淘汰対象などではないことは明白である
何が何でも遺伝的進化をしなければならないというのは、結果と目的を区別出来ていないバカの妄想宗教でしかない
生存や種の保存に意味があるのではなく、あくまで存在として意味があるのであって。誰の子供が先天的疾患を持って産まれてくるのかなどわからない以上、偶発的に自分の子供や孫の世代が先天的疾患を持って産まれてくる可能性は拭い切れず、たまたま先天的疾患を持っていたからといって「淘汰対象だ」などという短絡的帰結にはならないのである
むしろ、そうした「頭の悪さこそが人間社会にとっては淘汰対象なのではないか。」とすら思ってしまう(思うのは勝手である)
というのは嘘で、本来誰の子供がバカに産まれてくるのかもわからない以上、どうやったら後天的教育によって短絡的なバカに育たないように出来るかを工夫することも大切な人間性の一環であろう
個人的には面倒臭いがっ!
特に学力偏差値が高いだけで「俺は頭が良いんだ」とか思っているバカが一番タチが悪い
バカであることを自覚していないバカは難治性がハンパないからだ
先天的本能習性というものは、かつて祖先が淘汰圧力を免れた行動習性として遺されたものではあるが。先天的本能習性である以上、これは機械手続き的条件反射行動であることからは逃れることが出来ず、必ずしも生存や種の保存にとって有利に働くわけではない
蛾が炎に飛び込んでしまうのは、ヒトが人工的に火を使い始めたことに対応出来ていないからであるが。環境が変われば先天的本能習性というのは逆効果になることも珍しくはない
これは先天的本能習性というものが、合理的な選択ではないことの一端でもある
トンボの羽根は僅かな風をも捉えられる高性能な形状を持っているそうだが、これも別にトンボが目的のために自らの遺伝子を都合良く書き換えて獲得した性質ではなく。あくまで淘汰圧力の結果としてより性能の良い羽根形状を持った個体への淘汰の結果以上に意味はなく。これを根拠に「トンボは頭が良い」などと言い出すのは文科系大衆妄想的な発想に過ぎず、何ら科学的根拠に基づく話ではない
ただ、蛾が炎に飛び込むのは、蛾がバカだからである
虫の脳なんてのは顕微鏡下でしか見えない程ちっちゃいので、頭が悪いのは致し方ない話ではあるのだが
ヒトでありながら論理的思考検証が出来ないのでは話にならない
論理的議論が成立しないことには民主主義も人権もヘッタクレも論じるに価せず、「バカ主義」に陥るのがオチである
今日は太平洋上の台風19号と20号のダブルパンチで蒸し暑いわ (>_<;)
Ende;