暴力者への屈服を「冷静さ」と形容しても そんなものは主観的恐怖を正当化する卑屈な態度でしかない
間違った行動を間違っていると主張することは 決して「冷静ではない」とは言えないのである
多数に対して異議を唱えていれば あたかも「冷静さを欠いている」かのように主観的には感じるのかも知れないが
それは「多数の主観」に過ぎず 何ら「正しい判断」であることの論証には全くならない
多数に迎合し 暴力者に屈服している方が 気分的には安心であろう
その安心という主観的感覚 本能的な危険回避こそが 統合的見地から見た「本当の危険性」を傍観放置する原因なのである
暴力者に屈服しておいた方が 自分の身の危険は避けられるであろうが その利己性こそがイジメを傍観放置する原因なのである
だからといって 自己犠牲が短絡的に人間性の論証になるわけではない
集団内部において 大多数が自律的な責任判断選択をしていれば 誰も犠牲を出さずに済むのである
イジメが発生した際に 傍観しがちな8割が一斉に反対すれば イジメは簡単に収束する
誰も犠牲にはならない
犠牲が出てしまうのは 大多数が事なかれ主義者日和見主義者であることが原因であって 決して「自己犠牲=人間性」ではないのである
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ハリー:ハーロウはサルにも好奇心があることを証明した
サルにある種のパズルを与えた場合 パズルを解く工程の度にレーズンを与えると かえって気が散ってパズルに集中できず むしろ何も与えない方がサルは勝手にパズルを解くようになったという
当時のアメリカで主流となっていた行動主義心理学への反証としてハーロウは評価を得た
エサを与えられないと行動を起こさないというのは もはやサル以下だということになる
学力成績という抽象化されたエサ(脳への報酬)を目的とした学習では 本質的な好奇心ではないため 自発的思考検証能力が著しく育まれず 教えたことを教えた通りにしか答えられないバカが出来上がるのである
自爆攻撃という暴力的最終解決も 「死後の世界における神からの祝福」や「永遠の命」といった実証不能の抽象的な利害もまたエサ(脳への報酬)によるものであり
日本軍の特攻隊も 「英霊」として合祀されることを栄誉とした戦時中の評価基準を鵜呑みにしたものであり そこに合理的価値が存在するのかどうかを全く自発的には考えないという頭の悪さが原因である
東大医学部学生によるオウム真理教によるテロも 学力が高いだけのバカで 主体的思考検証能力が著しく欠如していたことが原因であり
これらは全て他者から与えられる脳への報酬に対する条件反射的行動であり 「行動主義心理」そのものだと言える
Ende;