猟奇的な行動欲求っていうのは 残忍な猟奇殺人犯じゃなくても程度の差こそあれ多くのヒトが持っているものであって
それ自体が悪いわけではない
そもそも子供作る行為ってのは暴力的な要素があるわけで
「女子が苦しむところを見たい」とか「悲鳴を聴きたい」っていう欲求自体はヒトという種の生物に先天的に組み込まれたハードウェアとしての嗜虐性であって
これ自体は本質的には「意思」でもなければ合理性に基づいた「目的」でもない
たとえどんなに多数から「気持ち悪い」と言われても それが人間としての価値を下げるわけではなく
重要なのは欲望を制御コントロールする理性の有無である
江戸川乱歩の作品は 発表当時は「猟奇殺人を助長する」などと激しくバッシングされていたというが
現在では文学賞の冠としてその名が用いられており
芸術分野においては猟奇的であろうが暴力的であろうが非道徳的であろうが自由なのである
個人的趣味として 猟奇性があるとしても その欲求を制御して直接行動にならない自律こそが人間性の本質なのであり
理性が欲望を制御下に出来ているかどうかが人間性にとって最も重要なのである
これは 「誉められたいがために他人に危害が及んででも成績を上げよう」とした日大アメフト部元監督内田正人の行動にも共通する話である
「自律」がないことの害であることにおいて共通しているのだ
◇
ヒトには様々な欲望がある
年端もいかない幼い少女を犯したいという欲求もあれば
道端の名も知らぬ小さな花を慈しむ欲求もあるし
迷惑なクソDQNに殺意を抱くこともある
欲求欲望というものは その場限りの環境要因などによってコロコロと変化するものであって これは一人の人間としての一貫性のある「意思」とか合理性のある「目的」行動とは異なるものである
「どうしたいのか」とか「どうあるべきなのか」といった「考え」によって
合理性のある「目的」行動というものが選択可能になり
それによって一人の人間としての一貫性ある「意思」が発揮されるのである
しかし 特定の欲求に囚われ それ「だけ」で頭がいっぱいになってしまう中毒症状によって
原発の津波に対する脆弱性が放置されたり
スポーツの勝ち負けだけが優先され暴力が持ち込まれたりするようにもなるのである
ヒトは産まれて今までずっと「生きて」いるために
「生きて」いることの中毒になることで
大した目的もない癖に「永遠の命」などという不毛な妄想を抱いてその場限りに安心満足を得ようとする
そのため「生物の目的は 生存」などという論理的根拠のない生物学の妄想を鵜呑みにするようにもなる
広い認識と 深い考えが伴えば 目先の女子小学生のパンツの中身で頭がいっぱいになることなどないのだが
これが働かなくなる意識狭窄性や短絡的な幼稚性によって 人間性が失われるのである
どのような要因によって 意識狭窄や幼稚性が出てくるのかというと
実際にはヒトという種の生物は先天的には幼稚で目先の事柄にしか頭が働かない習性があって
むしろ 主体的に物事を深く考えることによって 初めて意識狭窄性や幼稚性が抑制されるようになるのである
つまり ヒトという種の生物は先天的にはポンコツ欠陥品で
後天的に自主性や主体的考えを持つことによって初めて人間性を発揮できるようになるのである
しかし 主体的な「考え」に対する論理的根拠のない罪悪感というものがあるために
ヒトの多くは自律的に物事を「考え」ることをしなくなるという先天的バイアスがあるのだ
この根拠のない罪悪感というものは 進化(変異)過程における集団組織的統率行動を採る上において生存価にとって有利に働いた結果として 淘汰された結果に過ぎない
権威に服従し 統率的協調性さえ発揮しておけば 気分的に安心感が得られるために
合理的安全性よりも目先の気分的安心満足を優先することによって ヒトは物事を深く考えるということをしなくなるのである
だから原発の津波に対する脆弱性も放置されたのである
ヒトに先天的に組み込まれている社会形成習性というものは むしろ目先の多数派迎合性や権威服従性によって個人の自律的な「考え」を不具にし 社会的責任判断選択を失わせる欠陥要因なのである
ヒトは洗脳されている方が気分が良い
マイケル:サンデルの講義を聞いて 「自分は頭が良くなった」と勝手に錯覚して満足している方が気分が良いのである
ヒトの脳に先天的に組み込まれた思考バイアスというものは バカになる方向にしか働かないように出来ている
「自分は もしかしたら間違っているのでは?」と疑うことは 気分が良くないため
その場限りに気分的安心満足を得るためには「自分だけは絶対に大丈夫」という妄想錯覚に溺れていた方が楽なのである
ヘイトスピーチで怒鳴り散らしている奴らは「自分達こそが絶対に正しい」という妄想錯覚を抱いているからこそ 自信たっぷりに非人道的発言や行動も可能になるのである
◇
組織内部では「俺が責任とってやる」だとか「俺がやれと言ったんだ」などと言っておきながら
問題が公に露呈した途端に「そんなことは 言ってません」などという幼稚な言い逃れ
もし軍隊的統率を正当化するというのであれば乃木希典のように敵の不遇を哀れみ明治天皇崩御に自決する程の覚悟が必要であろう
だが現代においては軍隊的統率を正当化する奴というのは 実際にはそんな覚悟が一切ないノミのようなちっちゃい人格しかないのが現実である
身体ばっかりデカイ癖に 人間性はノミシラミのようにちっちゃいのである
◇追記:明治時代のように欧米列強やロシアからの火の粉を振り払うためには乃木希典のような統率も致し方あるまい
だが 実際にはそういった軍隊的統率による集団組織的協調性は暴走を招き インパール作戦のような無駄で非効率な結果しかもたらさない
旧日本軍の野蛮行為を止めるためには原爆のような非人道兵器も使わざるを得なかった
だからといって非人道行為は正当化はできない
時代によって左右されるような「正義」を因習のように続けているからバカげた結果が繰り返すのである
麻薬中毒患者が拳銃振り回して暴れているのに人道的対応をしている暇はないが
現場の正義というものはあくまで暫定的対応措置であって
根本的解決策ではない
Ende;
それ自体が悪いわけではない
そもそも子供作る行為ってのは暴力的な要素があるわけで
「女子が苦しむところを見たい」とか「悲鳴を聴きたい」っていう欲求自体はヒトという種の生物に先天的に組み込まれたハードウェアとしての嗜虐性であって
これ自体は本質的には「意思」でもなければ合理性に基づいた「目的」でもない
たとえどんなに多数から「気持ち悪い」と言われても それが人間としての価値を下げるわけではなく
重要なのは欲望を制御コントロールする理性の有無である
江戸川乱歩の作品は 発表当時は「猟奇殺人を助長する」などと激しくバッシングされていたというが
現在では文学賞の冠としてその名が用いられており
芸術分野においては猟奇的であろうが暴力的であろうが非道徳的であろうが自由なのである
個人的趣味として 猟奇性があるとしても その欲求を制御して直接行動にならない自律こそが人間性の本質なのであり
理性が欲望を制御下に出来ているかどうかが人間性にとって最も重要なのである
これは 「誉められたいがために他人に危害が及んででも成績を上げよう」とした日大アメフト部元監督内田正人の行動にも共通する話である
「自律」がないことの害であることにおいて共通しているのだ
◇
ヒトには様々な欲望がある
年端もいかない幼い少女を犯したいという欲求もあれば
道端の名も知らぬ小さな花を慈しむ欲求もあるし
迷惑なクソDQNに殺意を抱くこともある
欲求欲望というものは その場限りの環境要因などによってコロコロと変化するものであって これは一人の人間としての一貫性のある「意思」とか合理性のある「目的」行動とは異なるものである
「どうしたいのか」とか「どうあるべきなのか」といった「考え」によって
合理性のある「目的」行動というものが選択可能になり
それによって一人の人間としての一貫性ある「意思」が発揮されるのである
しかし 特定の欲求に囚われ それ「だけ」で頭がいっぱいになってしまう中毒症状によって
原発の津波に対する脆弱性が放置されたり
スポーツの勝ち負けだけが優先され暴力が持ち込まれたりするようにもなるのである
ヒトは産まれて今までずっと「生きて」いるために
「生きて」いることの中毒になることで
大した目的もない癖に「永遠の命」などという不毛な妄想を抱いてその場限りに安心満足を得ようとする
そのため「生物の目的は 生存」などという論理的根拠のない生物学の妄想を鵜呑みにするようにもなる
広い認識と 深い考えが伴えば 目先の女子小学生のパンツの中身で頭がいっぱいになることなどないのだが
これが働かなくなる意識狭窄性や短絡的な幼稚性によって 人間性が失われるのである
どのような要因によって 意識狭窄や幼稚性が出てくるのかというと
実際にはヒトという種の生物は先天的には幼稚で目先の事柄にしか頭が働かない習性があって
むしろ 主体的に物事を深く考えることによって 初めて意識狭窄性や幼稚性が抑制されるようになるのである
つまり ヒトという種の生物は先天的にはポンコツ欠陥品で
後天的に自主性や主体的考えを持つことによって初めて人間性を発揮できるようになるのである
しかし 主体的な「考え」に対する論理的根拠のない罪悪感というものがあるために
ヒトの多くは自律的に物事を「考え」ることをしなくなるという先天的バイアスがあるのだ
この根拠のない罪悪感というものは 進化(変異)過程における集団組織的統率行動を採る上において生存価にとって有利に働いた結果として 淘汰された結果に過ぎない
権威に服従し 統率的協調性さえ発揮しておけば 気分的に安心感が得られるために
合理的安全性よりも目先の気分的安心満足を優先することによって ヒトは物事を深く考えるということをしなくなるのである
だから原発の津波に対する脆弱性も放置されたのである
ヒトに先天的に組み込まれている社会形成習性というものは むしろ目先の多数派迎合性や権威服従性によって個人の自律的な「考え」を不具にし 社会的責任判断選択を失わせる欠陥要因なのである
ヒトは洗脳されている方が気分が良い
マイケル:サンデルの講義を聞いて 「自分は頭が良くなった」と勝手に錯覚して満足している方が気分が良いのである
ヒトの脳に先天的に組み込まれた思考バイアスというものは バカになる方向にしか働かないように出来ている
「自分は もしかしたら間違っているのでは?」と疑うことは 気分が良くないため
その場限りに気分的安心満足を得るためには「自分だけは絶対に大丈夫」という妄想錯覚に溺れていた方が楽なのである
ヘイトスピーチで怒鳴り散らしている奴らは「自分達こそが絶対に正しい」という妄想錯覚を抱いているからこそ 自信たっぷりに非人道的発言や行動も可能になるのである
◇
組織内部では「俺が責任とってやる」だとか「俺がやれと言ったんだ」などと言っておきながら
問題が公に露呈した途端に「そんなことは 言ってません」などという幼稚な言い逃れ
もし軍隊的統率を正当化するというのであれば乃木希典のように敵の不遇を哀れみ明治天皇崩御に自決する程の覚悟が必要であろう
だが現代においては軍隊的統率を正当化する奴というのは 実際にはそんな覚悟が一切ないノミのようなちっちゃい人格しかないのが現実である
身体ばっかりデカイ癖に 人間性はノミシラミのようにちっちゃいのである
◇追記:明治時代のように欧米列強やロシアからの火の粉を振り払うためには乃木希典のような統率も致し方あるまい
だが 実際にはそういった軍隊的統率による集団組織的協調性は暴走を招き インパール作戦のような無駄で非効率な結果しかもたらさない
旧日本軍の野蛮行為を止めるためには原爆のような非人道兵器も使わざるを得なかった
だからといって非人道行為は正当化はできない
時代によって左右されるような「正義」を因習のように続けているからバカげた結果が繰り返すのである
麻薬中毒患者が拳銃振り回して暴れているのに人道的対応をしている暇はないが
現場の正義というものはあくまで暫定的対応措置であって
根本的解決策ではない
Ende;