他人からの評価なしに本当に自発的な純粋行為でないと心は折れたまま修復すら出来ない。
「じゃまなか」とか言われてもめげない自発性がないとノーベル賞にはならないのかなと。
「スルメ見てイカがわかるか。」で悔しがっているようではダメだし、そんな話に共感しているようでは尚更。
→「心が折れる」かどうかは主観的なものであって 本当に自発的な純粋行為なら他人の評価に惑わされることなく続けることが可能
自発性があればノーベル賞になるかは知らないけど
少なくとも他人からの評価だけが目的で純粋な探究心がなければ教えられた内容の間違いに気づくこと出来ないので
評価承認欲求中毒ではノーベル賞をとることは無理
あと 「スルメ見てイカがわかるか」には共感なんぞしてないので これは曲解
もしかすっと文脈の中で共感はしたかもしんないけど 正当化はしたこたない
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「その世界でのバカ」っていうのには普遍的価値がないので ノーベル賞受賞者の山中伸弥教授が「じゃまなか」よばわりされていたことにも意味はないと思う。 どっちかつうと論理検証みたいのが欲しかったのであってツイッター上の正義や勝ち負けには興味はないです。
→「その世界でのバカ」扱いというのはガリレオ・ガリレイが地動説で火炙り宣告されたようなことであって それは意味がないって言ってるんだけどね
「ツイッター上の勝ち負け」なんてのは 読む人の勝手な価値観なので 興味があるかどうかも人それぞれの主観的なものであって それは私の知ったことではないです
「論理検証性みたいのが欲しい」と言う割には論理的理解がイマイチで 主観的感想を返されても困ります
文系の人って主観的読書感想文と客観的論理検証の区別がついてない人が多くて困るって言ってるんですけどね
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