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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○お倫理。

2019年04月24日 14時23分37秒 | 意識論関連
「自分が社会から生かされているから 恩返しがしたい」という説(主観)を述べる哲学者は多く

それは多数の大衆からは人気も得やすい

だが しかし 「社会から生かされている」時点で主体性を欠いているのである

主体性が欠けていれば自律もない

「社会から生かされている」という(主観的)感覚は 生かされていることに対して感謝の気持ちが生じているからであって 親や周囲の者に恵まれている者の発想である

世の中そんな恵まれた環境で育った者だけではない

実存主義者のジャン:ポール:サルトルは不条理性を説いた

社会から疎外された環境で育ったからといって 社会安全性や持続可能性を放棄して良いことにはならないのである

環境に依存せず 自律的に社会安全性や持続可能性を求むるために必要なのは 本質的主体性であって「生かされている」などという主体性を欠いた動機では自律には結びつかない

たとえ火炙りにされてでも地動説を説き

誰からも研究を認められなくとも生涯研究を続け

スイス山中で自決に追い込まれてでもナチズムに反対する

これらは全て自律に基づく行動であり 環境に依存しない

たとえ「社会から殺されて」でも貫く自律とは 論理客観的真理の追求のみである

あらゆる不条理にも惑わされずに自律を貫いてこその人間性である



お育ちのおよろしいお坊ちゃまお嬢ちゃま達の主観的観念で大衆の人気取りをしても そんなものは「お花畑」に過ぎず

人間としての倫理の論証にはならない

そういう限られた条件依存的で薄っぺらな「お人間性」が一番要らない

人間性や倫理の本質とは 論理的に厳密な自発的論理客観性の中にしか存在しないのである



Ende;

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