○寝言。
ソマティックマーカー仮説についての論評の一つ
http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/070763somaticmarker.html
このページ↑の著者である池田光穂についてのウィキペディア
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E5%85%89%E7%A9%82
「嘘がばれなければ得。」などというのは、自分が所属する社会への配慮(意識)が欠けた利己的で狭窄な考えに過ぎず。また、「控訴しなかった点において至極誠実。」などという話も、もはや断片的論証にすらなっておらず、無理矢理なこじつけにしかなっていない。
一歩譲ってソマティックマーカーが脳内に存在するとしても、環境や状況によって気まぐれに出現する「誠実さ。」に一体何の価値が存在すると言うのであろう。ソマティックマーカー仮説というものが立証されたとしても、ヒトという種の生物が本能的に常に正しい行動を選択する証明にはならず、単なる無意識な行動バイアスの一つを証明しただけであって、無意識そのものの価値を論証したわけでも何でもなく、存在の有無を議論すること自体が極めて不毛である。
散々食肉偽装をやらかした奴が裁判において控訴しなかったから「至極誠実。」などと形容すること自体、オカルトとしか言いようがない。振り込め詐欺が仲間内で共生関係を持っているからといって社会性だの人間性の論証であるかのように言い張るのと同様、あまりにその場限りの断片的論証に過ぎず。語るに足らない。
現在の哲学者には、人間としての目的意識が存在せず、その場限りにのらりくらりと断片的論証さえしておけば哲学であると完全に勘違いしているため。糞の役にも立たない戯言を陳列し、自分の知識の「量」だけをひけらかすことで権威性を演出し、大衆を丸め込んでいるに過ぎない。
哲学というのは、考えること自体を目的としたものであると定義されているが。ただ漫然とその場限りの断片的論証を重ねていれば「考え」であることの証明にはならない。
統合的で本質的な「考え」が存在すれば、人間としての社会的存在価値や自己存在意義といったものへの配慮が含まれるはずであり、これを伴わないあらゆる断片的論証というのは、ほとんど寝言の類の無意味な言葉遊びに過ぎない。
人間としての目的を持たない議論である以上、何の解答も出て来ないのは当たり前であり、意味がわからないのも当然である。現在の哲学の多くが論理的に理解することが出来ないのは、論理整合性自体が存在しないからであって、別にあなたの頭が悪くて理解出来ないとか、専門外だからではない。
単に現在の哲学自体が論理的ではないからだ。
その場限りに利己的利益の話になっていたり、犯罪者が上告しないことを「(社会的)誠実さ。」だと形容したりするというのは、あまりに支離滅裂で意味が全くない。こんな支離滅裂な話をどんなにたくさん繰り返しても、具体的な犯罪の原因究明にも対策にもつながらないのは当たり前の話であって。こうした支離滅裂な話を哲学だと信じ込んで疑わない多数大衆マスコミの無意識性もまた、現在の哲学腐敗の原因ともなっているのである。
大学の学長や研究機関の責任者が検証することによって、無意味かどうか、社会的責任を果たしているかどうかは評価されなければならないのであろうが。彼らは自分の専門以外への検証をしたがらず、結果的に大学の組織腐敗が放置されることに陥っているのである。
理工系の研究者達も、進化生物学や文科系哲学の腐敗性を検証すべきであり、これは「長い時間をかけて検証する。」ような悠長な話ではなく、ましてや彼らに任せておいてどうにかなるようなものでもない。
論理的に理解不可能な観念を放置することは、社会的無責任である。特に大学や公的研究機関においては。
◇
ソマティックマーカー仮説の立証実験においては、大脳の前頭葉の奥にある領域が損傷している場合と、そうでない場合での比較検証が行われたらしいのだが。それなら東京電力の原発安全担当者の脳にそんなわかりやすい損傷があったと言えるであろうか。イジメを首謀したり傍観したりする多数の「普通の子供」の脳には必ず損傷が存在しているとでも言うのであろうか。現実世界における「人災」当事者というのは、脳に物理的にわかりやすい損傷のようなものが存在しているわけではなく、普通のヒトは損傷がなくても自律的な社会的責任判断よりも、目先の多数や権威に服従する習性があり、これはソマティックマーカー云々で語れるものではない。ミルグラムによる服従心理実験、通称「アイヒマン実験」において、権威に服従した多くの被験者も脳に損傷があるわけではなく、ごく普通の人達に普遍的に見られるヒトの危険性を無視しても良いことの論証には全くならない。
むしろソマティックマーカーなる無意識性の行動バイアスなんぞを立証しても、本質的な人間性としての自律的な社会的責任判断には結び付かず、立証自体が不毛極まりないことに誰も気付かない頭の悪さを露呈しているのである。
東電原発安全担当者というのは、決して普段からフィニアス・ゲイジのように社会性が欠けた行動を採るわけではなく、むしろ東電幹部達にとっては従順な服従者であった。たとえソマティックマーカーなるものが脳内に存在するとしても、自律的に論理検証し、本能習性気分感情に流されることなく自発的に社会的責任判断を行う人間性が発揮されない限り本質的な人間性など発揮されることはないのである。
先天的本能としての行動バイアスをどんなに陳列枚挙しても、ヒトの危険性の反証には全くならず、ヒトという種の危険性を抑制するのは先天的本能という無意識ではなく、自律的に論理検証するという本質的な意識の働きである。
先天的本能習性に由来する行動バイアスだけでヒトが常に正しい行動を採れるなどという話は、文科系大衆のお伽話であって科学的には実証不可能な観念であることは原理的に明らかなのである。にも関わらず先天的本能習性こそが人間性の論証であると、「ヒトという種の生物=人間性。」という短絡的で安易な帰結に導こうとするのは、もはや大衆迎合を目的とした論理撹乱でしかなく、オカルトでしかない。
多数の大衆マスコミが、オカルトをオカルトであると認識していないのは、平たくいえば「バカ」だからである。
別に哲学史に詳しくなくても、専門知識がなくても、誰でも判別可能な間違いを放置傍観するというのは、イジメにおける多数派と同様、無責任であることにおいて同罪なのである。
無神経で論理統合的思考の出来ない哲学者の多くは、やたらと哲学史から引用することで知識の「量」ばかりをひけらかそうとするが。過去にどのような権威著名人が何を論じたかなどというのは論理的根拠には全くならず、引用だの専門用語を用いずに論理だけで説明出来なければ本質的には哲学でも何でもないのである。
◇
ソマティックマーカーによって、悪いことをしようとすると脈拍が上がったり末梢血管が収縮するとしても。万引き常習犯などは、こうした気分感情的興奮欲しさに万引きを繰り返すのであって、ソマティックマーカーの存在自体が証明されてもヒトという種の生物が常に悪いことをしないことの論証には全くならず、むしろ常習犯的中毒症状の原因ともなっているのである。
どんなに本能習性としての行動バイアスを立証しても、これらは常に無意識なバイアスに過ぎず、自律的に社会的責任判断が伴わなければ「人間としての社会性。」には全くつながらない。これは構造原理的に証明されているものであって、どんなに断片的にご都合主義的こじつけを繰り返しても、不毛と言う以外にない。
○適応する。
生物は環境に適応「する」ものである、と進化生物学者は唱えるが。結果的に適応できた事象だけを捉えて、全ての生物が常にあらゆる環境に適応可能であることを証明した訳ではなく、偶発的に適応「出来た」だけの結果に過ぎず、個体種そのものの意図意識的目的行動選択によって適応「した」わけではない。
未だにこんな簡単な論理すら理解出来ていないポンコツが放送大学では講義しているのが進化生物学の現状であり、あまりに無責任で不適切である。
放送大学の岡部学長は論理回路(電子工学)の専門家であるから、理詰めで検証できそうなものである。専門外だからといって「甘え」て良いことにはならない。一体何のための「学長」なのかわからないではないか。
Ende;
ソマティックマーカー仮説についての論評の一つ
http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/070763somaticmarker.html
このページ↑の著者である池田光穂についてのウィキペディア
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E5%85%89%E7%A9%82
「嘘がばれなければ得。」などというのは、自分が所属する社会への配慮(意識)が欠けた利己的で狭窄な考えに過ぎず。また、「控訴しなかった点において至極誠実。」などという話も、もはや断片的論証にすらなっておらず、無理矢理なこじつけにしかなっていない。
一歩譲ってソマティックマーカーが脳内に存在するとしても、環境や状況によって気まぐれに出現する「誠実さ。」に一体何の価値が存在すると言うのであろう。ソマティックマーカー仮説というものが立証されたとしても、ヒトという種の生物が本能的に常に正しい行動を選択する証明にはならず、単なる無意識な行動バイアスの一つを証明しただけであって、無意識そのものの価値を論証したわけでも何でもなく、存在の有無を議論すること自体が極めて不毛である。
散々食肉偽装をやらかした奴が裁判において控訴しなかったから「至極誠実。」などと形容すること自体、オカルトとしか言いようがない。振り込め詐欺が仲間内で共生関係を持っているからといって社会性だの人間性の論証であるかのように言い張るのと同様、あまりにその場限りの断片的論証に過ぎず。語るに足らない。
現在の哲学者には、人間としての目的意識が存在せず、その場限りにのらりくらりと断片的論証さえしておけば哲学であると完全に勘違いしているため。糞の役にも立たない戯言を陳列し、自分の知識の「量」だけをひけらかすことで権威性を演出し、大衆を丸め込んでいるに過ぎない。
哲学というのは、考えること自体を目的としたものであると定義されているが。ただ漫然とその場限りの断片的論証を重ねていれば「考え」であることの証明にはならない。
統合的で本質的な「考え」が存在すれば、人間としての社会的存在価値や自己存在意義といったものへの配慮が含まれるはずであり、これを伴わないあらゆる断片的論証というのは、ほとんど寝言の類の無意味な言葉遊びに過ぎない。
人間としての目的を持たない議論である以上、何の解答も出て来ないのは当たり前であり、意味がわからないのも当然である。現在の哲学の多くが論理的に理解することが出来ないのは、論理整合性自体が存在しないからであって、別にあなたの頭が悪くて理解出来ないとか、専門外だからではない。
単に現在の哲学自体が論理的ではないからだ。
その場限りに利己的利益の話になっていたり、犯罪者が上告しないことを「(社会的)誠実さ。」だと形容したりするというのは、あまりに支離滅裂で意味が全くない。こんな支離滅裂な話をどんなにたくさん繰り返しても、具体的な犯罪の原因究明にも対策にもつながらないのは当たり前の話であって。こうした支離滅裂な話を哲学だと信じ込んで疑わない多数大衆マスコミの無意識性もまた、現在の哲学腐敗の原因ともなっているのである。
大学の学長や研究機関の責任者が検証することによって、無意味かどうか、社会的責任を果たしているかどうかは評価されなければならないのであろうが。彼らは自分の専門以外への検証をしたがらず、結果的に大学の組織腐敗が放置されることに陥っているのである。
理工系の研究者達も、進化生物学や文科系哲学の腐敗性を検証すべきであり、これは「長い時間をかけて検証する。」ような悠長な話ではなく、ましてや彼らに任せておいてどうにかなるようなものでもない。
論理的に理解不可能な観念を放置することは、社会的無責任である。特に大学や公的研究機関においては。
◇
ソマティックマーカー仮説の立証実験においては、大脳の前頭葉の奥にある領域が損傷している場合と、そうでない場合での比較検証が行われたらしいのだが。それなら東京電力の原発安全担当者の脳にそんなわかりやすい損傷があったと言えるであろうか。イジメを首謀したり傍観したりする多数の「普通の子供」の脳には必ず損傷が存在しているとでも言うのであろうか。現実世界における「人災」当事者というのは、脳に物理的にわかりやすい損傷のようなものが存在しているわけではなく、普通のヒトは損傷がなくても自律的な社会的責任判断よりも、目先の多数や権威に服従する習性があり、これはソマティックマーカー云々で語れるものではない。ミルグラムによる服従心理実験、通称「アイヒマン実験」において、権威に服従した多くの被験者も脳に損傷があるわけではなく、ごく普通の人達に普遍的に見られるヒトの危険性を無視しても良いことの論証には全くならない。
むしろソマティックマーカーなる無意識性の行動バイアスなんぞを立証しても、本質的な人間性としての自律的な社会的責任判断には結び付かず、立証自体が不毛極まりないことに誰も気付かない頭の悪さを露呈しているのである。
東電原発安全担当者というのは、決して普段からフィニアス・ゲイジのように社会性が欠けた行動を採るわけではなく、むしろ東電幹部達にとっては従順な服従者であった。たとえソマティックマーカーなるものが脳内に存在するとしても、自律的に論理検証し、本能習性気分感情に流されることなく自発的に社会的責任判断を行う人間性が発揮されない限り本質的な人間性など発揮されることはないのである。
先天的本能としての行動バイアスをどんなに陳列枚挙しても、ヒトの危険性の反証には全くならず、ヒトという種の危険性を抑制するのは先天的本能という無意識ではなく、自律的に論理検証するという本質的な意識の働きである。
先天的本能習性に由来する行動バイアスだけでヒトが常に正しい行動を採れるなどという話は、文科系大衆のお伽話であって科学的には実証不可能な観念であることは原理的に明らかなのである。にも関わらず先天的本能習性こそが人間性の論証であると、「ヒトという種の生物=人間性。」という短絡的で安易な帰結に導こうとするのは、もはや大衆迎合を目的とした論理撹乱でしかなく、オカルトでしかない。
多数の大衆マスコミが、オカルトをオカルトであると認識していないのは、平たくいえば「バカ」だからである。
別に哲学史に詳しくなくても、専門知識がなくても、誰でも判別可能な間違いを放置傍観するというのは、イジメにおける多数派と同様、無責任であることにおいて同罪なのである。
無神経で論理統合的思考の出来ない哲学者の多くは、やたらと哲学史から引用することで知識の「量」ばかりをひけらかそうとするが。過去にどのような権威著名人が何を論じたかなどというのは論理的根拠には全くならず、引用だの専門用語を用いずに論理だけで説明出来なければ本質的には哲学でも何でもないのである。
◇
ソマティックマーカーによって、悪いことをしようとすると脈拍が上がったり末梢血管が収縮するとしても。万引き常習犯などは、こうした気分感情的興奮欲しさに万引きを繰り返すのであって、ソマティックマーカーの存在自体が証明されてもヒトという種の生物が常に悪いことをしないことの論証には全くならず、むしろ常習犯的中毒症状の原因ともなっているのである。
どんなに本能習性としての行動バイアスを立証しても、これらは常に無意識なバイアスに過ぎず、自律的に社会的責任判断が伴わなければ「人間としての社会性。」には全くつながらない。これは構造原理的に証明されているものであって、どんなに断片的にご都合主義的こじつけを繰り返しても、不毛と言う以外にない。
○適応する。
生物は環境に適応「する」ものである、と進化生物学者は唱えるが。結果的に適応できた事象だけを捉えて、全ての生物が常にあらゆる環境に適応可能であることを証明した訳ではなく、偶発的に適応「出来た」だけの結果に過ぎず、個体種そのものの意図意識的目的行動選択によって適応「した」わけではない。
未だにこんな簡単な論理すら理解出来ていないポンコツが放送大学では講義しているのが進化生物学の現状であり、あまりに無責任で不適切である。
放送大学の岡部学長は論理回路(電子工学)の専門家であるから、理詰めで検証できそうなものである。専門外だからといって「甘え」て良いことにはならない。一体何のための「学長」なのかわからないではないか。
Ende;