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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

普遍「的」。

2011年04月02日 11時02分55秒 | 意識論関連
 カール:ライムンド:ポパーが言ってる「反証主義。」っつうのは、どんなにたくさんの結果を枚挙してきても、それがいきなり普遍性の論理的証明になんぞならんぞっつう話なんだけど。どうもヒトという種の生物の習性として、たくさんあるものとか、今までずっとそうだったっつうことに対する気分的安心が生ずるもんだから。どうしても論理的証明とかいらないんじゃないかって思い込んでる奴が少なからずいる。

 多くのヒトが陥りやすい凡庸な出来事であるならば、それを普遍「的」なんて言い方をする場合が多いけれど。それはあくまで「普遍のようだ。」「普遍っぽいな。」「普遍なんじゃぁねぇかぇ。」っつう話であって。別に論理的に普遍性証明が存在しない場合が結構ある。

 ヒトは、いままでずっと戦争をやめることができなかった。犯罪をなくすことができなかった。理論的に考えることができなかった。観念のまどろみに浸っていることしかできなかった。それをどんなにたくさん枚挙しても、それ以外の行動が絶対に不可能であることの論理的証明にはならない。

 多くのヒトが陥りやすい習性、傾向というものをきちんと認識し、理解し、漫然と習性や傾向に流されることなく、意識的に誤った行動に陥らないように心掛けることによって、誤った結果を回避することが可能となる。

 「多くの他人が陥りやすい過ちであるなら、自分も同じ過ちを冒すかも知れないとしても、気分的には恐くないな。」これは「赤信号、皆で渡れば、恐くない。」と一緒で、単なる芸人のギャグでしかない。

 多くの場合、権威に服従しておけば自分は無責任に何も考えずに行動しておいても「概ね。」問題が発生しない。このことを「普遍性。」証明であると勘違いしている場合が、あまりに多いのである。

 とある人が、こうブログに書いていた。「権威に服従しない社会は崩壊する。」と。

 アイヒマン実験に関する話の後に、これを書いたのである。アイヒマン実験というのは、漫然と権威に服従することによって社会が崩壊する可能性に言及したものである。それを書き込んだ後に、急に全く逆のことを書いてしまうというのは、この人には悪いが「頭がおかしい。」としか思えない。

 だが、現実には、こういう固定観念という「思い込み。」しか論じることのできない人は、決して少なくはない。自分の言っていることが、自分では論理的に理解できていない人は少なくないのである。

 特にマスコミというのは、根本的に文系の人間が中心であるため。理論的な理解をすることができずに、多数の人間と固定観念を共有して満足し、安心して理論的な理解を放棄する。

 こうした理論的理解の放棄というのは、本来理系であるはずの生物学や、生物学に属する脳科学、認知科学においても非常に多く見られる。

 理論的な話ができないなら、それはもはや科学ではない。

 どんなにチンパンジーに人間風味な行動を促す環境を作り出したとしても、そこから人間としての社会性を「立証。」することは構造原理的に不可能である。現実に他の集団の子供を噛み殺すという行動が観察されてしまっている以上、こうした残虐性を「反証。」することは不可能なのである。

 「かもしれない。」と言っているから許されると思ったら大間違いである。おいらみたいな素人であっても反証できるような話を、東大だの京大の教授職が言ってることが許されるわけねーだろっつう話である。

 アホか。





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