NHKでは 脳科学者共による「自由意志は存在しない」などという主張を短絡的に鵜呑みにし そのまま放送した
「任意のタイミングでボタンを押す」という条件下においては 意識的に「ボタンを押そう」と思う前に腕を動かす筋電位が生じたことを論拠にしているのだが この一つの現象だけでヒトの行動の全てが無意識に支配されていて自由意志が全く存在しないことの論証にはならない
とある漫画家がインク壺から溢れそうになった墨汁を ウッカリ口ですすってしまったことも無意識な行動である
「つい」 「うっかり」 「無意識に」口に持っていってすすってしまった
だが 飲み込むまではいかなかったそうである
そこは間違いに気づいて抑制が働いたからである
「間違いに気づいて飲み込まなかった」ことは無意識的条件反射ではない
漫画家は 別に「墨汁を飲もう」としていたわけではなく 日常取り扱う液体の多くが飲み物であることから 液体が溢れそうになった瞬間に無意識に腕の筋電位が反射的に生じてすすってしまった
「つい」「うっかり」「無意識」に行動してしまったことに対し それが間違いかどうかを区別できれば無意識に間違った行動を採らないように対策も可能である
「間違った行動を採らないように対策が可能」という点において目的意識が存在するのであって 間違った行動を事後正当化するための「エピソード記憶」をでっち上げるから「本当の目的」を見失うのである
幼少期から虐待されて育った人は 自分の子供に対しても虐待を繰り返すようになる
虐待を連鎖する親の主張とは 「俺はそういう育て方しかされていない」とか「シツケの一環だ」といった屁理屈をでっちあげて自分の衝動的情動行動を事後正当化しようとする
これらの「屁理屈」というのは 当人の個人的な「常識」に基づいた価値観(好き嫌い)であって 論理客観的根拠に基づいた「正しい行動」であることの論拠にはならない
刑務所で服役している囚人の多くが幼少期からの虐待を受けているという統計的事実に基づけば 虐待というものが社会安全性に対して逆行する「正しくない行動」であることは明らかであり 実際には主観的に苛ついたから衝動的に殴っているだけであるにも関わらず その行動を事後正当化するための「エピソード記憶(嘘)」をでっち上げることで満足しようとしているのである
養老孟司が支離滅裂な屁理屈で大衆マスコミをはぐらかすのも 養老は「私は教科書に墨を塗らされた」などという過去の経験を持ち出して正当化しようとする
宮台真司が生徒に対して「自分で考えるのは10年早い 丸暗記しろ」と言い出した理由が「自分が教師からそう強要された」というものである
虐待の連鎖も含めて これらの屁理屈に共通するのは個人的な体験や経験を事後正当化し 認知的不協和を解消する形で合理性のない理不尽な行動や言動を継続しようとしているのである
「教科書に墨を塗らせる」ことは 教育として正しいと言えるだろうか?
「自分で考えるのは10年早い 丸暗記しろ」と強要することは教育として正しいと言えるだろうか?
「教科書に墨」の場合は幼少期であろうから 大人から強要されれば抗う余地はないとは言えるものの だからといって自分の過去の経験を論拠に発言内容に論理整合性がないことを正当化して良い理由にはならない
「自分で考えてはいけない」教育などというものがあるだろうか
借金までして授業料を支払って教わっている内容に 論理的齟齬 論理整合性が欠けていることを指摘してはいけないというのであれば これはもはや教師の独断独裁である
成績を「人質」にして教師側が一方的に身勝手な正義を振り回すというのは 封建的序列に基づいた盲目的服従を意味するものであり だからこそ日本大学のような組織腐敗の原因ともなったのである
「10年早い」と言うが その「10年」という時間に何か論理的根拠でも伴うのであろうか?
おそらく 10年間何も自分で考えなければ 自分で考えないことに慣れてしまい 何も自分では考えようとはしないバカが出来上がるだけである 実際世の中自分では何も考えないバカが大半である
脳科学研究者が「自由意志などない」と主張したからといって それを鵜呑みにして垂れ流すNHKの番組制作者も 自分では何も考えていないからであり これを野放しにしておいて受信料を一方的に徴収する権利などあろうはずがないのである
養老孟司は「殴られて意識を失うのも 意識が戻るのも自分では自由にならないから 自由意志はない」などと主張していたが
「ついうっかり墨汁を口ですすってしまう」など 確かに意識には自由にならない部分は多いとは言えるものの だからといって意思や意識の全てが存在しないことの科学的論拠になどならないのである
大衆マスコミの大半は 養老の言っていることを短絡的に鵜呑みにしてしまうが これもまた無意識に「つい」「うっかり」鵜呑みにしてしまっているに過ぎない
権威や肩書を持った相手に対し 疑うことに対する観念的罪悪感のようなものが働くバイアスがヒトには先天的に存在しているために ヒトは権威の主張や指示を盲目的に信じ込んでいた方が安心満足感が得られるため ヒトは自分で物事を考えなくなりバカになる
ヒトは 「自分よりも上」と見なした権威肩書の主張や指示には逆らいたくない先天的本能習性が存在しているからこそ スタンレー:ミルグラムによる服従心理実験のような結果が実証されているのである
「滅私奉公」などと称して なにがしかに対する忠誠忠実に服従することに対し ヒトは先天的に美徳を「感じ」る性質がある
美徳とは 要するに脳が快楽を感じて行動に偏りを促す先天的な本能習性による行動バイアスに過ぎない
スケベヲヤヂが水着グラビアを見たがるのも それを「美しい」と思う快楽による行動バイアスであり 痴漢やスカートの中の盗撮なども それが快楽だからこそ行われているのである
スカートの中なら桃月なしこたそだのまりちゅうだのがInstagramで自分から投げてきているんだから それで満足しろよと思うのだが
満員の埼京線で痴漢をやらかすブレーキの効かないバカが後を絶たない
それは自分の頭で考えて行動を選択できていないからである
窃盗症中毒と同じで 痴漢にも中毒性があるらしく 何度捕まっても同じ様に繰り返すようである
大脳辺縁系によって促される情動の強度程度だけで行動が決定してしまい まるで脳の快楽中枢に電極を埋め込まれたネズミのように同じ行動を繰り返す
しかも 止めることができない
学術権威の主張を鵜呑みにして安心していることも 構造的には同じことである
教えられたことを 教えられた通りに答えられれば成績になり 教えられた内容に論理整合性が欠落していたとしても それを指摘すると教師のご機嫌を損ねて「10年早い」などと考えることを放棄させられる「教育」だからこそ 論理整合性のない荒唐無稽なデマや嘘でも鵜呑みにする「学力成績が高いだけのバカ」が世の中の大半を占めてしまっているのである
学歴マウントなどという合理性のない序列や差別が企業に蔓延しているのも 「学歴=知能=人間としての優位性」であるかのような根拠のない観念を鵜呑みにしているバカが多すぎるからである
自分の頭で論理客観的に物事を考え何が真理で何が嘘なのかが判断できればバカは治る
自分の頭がどのようなメカニズム構造によってバカに陥るのかを理解し自覚認識していれば バカにはならずに済むのである
これは学力偏差値とは無関係である
先天的に学習障害のようなものがあって 文字が読むことも書くことも苦痛な人や 自閉症と診断されて発話言語が苦手であれば 学力成績が低いのは必然的な結果だが それは脳機能としては入出力機能の障害に過ぎず 主処理としての論理思考能力とは関係がない
言語能力に長けて言葉巧みに他人を騙させたとしても それを自律的に抑制できないペテン師や ペテン師の嘘が見抜けないからバカなのであって 学力偏差値は無関係である
東大医学部の学生が どうしてオウム真理教なんぞを信じ込んだのかについての検証は実際には全くされていない
原因がわかっていないからこそ 何の応用も効かず 日大の組織腐敗やプーチン政権のような封建的独裁体制が出来上がってしまうことに対する歯止めが全く効かないのである
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