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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

自分だけは。

2012年11月01日 16時13分51秒 | 意識論関連
○封建的上下関係の連鎖。

 家庭内で封建的な上下関係を強要されている子供っていうのは、学校内の教室における他の子供との関係においても封建的上下関係を求めるようになるのよね。

 他の子供の家庭においても同様の封建的上下関係がなければ気分的に納得がいかないので、何が何でも自分が強要されている封建的上下関係を正当化しなければいられなくなってしまうのです。

 結果的に平等とか公平を拒絶するヒトになっちゃうのね。

 イジメを根絶するためには、日本人の「文化」として刷り込み学習された観念から変える必要性がある。

 「親を敬う」というのは、敬うに値する親であることが大前提であって、親自身が自分から子供に「敬え」と強要している時点で親として出来損ないであることを認識すべき。

 右翼思想の元都知事が日の丸君が代を強要して愛国を強要しているのと一緒で、愛することや敬うことを強要するというのは本末転倒。戦前の日本における家庭内での根強い封建的上下関係こそが軍の暴走の原因ともなったと言える。

 石原家なんて封建的上下関係が激しそうだものね。だからヨシズミは自分勝手でワガママなんだろうね。

 仕切りたがりで他人を誘導したがり奴っていうのは、自分自身が親から誘導されてきたことに由来する条件反射的な無意識行動なので。当人にも制御が効かず、機械条件反射的に他人を服従誘導してしまう。

 他人の思考を誘導し、服従行動に陥れることこそが「勝った」ような感覚(錯覚)に陥っているため、麻薬的にやめることが出来なくなっていると言える。

 そもそもあらゆる固定観念的「文化」の類というのは、無意識下に刷り込み学習された固定観念的価値観に基づく気分的安心満足のことを指すのであって、合理的根拠は全く存在しない。

 いうなれば「文化」とは中毒であって、論理検証において「文化」を持ち出した時点で合理的根拠がないことの証明なのである。

 カピバラの集団における封建的上下関係を「掟」などと称して正当化するのが生物学である。こんな動物的行動習性のことを「社会性」とか「人間性」にこじつけるというのは支離滅裂という他ない。これは生物学界自体が封建的上下関係による盲目性に冒されているからであって、論理的検証を排除し、自分達の固定観念に則った都合の良い話だけを取り上げることで体制維持に執着する。それは論理的根拠よりも気分的安心満足ばかりを追求している不純性が原因である。

 ヒトの多くは論理的根拠よりも固定観念に基づく気分的安心満足ばかりを追求しがちである。無意識であるということはすなはち論理的検証性が放棄されていることによる非合理的暴走性を招くだけであり、極めて危険なあらゆる盲目性の根源となっているのである。

 マインドコントロールだの洗脳の類というのは、特定の凶悪事件における「程度」問題に対して形容されているだけであって。実際には家庭内や子供同士、企業団体内部など、あらゆる人間関係における動物的「社会性」において働く盲目性の根源として、ヒトの無意識習性的な思考や行動の同じバイアスが働いているのである。

 ヒトの多くは、大衆観念的には、程度が違えば原因まで異なるものであると錯覚する性質習性があるが。こうした程度問題による観念的区別こそが、重大事象と「ヒヤリ、ハッと」事象を差別し、「全く異なるものである」と思い込むことで、あらゆる危険性が放置され、「人災」という結果に至るのである。

 イジメなどというのは監獄実験やアイヒマン実験の雛形であり、これを放置無視しているからこそ虐待だの差別排除がなくならないのである。

 そもそも国家公務員や代議士になるような者の多くは権力という封建性への執着が動機の根底にあるケースが少なくないため、封建的上下関係をなくそうとか、平等で公平な社会を構築しようなどとは全く意識が働かないのである。

 文明に「寿命」があるのは、ヒトの動物的な社会形成習性に基づく無意識的盲目暴走性が明文化されていないからであり、同じ根源的原因によって暴走破綻に至っていることに誰も言及していないからである。

 ヒトの多くは「自分だけは大丈夫」だと思いたがる性質習性があり、そう思い込むことによって気分的安心満足とか、精神的救済を得ることで思考停止に陥いるという本能的習性が存在するからである。

 洗脳やマインドコントロールを特別な事象であると差別することによって、あたかも自分には無関係な事象であると勝手に錯覚することによって、ヒトの多くは自分達の無意識性、気分的安心満足の追求性を正当化し、結局問題の根源が放置されることに至っているのである。

 ヒトの多くは論理検証思考を放棄して、気分感情のおもむくままに行動することを「純粋」だと錯覚するが。これは権威に対して無批判に服従する迎合性への気分的安心満足を、論理的な安全性と錯覚し、無意識にすりかえていることにすら気付かないという大衆観念に過ぎない。

 動物行動習性的に無意識な条件反射行動に流されていることを「純粋」などと思うのは、既に存在している自己を事後正当化したいという身勝手な願望が作り出した大衆的文化系妄想に過ぎない。

 アイヒマン実験において権威に服従することこそが人間性であると勝手に錯覚しているからこそ、ヒトの多くは権威への無為な服従を無意識にしてしまうのであり、これを純粋さだと言い張るのは身勝手極まりない妄想に過ぎない。

 本能習性というのは動物的な不純な行動原理であり、あらゆる犯罪は動物的本能習性によってもたらされるのである。本質的な人間としての純粋さというのは、本質的な自発性によってもたらされる自律判断が伴ってこそのものである。先天的習性だの社会環境によって無意識に流される行動バイアスこそが、本当の不純性であることを認識「理解」しなければならない。

 「文化」の名を借りて権威服従性や多数派迎合性を正当化することは、いわば社会を破滅に暴走させる合法的犯罪行為なのである。東京電力社内の「文化」こそが福島を地獄に陥れたことを忘れてはならない。「文化」とはすなはち組織の「体質」を正当化する際の言い逃れに使われることの方が圧倒的に多いのである。



Ende;

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