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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○訳のわからぬ話。

2017年07月11日 14時03分35秒 | 意識論関連
朝霞の少女監禁事件の寺内樺風容疑者は公判で次のように述べたそうな



○「結局何が悪かったのかわからない」

他人を監禁することが悪いことだという自覚がないって 自律的な社会的責任判断とかそういう論理性が完全に崩壊していて訳がわからない



○「美術品を盗むよりは断然軽い罪だと思っていた」

軽い罪なら犯して良いとでも思っているのかしら

一人の社会人としての自覚というものが全く欠如しているので これは刑務所で服役させても治らない

裁判で「懲役何年」とか判決が出ても 根本的な人間性が育っていないことが問題の根源にある

他人の存在価値や、主体的意志というものを尊重しないのは。そもそも自分自身の存在価値や主体的意志がないからであって、育て方に問題があったのである。

それなら「親が悪い」という話になるんだろうけども

子育てなんて誰も習ってもいないんだから、誰もが初心者だし、教育評論家の尾木直樹も自身の長女が「いい子症候群」に陥るという失敗をしているくらいなので。大事なのは失敗例を踏まえて社会的教訓として生かすこと。



今まで何度も述べてきたけど

自律というのは自発的思考の中にあるので、親大人からの評価ばかりを強制された育て方をすると、他人の顔色ばかり窺う評価承認中毒に陥り、自律的な社会的責任判断選択を全く行わなくなる。

こういうのが東京電力福島原発の安全管理担当になったりすると、原発の暴走を招くことに陥るのよ。



ところが今の学校教育における倫理や道徳というのは、観念論ばっかり陳列するだけで、「悪いことをしてはいけません。」などという幼稚園レベルの話しかしていない

独立行政法人理化学研究所における論文捏造問題の時にも、倫理の徹底と称して「論文を捏造してはいけません」などという、およそ大学院を卒業したような研究者に言うような内容ではなかった。

どんなに学力偏差値が高くても、人間性の論証にはならないし。ましてやクイズの正答率なぞ糞の役にも立たない。



約束事をなぜ守らなければいけないのか。

それは他人が約束事を守ってくれないと自分も迷惑だから、お互い約束事を守りましょうという、至極当然の理屈に基づくものであり。

「ばれなきゃ良いじゃん。」というのは無責任な子供の理屈でしかない。

「○○よりは罪が軽いと思った。」なんて話も、要するに「軽い罪なら罰も軽いので、怖くない」という意味が含まれている。

「自分の欲望が満たされるならば、多少の罰は甘んじて受けても構わない。」とでも思っているのだろう。

行動規範が「怖いかどうか」では、そこに論理検証が全く入り込む余地がなく。必然的に自律的な社会的責任判断選択も出来ないし、最初からするつもりもない。



昔、連続幼女殺人事件で宮崎勤というのがおってな、こいつも「自分にとって快楽を感じることは、正しいこと。」などという訳のわからぬことを平然と主張していたそうな。

こういう自律のない人っていうのは、実際に犯罪が露顕している陰に無数に存在していると考えるべきであって。

ヘタこくと「国民の大半には自律がない。」なんてことも充分有り得る話ではある。

そうなると自律もすったくれもあったもんじゃないので、何を述べても意味はないだろう。

自分や親族が犯罪に巻き込まれてから憤慨しても遅いんだけどね。

まあ、それはオラの責任ではないので知らんけど。

Yahoo!ニュース


Ende;

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