「自然界の生物の先天的習性というのは全て必然性があるが ヒトの先天的習性には必然性がないのは理性があるからだ」
これが生物学者達の屁理屈である
ヒトの先天的習性に必然性がないのは先天的な結果であり それに対して自然界の生物というのは習性に必然性がない種は淘汰されていなくなったからであり 過酷な淘汰圧力によって「洗練」されているからである
自然界においては必然性のない行動習性や性質を持った個体は淘汰対象である
つまり 先天的遺伝疾患を持って生まれてくれば問答無用に死ぬだけであり 結果的に生き残った自然界の生物というのは行動習性も含めてあらゆる性質に必然性が伴うことになる
これが遺伝的進化というものの実相である
しかし ヒトはその限りではない
先天的遺伝疾患を持って生まれてきたからといって 優性思想に基づいて淘汰してしまえば人間性も精神もヘッタクレもあったものではない
遺伝的な突然変異が生ずるのは 生物進化の過程において必然性があるが これは進化においては必然性があるが そもそも生物進化というものは目的や意図があるわけではなく 生物の進化の歴史においては何度も絶滅や破綻に至ったケースは 進化的成功よりも圧倒的に膨大に多いのである
遺伝的進化というものは 言うなれば膨大な無駄死にの上に成り立つ洗練された必然的結果であって 合理的目的や意図のようなものが存在するわけではない
そもそも自然界の生物における行動習性に必然性や合理性があると言っても それはあくまで「生存価において」という限定的価値観に基づく合理性や必然性に過ぎない
個体種の生存価を絶対的な基準とするから優性思想に陥るのであって 自然界の過酷な淘汰圧力ありきの合理性や必然性を そのまま人間社会に持ち込むのは非常に乱暴で危険な短絡的発想である
先天的疾患などによって生産性も繁殖能力も持たない個体が生まれてきたからといって これを短絡的に「生存にとって合理性や必然性がない」と称して淘汰するのが優性思想である
死にさえしなければどんなに残虐でも正当化できるのが「生存にとっての合理性や必然性」であって こうした生存絶対主義によって優性思想というものが作り出されるのである
現在の生物学界というのは生存価における合理性や必然性だけが絶対的価値として扱われており これはもはや科学でも何でもない 生存だけを唯一の目的とした一種の宗教である
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「欲望自体を欲することは出来ない」のがヒトだが 欲望を選択することは不可能ではない ヒトの様々な欲望の中から統合的に安全性や持続可能性を基準に選択を行うのは理性である
ヒトの先天的行動習性に合理性がないのは「結果」であって 別に理性があるかどうかとは無関係である
そもそも先天的行動習性というものは理性によって作り出されたものではなく 偶発的変異の結果に過ぎない
先天的行動習性に欠陥があるとしても これを補うことができるのはヒトに理性が存在するからであって 理性なしに人間性に基づいた合理的行動選択などできるわけがないのである
従って「理性があるから行動習性に合理性がない」という話は根本的に間違っているのである
そもそも「必然性」というのは「合理的かどうか」を意味するのであって 理性を抜きにして必然性を語るのは自己矛盾も甚だしい
現在の生物学者達の大半は自然界における「生存合理性」を絶対的な価値と見なし 自然界の生物における「結果」を事後的に正当化するための屁理屈をこじつけているに過ぎない
だから優性思想への論理反証も一切出来ないばかりか むしろ優性思想を正当化しかねない屁理屈をこじつけるばかりであり もはや科学としての社会的役割を放棄したオカルトにしかなっていないのである
文科系マスコミの多くも論理的証明よりも学術権威の多数決や目先の主観的「面白さ」ばかりを基準に取り上げており 極めて偏った報道しかしていない
目先の流行や学術権威者の多数決に流されることなく論理的公平性や中立性といったものがマスコミには求められるはずであり これを欠いたが故に招いた重大な過去の失態を教訓とすべきなのだが 論理的検証の苦手な文科系マスコミ者達にはそれは優先度が著しく低く見積もられているのである
「起こったことの全ては必然である」と称して既存の社会体制を事後正当化するための屁理屈をこじつけていれば進歩は失われる
その「社会体制」には現状の生物学界や哲学界も含まれるのである
Ende;