アフガニスタンのイスラム寺院で起きた自爆テロは
子供が持ち込んだ靴磨きのカバンが爆発したという
ISILは子供を利用して自爆攻撃をしたらしい
コイツらは「有神論者」に分類して良いのかね
大半のムスリムは「アイツらはただのキチガイだ」と思っているんじゃないだろうか
死後の世界での神からの祝福や永遠の命欲しさに現世の安全性に責任を負わないようになるのが宗教の危険性で
念仏が流行すると自殺者が増えたこともあったという
ヒトという種の生物は どうしても暴力的懲罰こそが絶対的な「正義」だと錯覚する習性があって
「本当の目的」を簡単に忘れて先天的本能欲望としての懲罰感情だけを満たすことで頭がいっぱいになってしまう
梅沢富美男が言う「こんな奴は死刑にしちまぇ!」と怒鳴り散らすことで衆愚から人気を得られるのも 懲罰さえ実行しておけば全てが解決したかのような感覚(錯覚)だけが意識の全てだと勘違いしているからである
何度も言うが 感情(情動)というものは先天的な本能習性によるものであって 「欲望(情動)自体を欲することはできない」のであって 欲望(情動)が選択不可能である以上 欲望には目的も合理性も何もないのである
欲望や感情や情動というものは あくまで遺伝的進化によって結果的に組み込まれた本能習性であって 祖先の生息環境の影響を色濃く反映した「結果」的な行動バイアスであり シーケンシャルで無意識なものに過ぎず 合理的目的など存在していないのである
先天的本能や形質というものは 「生存」にとって合理的なものが存在するとしても そもそも生物やその遺伝的進化というものには目的も合理性も戦略も存在しておらず ただの「生存」という結果に対する必然的なものに過ぎない
イジメというものも 「皆で仲良く誰かを暴力的に差別排除すること」に「満足感がある」からであって
イジメで「満足」できるというのは先天的な差別排除(民族浄化)バイアスが存在するから「楽しい」と感じられるのである
論理客観的に見れば 暴力的懲罰は何の「解決」にもなっておらず 原因究明にも再発防止にも一切なっておらず むしろそれら合理性のある対策への障害にしかなっていないのである
「へずまりゅう」だの凶悪殺人犯といった「社会的責任を全く負わないバカ」を目の当たりにすると 誰であろうと「コイツ死ねよ」と主観的に「思う」ものである
だが 主観的に「思った」からといって合理性の立証にはならない
たとえ多数であったとしてもである
「科学は多数決ではない」ということは そもそも「真理は多数決で決定されるものではない」ということでもある
哲学においてもこれは同じであって 多数人気がどんなにあっても哲学的真理の論証にはならないのである
ヒトとい種の生物の脳には 認知的な錯覚というものが存在しており 錯覚というものは主観的感覚によるものであって 主観的感覚が促す錯覚を 錯覚として客観的に理解することで 錯覚に惑わされずに合理的判断をすることができるようになるのである
これ いちいち言わないとわからんか? 説明しててアホらしくなってくるわ
まあ いいや
ヒトという種の生物は この錯覚という主観こそが真実だと錯覚することが多いため イマヌエル:カントの「純粋理性批判」のようなオカルトファンタジーであっても論理的根拠に基づいた真理を論証した「哲学」だと 平気で信じて疑わなくなるのである
ヒトは 「答え」を求めるのだが
その「答え」というものには多くの衆愚は論理客観性のある合理的根拠や証拠は求めていない
「答え」は欲するが その「答え」が「本当に正しいのかどうか」はどうでも良いのである
では 衆愚が求めているのは何かといえば 主観的満足や安心だけであって 満足安心さえできれば「答え」が絶対になってしまうのである
本当に求めている「答え」には 論理客観性に基づいた合理的「真理」でなければ意味がないのだが
衆愚というのは物事を深く考え 「本当に求めている目的」が何なのかは「考え」ようとはしない
「考え」ようとはしないからこそ「衆愚(バカ)」なのである
進化生物学上の誤謬が明らかにされ 生物はその遺伝的進化には目的がないことが証明された以上 ヒトの先天的情動にも合理性も目的もないことは明らかである
情動には目的がない以上 懲罰報復感情に基づいた司法刑罰にも合理性は存在しないのである
自殺というものが社会安全性や持続可能性にとって害を為すことは明らかである
だが だからといって生き続けていたい者の社会持続可能性のために死にたいと思っている者に無理やり生存を強要する権利もないのである
それは「生き続けていたい者」の身勝手なエゴに他ならない
死にたいと思うその最大の原因は 他人から生きることを強要される不自由そのものである
自由を奪われただ「生きていろ」と強制されても 生殺しにしかならない
誰も生存原理主義者の奴隷になるつもりはない
Ende;