誹謗中傷を繰り返す奴ってのは 自己肯定感の欠如による劣等感を埋めるために他人に根拠のない誹謗中傷をすることで紛らわそうとしているんだよね
誰かを誹謗中傷している間だけは自分の方が優位に立ったような錯覚に陥って満足することができる
本人は正義だと思いこんでいるんだけど 客観的には何の根拠もなくて 個人の主観的な「嫌い」が正義にすり替わっているだけ
個人の主観的好き嫌いだけで誹謗中傷している場合 言動が「死ね」だの「消えろ」だのといった感情的で短絡的な言葉以外何も出てこない
具体的 論理客観的な根拠に基づいて何かを批判しているわけではないので 結局感情的でバカ丸出しの感情的な誹謗中傷にしかならない
芸能人だのアスリートといった 社会安全性とは無関係な「有名人」への誹謗中傷をするのは 「自分よりも優れた人」とみなした相手を誹謗中傷することで自己の劣等感を慰めることが目的であって 社会的意味(正義)は全く存在しない
時折芸能人とかが誹謗中傷に耐えられずに自殺したりすることがあるけど ヒステリックな誹謗中傷なんてのは詐欺と一緒で内容は薄っぺらで何もなくて ただ感情的に「死ね」だの「消えろ」だのといった幼稚な感情論の羅列以外何もなく
要するに「感情的な威圧」を真に受けてしまうから 根拠のある批判と勘違いして感情的に凹んで自殺してしまう
自己肯定感の低い糞DQNなんてのは世の中に一定数いるものであって 具体的な根拠を示さない誹謗中傷の類いなんてのは「病人じゃん」と理性的に区別すべきであって どんなに感情的に相手が怒り狂っていても そんなもん「勝手に怒っとけ」と無視すべきである
理不尽な誹謗中傷を真に受けてはいけない
若い女子が自分の全裸写真をネットで送ったりすることもあるけど これもまたヒステリックな感情論に根負けして理性が働かないことが騙される原因
ヒトって相手が感情的に怒鳴り散らしてきたりすると 感情の強度程度に根負けして いわゆる「観念」することで相手の主張を鵜呑みにしてしまう習性がある
論理客観的な「理解」とは別に 主観的 感情的な「観念」であっても ヒトは「わかった わかった そんなに言うなら従うよ」的に折れてしまうことはよくある
でも 本当は何も論理客観的には「わかって」などいないのだ
こうした観念的な「わかった」感というのは 小さな子供が大人に従う時に「怒られるから 怖いので 従う」という行動と一緒で 合理的根拠は何もない
ヒトの多くはこうした観念的「わかった感」でしか物事を判断していないため 大学の哲学科でイマヌエル:カントの「純粋理性批判」を説明されても 誰一人「これ 論理客観的根拠が著しく抜けてね?」とは思わないようになる
ヒトは権威 すなはち「自分よりも上」とみなした相手の言っている内容を疑わないことの方が気分的に安心で 学術権威を批判しても誰も理解はせず 頭ごなしに「権威を批判するのは良くないこと」という短絡的(観念的)レッテル貼りをして無視しようとするものである
権威とは 要するに盲目的に信頼して何も疑わずに鵜呑みにしておけば主観的に安心満足な相手のことを指すのであって これが科学的批判精神を不具にしてしまうヒトの先天的本能習性による欠陥でもある
相手を権威とみなしてしまえば ルカチェンコだろうがヒトラーだろうが麻原彰晃だろうが構わなくて 盲目的に信頼して服従することこそが安心なので ”安心=正しい”という方程式に基づいて条件反射的に機械のように従う統率集団組織が構築できるのである
ヒトという種の生物は 先天的に人間としての欠陥を持っているものであって だからこそ様々な「人災」が後を絶たないのである
「刑法判決で解決だ」という短絡的結論以外が何も出てこないので 論理客観的な原因究明も それに伴う再発防止の対策も一切進まないことになる
だから根拠のない誹謗中傷までもが「言論の自由」の名の下に野放しにされ続け しかも受けた方も根拠のない誹謗中傷に過ぎない「キチガイの屁理屈」に観念して自殺したりしてしまう事が後を絶たない
誹謗中傷で自殺した方の遺族には申し訳ないが これは加害者も被害者も両方「バカ」げている
詐欺と一緒で 騙される方にも原因はある
誹謗中傷などで自殺が繰り返さないためには 「死ね」だの「消えろ」だのといった幼稚で感情的な言葉を大量に使ってくる相手は「幼稚な病人」だという認識を持つべきである
主観的感情によって促される「錯覚」に惑わされることなく 論理客観的根拠を伴う批判以外は耳を貸すべきではない
批判があっても気分的に凹む必要はなく 間違いを訂正すれば良いのであって ヒトである以上誰もが間違えるものであって 間違えたことを自体が悪いのではなく 間違えたことをごまかしたり すりかえたりして事後正当化して満足しようとすることが「本当の間違い」なのである
ヒトは誰しもが先天的に「人間として欠陥品」なのであって 先天的本能習性に惑わされて真実を見誤ることがあると認識すべきである
Ende;