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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

錯覚

2021年04月20日 23時11分31秒 | 意識論関連

泥酔して大騒ぎをしてもストレスの解消にはならない

実際 泥酔して大騒ぎをするようなバカは 泥酔しようがしまいが自律的な社会的責任判断選択は出来ず 抑制というものが効かない

他人への迷惑に配慮出来ない時点で既に抑制が効かず たとえどんなに泥酔して他人に迷惑をかけてもストレスが解消することはなく 際限なく他人に迷惑をかけ続けなければならない

だから バカというのは際限なくバカなのである

私が論じている「バカ」とは 学力偏差値や学歴の話ではなく 人間としての倫理や人間性を発揮するための自律的な社会的責任判断選択が可能かどうかを論じているのである

どんなに学力偏差値が高くても 自律的に社会的責任を負うことをしないのであれば これはただの「学力が高いだけの無能なバカ」に過ぎない

人間の社会というものは 個人が自分の社会的責任を負うことで成立しているのであって これが全うできなければ学力偏差値も何も人間としての賢さの論証には一切ならない

他人の存在に頼らず 1人で黙々と熱中できる純粋行為を持たないからこそ 他者に対して自分の存在を必死になってアピールし続けなければならないのである

泥酔して大声で騒いでいれば あたかも「他人よりも自分の方が自由だ」と錯覚することも可能ではあるが

それは錯覚であって 本質的には何も「自由」ではない

他人との比較において「俺の方が自由だ」という基準自体が 他者との関係性の中でしか見出すことの出来ない価値観であって 本当の意味で「自分が楽しい」と感じているわけではない

仏教で言う「外道」である

中東由来の一神教信者の多くは 「自分が信じている宗派の方が優れている」と主張し 他者よりも自分達の方が優れていることを主張したがり 異教徒に暴力を振るう

自分が既に信じている宗派を事後正当化するために 異教徒を蔑み排除差別をすることで認知的な不協和を解消する形でシーケンシャルに異教徒に罰(暴力)を振るうのである

しかも 終いにゃ「神がいないなら何をしても赦される」などと自律も何もない幼稚な屁理屈を言い出す始末である

社会安全性や持続可能性というものは 神がいようがいまいが関係がないものであり 神が求めているものではなく 人間が求めているものなのであって 神は関係がない

こうした排除差別による罰や暴力を用いた行動というものは 宗教に限ったものではなく 軍事政権や独裁国家にも普く見られるヒトのシーケンシャルな先天的習性に他ならない

武力を用いて他者を抑圧することで 自分の方が有利になったような錯覚を感じるため 独裁者は必死になって他者を抑圧することばかりに異常執着し 暴力の暴走を招くことに陥り 最終的には破滅に陥ることになる

他者との比較における優越感というものには自己の主体的な楽しみとは全く別物であるため どこまで比較しても際限というものがなく 永久に満たされることのない泥沼であり 故に「やめることが出来ない」中毒的な執着性を発揮することになるのである

ナチス政権下同様 独裁というのは破綻に至るまで暴走を自律的に止めることは出来ないのである

 

自分が満たされないことを他人の所為にし 報復的に他者にどんなに迷惑をかけても 他者との比較に依存している限り本当の満足を得ることは出来ない

他人をどんなに思い通りにコントロールできたとしても その自分自身の情動がコントロールできなければ本当の自由にはなれない

他人から搾取すれば その関係性だけを見れば優位性だとみなすことは可能だが

他人からの搾取というのは持続可能性がなく 社会全体から客観的に見た場合には「身勝手なクズ野郎」に過ぎない

「身勝手なクズ野郎」に対して尊厳を見出すことが出来ない以上 自分自身が「身勝手なクズ野郎」な行動をしていて自己に尊厳を持つこともできないのである

他人に迷惑をかければかけるほど 自己肯定感は失われることになり バカは益々バカげた行動へと暴走を始めることに陥るのである

既に行ってしまった行動を事後正当化し 認知的不協和を解消する形でバカは暴走するのである

ミャンマーの軍事政権 香港や中国による民主化抑圧 北朝鮮や戦時中の日本やナチス・ドイツに見られる身勝手な暴走は 程度の差こそあれ構造原理的にはそこいら辺で酔っ払って騒いでいるバカの暴走性と根っ子は同じである

バカが暴走するのは カルト宗教の洗脳と構造的には同じものであるため バカは自らの頭の悪さを自覚することが極めて困難になる

ヒトという種の生物には そういった先天的な「人間としての欠陥」が存在しているのである

決して「ヒトには先天的に人間としての社会性が組み込まれている」わけではなく 山極寿一ら生物学者達による主張は大衆迎合であって科学的根拠を伴わない勝手な「決めつけ」でしかないのである

大衆やマスコミの多くは「ヒトは先天的に優れている」かのような話をしておけば満足し その主観的満足を根拠に科学的真理であるかのように錯覚しておくことは簡単であろう

そうした簡単なことに溺れているから真偽が見えなくなるのである

 

 

Ende;


興奮

2021年04月20日 10時36分49秒 | 意識論関連

久しぶりにラブリちゃんの記事がランクインしたので

「ラブリ」でググってみたら同性への猥褻行為の疑いで書類送検されとった

まだ「疑い」の段階なので真偽の程は不明だが

 

同性であろうと異性であろうと 性的興奮っていうのは少なからず暴力性が伴うものであり

相手が嫌がることに対する嗜虐性で興奮する要素が否めない

どうしてそんな習性が進化的に組み込まれたのかは祖先の置かれた環境や行動の結果としか言いようがない

幼女性愛傾向が脳の肥大に影響した可能性というものあり 本来成熟してなを外見が幼い配偶対象を選択した結果として幼形成熟をもたらした可能性があるからといって 本当に幼女を強姦して良い理由には全くならない

先天的本能習性という選択不可能な欲望や煩悩に踊らされていて自由もスッタクレもないのである

にも関わらず「進化は人間よりも賢い」などという非科学的妄想観念を鵜呑みにしていているのではバカとしか言いようがなかろう

以前早大の学生サークルによる集団強姦事件というのがあったが 集団組織的に協調して先天的欲望を満たしていたのではバカとかしか言いようがない

言っておくが 先天的欲望に過ぎない性欲というのは遺伝的進化によって促されているものであり そんなものが「賢い」などという話は あまりにバカげていて語るにも足らない話のはずである

集団組織的に強姦を繰り返していたほうが繁殖や種の保存の観点だけからは合理的であると言うことも可能であろうが ヒトの目的は単に繁殖だけではなく 安全性や持続可能性や自己実現といった様々な観点から統合的に目的を選択することなしに人間性も倫理もヘッタクレもあったものではない

「吊橋効果」による興奮状態が繁殖行動を促されているとしても その行動バイアスに過ぎない恋愛感情というものには論理的合理性は一切ない

ジェットコースターなどの絶叫マシンで興奮したがるのも 合理性はない

フォートナイトのような殺人ゲームで楽しむことにも合理性はない

先天的に組み込まれただけの本能習性や感情には合理性は伴わないのである

いや 別にフォートナイトを否定するわけではなく むしろゲームを楽しむために社会安全性にも配慮できれば良いのであって

主観と客観の区別が出来ていれば真実を見誤らずに済むのである

 

 


Ende;


本能習性に目的はない

2021年04月20日 09時52分38秒 | 意識論関連

ある種の魚がカミさんのご機嫌を損ねない行動を論理的に予測していることは間違いないと考えられるが

「遺伝子を遺すため」などといった目的にとって合理性を「考えている」などというのは生物学者共の勝手なこじつけである

ヒトが時折強姦殺害などを行うことがあるが これは先天的本能習性が結果的に繁殖に適し 種の保存につながったという「結果」であって 先天的本能習性としての性欲自体に「自分の遺伝子を遺そう」といった合理性は存在しないのである

魚がカミさんのご機嫌を損ねたくないと行動を選択しているとしても それが「自分の遺伝子を遺したい」がために合理的に考えて選択している行動であるとは言えない

東京電力社内において 上司のご機嫌を損ねたくないが故に原発の津波に対する脆弱性を放置したことも 「組織の中における保身のため」といった合理性をこじつけることは可能である

振り込め詐欺師が統率的協調性を発揮して役割分担をすることも 集団組織全体にとっての利益には適うとは言えるが これを果たして「賢い」と言えるかと言えば むしろ目先の集団仲間への気分的忖度 恐怖心などによる行動に過ぎず 社会全体から見た論理的な合理性はない

イヌ科の動物が集団組織的協調行動を採ることも 獲物を採るためには合理的だと言うことは可能だが それが原因でメスが集団の中では子供を育てることが出来ない非合理性を肯定することはできない

ならば 魚がカミさんのご機嫌取りを優先するために合理的行動選択をしていることも 単なる恐怖心や忖度といった行動バイアスによる結果に過ぎないと考えるべきであって 「自分の遺伝子を遺すため」などという理屈は論理の飛躍が甚だしく こじつけ以外の何物でもない

目先の嫌な気分を回避せずに 統合的な目的意識に基づいた行動選択をしないことには 本当に物事を「考えて」いるとは言えず 到底「賢い」などと形容することはできない

どんなに巧妙に幼女強姦殺人などの犯罪を成功させても それは何の役にも立たず 人間として満たされることもなく むしろそれこそが自己肯定感を損い 物事を考えなくバカを加速させるのみである

生物学者共がどんなに巧妙にマスコミや大衆をはぐらかして「遺伝的進化は万能だ」と主張しても むしろ科学を逸脱するための大衆迎合にしかなっておらず それは短期的には金儲けや外見的権威性の保守には適うとは言えるが 到底「賢い」行動とは言うことができない

多数派への迎合 集団組織への忖度といったものは 短期的には利益に適うと言うことは可能だが それこそが科学的論理思考を放棄する大きな要因となるのである

現状の生物学界や哲学界というのは 振り込め詐欺と同様ペテンで権威性を保守している集団であって 統率協調的 組織的に嘘をひけらかしてバカな大衆やマスコミを騙して研究費の無駄遣いを続けている悪辣な集団である

そもそも遺伝子などという概念はメンデルが主張してもなを誰も興味を持たなかった概念であって そんなものをヒト以外が「自分の遺伝子を遺そう」などという目的意識に基づいて合理的に行動選択しているわけがないのである

あくまで結果的に自己の遺伝情報が遺るような行動習性を持った個体種への淘汰圧力の結果として あたかも遺伝情報を保存することに合理性のある行動を採る「こともある」に過ぎない

生物学的な「社会性」を発揮することによって 獲物を効率的に捕獲するための合理的方法を「考えて」いるとは言えるが それはあくまで統率協調的行動に対するバイアス(快楽)が組み込まれているために その快楽欲しさという「目的」のために「考え」て行動選択をしているとは言えるものの

振り込め詐欺に同調服従していて「賢い」とは到底言うことができないのである

生物学者の多くも権威に忖度同調しておいた方が 短期的には保身に適うとは言えるであろうが それは科学を逸脱したペテン組織への迎合でしかなく 目先の安心を「目的」とした身勝手な行動選択である

 

 

Ende;