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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○官製詐欺。

2018年04月26日 14時33分58秒 | 意識論関連
現在の道徳教育の内容というのは大人にとって都合の良い事例だけを陳列することで 遠回しに子供を従順で扱い易いように誘導したいだけなのがまる見えである

ちょっと頭の良い子供(学力とは無関係)なら こんな道徳教育は大人や社会に対する不信感しか醸成しない

礼儀と称して「大きな声で挨拶をしましょう」などというのがあるが 連続殺人犯の多くは挨拶などの外見上はキチンと「正しい人」を装うことが出来るものであり 出来るからこそ誰にも気付かれることなく連続殺人が可能なのである

詐欺師も同様である 詐欺師は外見上だけなら礼儀正しく真面目な人物を装うことが出来るからカモを騙せるのであって 上っ面な表面的「礼儀」なんぞ人間性とは無関係なのである

表面的な礼儀などというのは商売上の話であって、むしろ最近では虚礼廃止も推進されており、ほとんど意味を為さない

北朝鮮政府が外交儀礼を踏襲したからといって、約束守らないのも同様である

生れつきの性格として気持ちが繊細で大きな声を出すのが苦手な子供というのもいるのであって 単に挨拶が形式的に「キチンとしている」かどうかは人間性や倫理とは全く無関係な話であり。むしろ個人の個性や性格を蔑ろにする要因にすらなる

イジメをしている生徒の多くは表面的儀礼だけは取り繕うことが出来るものであり だからこそイジメが発覚しずらいのである

イジメというのは先天的な集団的な統率協調行動の暴走であり、先天的な協調性があるからこそイジメが苛烈になるのである

「かわいそうだから、いじめない」などという話も それなら「かわいそうだと思わなければいじめても構わない。」という話になってしまうのである

単に気分的に「かわいそう」かどうかなどという感情論で行動が決定してしまうからこそ、幼稚で浅はかな行動を平気で行うようになるのであって 相模原障害者施設虐殺事件の実行犯は障害者を「かわいそう」だとは思わなかったからこそ虐殺を行えたのである



道徳教育の教科書を一体誰が書いているのか知らないが あまりにも内容がお粗末で意味がわからない

倫理や自律的な社会的責任判断力、人間性とは何かについて全く言及しない現在の道徳教育というものは教育者の労力の無駄遣いにしかなっていない

倫理教育においてもマヌケな話が非常に多く、理化学研究所では「論文を捏造してはいけません」だの「嘘をついてはいけません」などという、幼稚園レベルの話をしているに過ぎない

本当の人格、人間性や倫理というものは、個人の自発性の上に成り立つものであって、漫然と「ああしろ、こうしろ。それはダメ。」などという形式的強制でどうにかなるようなものではない

犯罪者の中には、自分の犯行の一体何が悪いのかすら認識していないケースというのも多く。少女誘拐監禁事件の寺内樺風も「美術品を盗むより軽い罪だと思った。」などと平気で法廷で言い出す始末である

そもそも「軽い罪なら犯しても構わない」という発想自体が人間のクズの発想なのだが、罰に対する恐怖心より欲望が大きければ「甘んじて罰を受けてでも欲望を満たしたい。」という自律的な社会的責任判断力の欠如というものが、どのようにして作り出されるのかまで検証し、今後の教育にまでフィードバックさせるべきなのである

にも関わらず、刑法裁判では懲罰科料を決定するだけで、犯人自身に罪の自覚がない悪質な場合であっても、誘拐監禁ならたった9年で出所してきてしまうのである

勿論例にもれず合理的更正治療も原因究明も一切行われないままである

こうした全く合理性のない刑罰を唯一絶対の再発防止策か何かと錯覚したり、気分感情論で子供を誘導しようとする道徳教育で人間性が育つと勘違いしているのは、極めて社会的に無責任である

従来文科系「哲学者」と分類されてきた研究者の多くは、亀山郁夫による「ドスト:エフスキーの読書感想文」を本気で哲学上重要な内容だと錯覚妄想してきたポンコツばっかりであり。本当の倫理や教育について深い考えを持っているのは危険学者の畑村洋太郎や物理学者のアルベルト:アインシュタインである

文科系「哲学者」というのは、主観的に「素晴らしい」だの「カッコイイ」といった観念を基準とした非合理な「解釈」に基づいた評価しか出来ないデクノボウばかりで、こんな奴らに道徳教育を丸投げするべきではない

「哲学者」の誰一人としてフランシス:ゴルトンの優生学に対する論理反証すらしてこなかった哲学界の怠慢無能を認識すべきである

人間性や倫理というものは、特定の道徳教育だけでどうにかなるようなものではなく。教育全般において子供の自主的主体性を重んじなければならず、成績偏差値を抽象化された「エサ」として過度な競争を強いる教育上の「文化」から改める必要性がある

脳科学者の川島隆太は「強いて勉めるのが勉強だ。」などと言っていたが、あいつは認知症患者の症状改善に「小学生向けドリルをやらせて誉めることが効果的だった。」ことを根拠にそんなことを言い出しているに過ぎず。全く合理性も科学的根拠もない主観的な「実証不能の観念」に過ぎない。

強いて勉めることで人間性が養われるのであれば、どうして原発の津波に対する危険性は放置されたのか。どうして新幹線の台車の亀裂が放置されたまま通常高速運転が行われたのか。福知山線脱線事故の教訓が一切生かされていないのはなぜなのか。この説明をするためには畑村洋太郎による社会心理実験は必須であろう

それとも文科系「哲学者」達の無能を隠蔽するために「コンセンサスが得られない」だけだとすれば、これは北朝鮮政府の体制維持体質と何ら変わりはない詐欺行為である




 ◇追記:ちなみに2017年の再犯率は48.7%で過去最悪

 ◇追記2:2017年の再犯率は過去最悪だけど 犯罪認知件数自体は減っているのかなと思って調べようとしたんだが なぜか2017年のPDFしかダウンロード出来なかった

2017年の刑法犯総数
 認知件数:915,042
検挙率:35.7%

犯罪認知件数のおよそ1/3しか検挙に至らず、しかも再犯率はおよそ1/2

これ抜本的に改善しないといつまでもしょうもない犯罪が繰り返されるぞ




Ende;