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オカルト生物学。

2013年05月13日 13時46分05秒 | 意識論関連
○オカルト生物学。

 「脳が編み出した生存方法。」など、あたかも大脳辺縁系に組み込まれた本能の全てが絶対的に生存や種の保存に適した行動以外を促さないかのように言い張るのは、オカルトであって科学的論証ではない。

 現在の生物学では、「生存戦略。」などという概念に異常執着するが、生存というのは自然淘汰の「結果」であって、目的や意志によって選択されたものなどではない。

 生物種としての優位性だの、本能習性を事後正当化する現在の生物学は、科学としての社会的役割を放棄しており。オカルト的な大衆迎合にしかなっていない。

 マスコミもまたこうした現在の生物学の大衆迎合を鵜呑みにしており、共犯と言える。

 特定研究者が述べていることを、何の論理科学的検証もせずに垂れ流しをするというのは、無責任極まりないペテンである。

 現在の生物学や脳科学全体が「生存戦略。」的な大衆迎合に何の批判もしないというのは、学者個人のとして自律的論理検証判断が欠落している証明であり。学界への服従迎合に他ならない。

 論理検証に基づく論理検証性を伴わない以上、現在の生物学や脳科学界というのは科学としての社会的役割を全く果たしておらず、公費の無駄遣いであるばかりか、ヒトという種の生物が持つ危険性についての検証すら全く行われないことに陥っているのである。

 生存とは自然淘汰の「結果」である。従って遺された本能習性の全ては過去の出来事の「結果」以上の意味はない。

 「戦略」だとか「目的」といったものは、自然淘汰の「結果」に介在する余地は全くない。こうした極めて基本的論理が理解出来ない奴が科学者やマスコミにいるから、いつまで経っても人類はバカのままなのである。

 こうした自律的論理検証というのは、単に学力学歴だけで培われるものではなく。本質的な自発性に基づいた「自律」がなければ原理的に絶対行われることはない。


 組織腐敗というのはヒトという種の生物の「習性」である。本能習性を事後正当化することに血道を上げる現在の生物学や脳科学というのは、自分達の組織腐敗までをも事後正当化していることになるのである。

 言うまでもなく、これはマスコミにも言えることである。

 組織の腐敗というものは、組織に所属する個人の無意識性の集積によって作り出される「結果」であり。そこには必ずしも「意図」や「目的」、「戦略」といったものが介在しているとは限らない。

 東電幹部や社員達が放射能を撒き散らすことを目的に危険性を放置したわけではないのと同様、オウム教団の幹部達も当人達は「人類の救済。」だと信じて疑わなかったのである。

 現在の生物学や脳科学に携わる研究者達もまた、自分達の観念に論理的根拠が全くないことを、自律的には認識出来ないからこそ、結果的に体制腐敗に陥っているのであり。当人達は自分達の組織が腐敗しているとは夢にも「思って」はいないのである。

 だからこそ面倒臭いのだ。

 研究者当人達は「生存戦略」などという観念に基づいた研究さえしておけば、人類にとって有益だと勝手に思い込んでいるからこそ、いつまで経っても実証不能の観念から抜け出すことが出来ず、生物学や脳科学はオカルトのまま変わらないのである。

 スランシス:ゴルトンによる優生学の根本的間違いというのは、生物学における自然淘汰の「結果」と、意識的「目的」行動選択とを厳密に区別しないことが原因であり。優生学の異常性の根源というのは、現在の生物学の論理検証性の欠落に起因するものである。

 個体の「生存」だけを絶対的正義として扱い、偶発的結果としての優位性だけを取り上げ、あたかもヒトの本能習性の全ては絶対に正しい行動以外を促さない科学的論証であるかの如く言い張るのは、とんでもないオカルトなのである。

 ところがマスコミというのは大衆迎合による世間的成功ばかりに執着し、たとえ破滅に至るような事柄であっても論理検証をせずに垂れ流しを行うものである。

 太平洋戦争時にも、戦争に反対することでボイコットされた新聞社が、大衆に迎合して戦争を正当化するようになったように。マスコミというのは金儲けのためなら非科学的論証も垂れ流すものに過ぎないことを、市民は認識すべきである。


 もちろん、この場合の「市民」とは、自律的に論理検証することの出来る責任ある人間を指しているのである。



Ende;