ジョーは段平から「あしたのために=その3」、クロスカウンターを伝授された。段平にノックアウトされ、医務室で何が起こったのかを反芻しながら、イメージが明確になってきた。心配して見舞いに来てくれた西を挑発し、自分に殴りかからせようとするジョー。ついに挑発にのって、ジョーに殴りかかった西に、クロスカウンターが炸裂した。タイミングをつかみかけたジョーは、次なる相手に試そうとする。西は友人だから、いくら挑発しても本気ではない。それでは本当のタイミングはつかめない。二階の医務室から窓を壊して飛び出し、院生にけんかを売っていった。
少年院内に警報のサイレンが鳴り響く。それを医務室で聞きながら西はつぶやく。
「さっき、わいがくらった一発は・・・いつか、鑑別所でわたりあったときにくらった一発とはまるで、べつのもんやった・・・
思い出してもそら恐ろしいパンチや・・えらいもんを身につけたもんやでジョーは・・
ただ・・ただ わいが気がかりなのは・・・
ジョーが一つ一つ恐ろしいパンチを覚えていくたびに・・・
ジョー自身も一つ一つ・・・ふ・・ふしあわせにのめり込んでいくような気がすることや・・・・」
目標、生き甲斐をもったというレベルではない。拳闘地獄にはまっていく道。すべての欲をすて、すべての楽しみ、人並みの幸せをすて、苦しい苦しい練習と、殴り合い、へたすれば命を落とすという戦いに身を投じる。ジョーは確実に、そういう世界に一歩一歩踏み込んでいく。
もとは腕っ節の強さで鑑別所のボスだった西は、しょせん普通の人間なのだ。人並みの幸せ、人並みの生活をもとめる、普通の人だ。後に、西はボクシングをやめ、乾物屋で地道に働く人生を選ぶ。
ジョーはそういう西を責めることはない、人には人の生き方があるからだ。自分は、そういう生き方はできない。寿命を縮めても、怪我で不幸な人生になったとしても、そういう生き方しかできない宿命を背負っている・・・
人は不幸というだろう、しかし、そういう生き方しかできない。人は自分の道しか生きられないのだ。
「この道より、われを生かす道なし。この道を歩く」 武者小路実篤