人生に必要なことは、すべて梶原一騎から学んだ

人間にとって本質的価値「正直、真面目、一生懸命」が壊れていく。今こそ振り返ろう、何が大切なのかを、梶原一騎とともに。

魂の語らい

2007年10月24日 | あしたのジョー

ジョーとカーロスの世紀の一戦は終わった。お互いの反則、いや壮絶なけんかの末に。

全力を出し尽くしあった二人には勝敗など関係のない満足感があった。

飛行場から日本を後にしようとするカーロスは、名残惜しそうに「ここにくればジョーヤブキにあえると思ったのにな」とつぶやく。ロバートは、カーロスを養護するように、「等しく殴り合ったように見えても、おまえとは格が違う、ダメージが違うのだ。だからベッドから起きあがれないのさ」という。

しかし、ジョーは空港にいた、人相が変わるほど顔を腫らして・・・

そして片隅からカーロスを見送る

「世界タイトル・・・なんとしてもとれよな、カーロス

長い滞在期間だったようだが・・・ついにおまえさんとはろくすっぽ口をきくこともないままに終わった

顔さえつき合わせれば、ただひたすらに殴り合うだけでな

だけど・・・あのなつかしい 力石の場合にしてもそうだったが

たがいの血と汗をたっぷりすいこんだグローブで徹底的にぶちのめしあった仲ってもんは

百万語のべたついた友情ごっこにまさる男と男の魂の語らいとなって、俺の体に何かをきざみこんでくれた・・・

がんばれや カーロス」

皆に見送られ飛行機のタラップを登るカーロスは、階段を踏み外して転倒した。それをみてロバートは青ざめるのだった。そう、パンチドランカーの症状が現れている。

ジョーとの死闘の代償の大きさにロバートは戦慄した。

 

こういう台詞にしびれたものだ。言葉より大事なものがある、理屈より大事なものがある・・・

それに比べて、現実は鼻につく雄弁さ、嘘くさい理屈、言い訳がましい言葉・・そんなものがあふれかえっている。拳一つの方が雄弁なんだよっていう虚勢が、受け入れがたい大人社会への反発心を象徴してくれた。自分の思いが伝わらないいらだちが、そういう世界へのあこがれをもたらした。

最終的には大人の社会に入って行かなくてはならない、そしてそれにはあらがうことができないという明確な現実があったから、それへの反発から文化がうまれた。

しかし、今やそれもない・・反発すべき確固たる大人社会がない。大人は子供にこびてものを売るのに必死だ。子供をだしにしてお金を儲けるチャンスをねらっている。子供が商売道具になっている・・

そんなだらしのない大人社会が子供たちから反発心、克己心、闘争心すら奪ってしまった。もはや街にはゾンビだらけだ。魂の抜けた、死んだ目をした人々がさまよい歩く・・

かつて都会は砂漠だと 東京砂漠だといわれたが、今や砂漠ですらない・・虚構に満ちたディズニーランド・・・その裏には欲がうごめいているソドムとゴモラ、死霊の街だ

拳は魂と魂のぶつかり合い、汚い下心を越えた、純粋な理屈を超越した語らいだった時代、あるいはそれにあこがれ、きっとそうなんだと思えた時代・・

そこから、今や拳まで汚れてしまった。亀田一家の暴挙に代表されるように、拳まで商売のツールになってしまった。拳のぶつかり合いまでもが、ディズニーランドのアトラクションだ・・

これでいいのか、いいはずはない。心あるものはいずれ目覚めるだろう、そう信じたい。まあ、まず隗より始めよだな。


けんか

2007年10月20日 | あしたのジョー

互いに一歩も引かない野性味を見せつけるカーロスとジョー。

ロープ際の攻防も、お互いに封じられた。ダメージも互角だ。

「これからは、ただひたすらけんかを仕掛けてやるぜ」

ジョーのその言葉は、なりふり構わず思い切ってぶつかっていくというような比喩的なものではなかった。

しかし、最初にケンカをふっかけたのは、なんとカーロスだった。上からたたきつけたり、ひじうちをかましたり・・。レフェリーはあわてて、減点するぞと注意する。しかし、それは序の口だった。先にお株を奪われたジョーも、ひじうち、頭突き、けりなどやりたい放題だ。お互いボクシングのルールなどお構いなしに、ぶつかり合う。ついにジョーは減点3をくらう。反省の色がないと注意され、まじめに試合をしろとレフェリーに言われる。ジョーは「だからまじめにやっているってのにさ」と。

二人の壮絶なケンカを見せられ、観客はブーイングをいうどころか、大盛り上がりをみせる。解説者までつぶやく

ルールをまるで無視した 反則だらけの試合なのに、不思議にきたない感じを受けない・・・それどころか小気味よいさわやかな感じさえする・・・・いったいこれは・・・

レフェリーを無視し、ゴングを無視してただひたすら野獣にかえってかみ合い続ける二人・・・

数分後、リング上には血に染まり汗にまみれた、二つの抜け殻が音もなくころがっていた。うろたえたのはロバートマネージャーや段平、西らセコンド陣のみ

三万七千の大観衆は、ボクシングというものの原点を見せつけられたような気がして実に満足だった

 

先日(平成19年10月11日)亀田大毅と世界チャンプ 内藤大助の試合が行われたばかりだ。この試合で、亀田はレフェリーに見えないように、反則をしまくり、実力ではとうてい勝てないチャンピオンに失礼極まりない暴挙を行った。さわやかどころか、反吐がでるような試合だった。

その試合で行われた反則行為と、ジョー対カーロスのリング上でのケンカボクシングは次元が違う。お互い、隠すこともなく、お互いが力を認め合い、自分の持ちうるありったけの力をぶつけ合ったのだ。ルールも判定も関係ない、勝ち負けも関係ない・・・お互いが自分の全身全霊、つまり魂をぶつけるに値する相手と認めたのだ。

この試合により、ジョーとカーロスには深い人間愛が芽生えるのだが、その後、カーロスはホセのコークスクリューパンチでパンチドランカー、廃人になる。

あしたのジョーは死んだのか・・この漫画の最後は、読む物の想像を駆り立てたまま想像の世界に昇華されていく。その続きを誰もが見たいと思っていたのだが・・

何かの本で、その後(梶原一騎が死んだので、本当はあり得ないが)の可能性を読んだ記憶がある。それは無限に考えつくストーリーの一つに過ぎないのだが、公園で廃人になったカーロスとパンチドランカーのジョーが遊んでいるシーンで終わったような記憶が・・

それほど、この漫画におけるカーロスの存在は大きいのだ。みんな茶目っ気のあるカーロスが好きだった。ベネズエラ、無冠の帝王、カーロス・リベラ・・どれをとってもいい響きだねー。


見栄やハッタリ

2007年10月19日 | あしたのジョー

ついにカーロスとジョーがリングでぶつかった。今度はエキジビションではない、タイトルマッチではないが、正式な試合だ。それは世紀の一戦と報じられた。

ベネズエラの無冠の帝王対、日本の闘犬矢吹ジョーとの一戦。人々はただごとならぬ物を感じて熱狂した。解説者は原始への郷愁とそれを揶揄した。

最初、余裕綽々だったカーロスは、ゴングと同時に、表情がかわった。ジョーから漂う雰囲気にただならぬ物を感じたからだ。

ジョーはエキジビションで、カーロスをロープ際に誘い、ロープの反動を利用したカウンターでカーロスの度肝を抜いた。しかし、今回の試合の前に、カーロスはロープが鉄の棒になり、二度と同じまねはさせないと予告した。

試合の始まりは、カーロスが慎重になり、互角に展開した。しかし、徐々にカーロスが本性を見せ始める。ジョーが待ち望んだものだ。「底を見せてみろ」、その言葉通りカーロスは底知れぬ実力を発揮し始める。

そこでジョーはロープ際に誘い、「ロープを鉄の棒に変えてみろ」と挑発する。カーロスは地をはうようなアッパーを放つ、その腕の振りはロープを絡め取り、ロープの弾力を奪った。棒立ちのジョーに強烈なボディが炸裂した。ロープは予告通り鉄の棒になったのだ。

しかし、その後、ジョーは再び同じ展開にカーロスを誘った。皆が自殺行為だと信じた。そのとき、マットにうずくまったのはカーロスだった。そう、ジョーの野生はギリギリの状態で反応し、カーロスがボディを打つ前にロープに腰掛けるように沈み込み、その反動をつかって、強烈なアッパーを放ったのだ。

カーロスは、心の底からジョーを認めた。強烈なダメージをおいながら、逃げまどうカーロスは、ゴングに救われた。

段平はいう

「まったく・・あんがいだらしねえやっちゃで、カーロス・リベラめ。女のくさったのみてえに、ひたすらちぢこまって逃げをきめやがって・・・!」

ジョーはいう

「おれはそうは思わねえな・・・あれでこそ、カーロス・リベラはまぎれもない野獣だと俺はみたぜ。野獣ってのは、見栄だのハッタリだのという余計な飾り物は必要としねえのさ。攻撃する際にも本能のおもむくままに、徹底するかわり、いったんダメージをうけて不利と知れば、傍目のかっこよさなんざ振り捨てて、ひたすら回復待ちをきめて身を守る!ああいうのはな・・・それこそ回復した後が怖いんだよ」

「年寄りに水をぶっかけるような言い方をするんじゃねえ バカ・・・」

「お互いもはや手負いの野獣どうしさ。あとは理屈抜き、小細工抜きでとことんかみ合うしかねえ。これからは、ただひたすらケンカを仕掛けてやるぜ。世紀の大げんかをな」

 

野獣カーロスを得て、ジョーの野獣が目覚めていく。過去のトラウマはもはやどこにもない。食うか食われるか・・古代パンクラチオンの復活だ。

人々は自分にはとてもできないが、心の奥底で自分の野生を感じている。力のなさが、ブレーキとなり、理性的に行動しようとする。

ルールにこだわるのは、それを超えたときに何が起こるのか知っているからだ。近代の歴史は、人の野生を奪い、文明という虚構に、それを封じ込めてきた。それはそれでよし。野生のあこがれは、スポーツへの昇華されたが、そのスポーツも洗練された野生とは言い難い。

飼い慣らされた現代人は、どこかに野生の暴発を心待ちにしている。それがゆがんでくると、野生ではなく、残忍さを醸し出してくる。

この先、我々の文明は野生と理性をどうやって折り合わせていったらよいのだろう。健全な野生すらどこかに封じられてしまった時代に、そのエネルギーがどこに暴発していくのか・・

健全なケンカができない文化はやっぱりおかしいんだよ。


笑って死ねる

2007年10月09日 | あしたのジョー

いよいよジョーとカーロスリベラの世紀の一戦が始まった。

不自然に陽気に振る舞う段平は、6オンスのグラブをジョーにつけるだんになり、手の震えを隠せなかった。「こんなグラブでカーロスの一撃をくらったら、おめえのあごは・・」

不安を隠せない段平にジョーはいう「あごがくだけるってんなら、カーロスにしたって同じ条件じゃねえか!」

豪毅に振る舞うジョーに、弱音を吐き続ける段平

「かわいい選手になんにも、作戦も指示できねえセコンドはつれえ・・・

何にもいうことができねえセコンドは惨めだ・・・」

これから試合が始まろうというのに、弱音を吐き続ける段平に対し、ジョーは怒るでもなくつぶやく

「へっへっへ おれは何か今、不思議なくらいさわやかな心境だぜ。

竹刀や木刀じゃない、待ちに待った真剣勝負だ。力一杯打ち合って、もし俺がぶっ殺されたって悔いはない。

笑って死ねそうな気がするさ

 

覚悟を決めた人間は強い。カーロスは、ジョーにとってまるで恋人のようだ。自分に眠る野生に火をつけた。カーロスも同じだ。どうしても見過ごすわけにはいかない相手・・・お互いの野生が呼び合い。ついに相まみえる時がきた。

勝ち負けではない、お互いの肉体と肉体、魂と魂、それを心底ぶつけ合える相手。そんな相手は滅多に出会えるものではない。ジョーにとっては、力石以来、初めてであったのだ。そんなカーロスは、ジョーにとりついた力石の亡霊も追い払ってくれた。

逃げれば追われる。消そうとするとわいてくる・・・・そんな恐怖に打ち勝てるのは戦いだけだ。腹を据えて、自分の全身全霊をぶつけて戦う。そんなときに、人は一皮むけて、一回り成長するのだろう。

今までの自分を守りつつ成長できるはずはないのだ。今までの自分をかなぐり捨てて、自分を滅却しきったとき、新たな自分が再生し、一回り大きくなって生まれ変わるのだろう。

そして、そういう気持ちになれる相手、そういう気持ちになれる場面、対象、それがあってこそ、人は成長できる。

カーロスを前に、ジョーはすべてを捨てる覚悟ができた。いやすべてを捨ててでもカーロスの底を見てみたい、体で味わってみたい・・底知れぬ力にふれてみたいと思ったのだ。

自分と魂が五分の相手、それに出会えるかどうか、その出会いを生かせるかどうか、その出会いにすべてをすてて飛び込む勇気を持てるかどうか・・そんなとぎすまされた時間を生きている現代人はいないだろう。

だからあこがれるのだ、そういう姿に。自分にはとてもまねできない、でも本当はそういうことなんだよな。そんなことをぶつくさ考えて、うんうん頷きながら漫画を読んでいる中年オヤジは、やっぱどっかへんかね。