人生に必要なことは、すべて梶原一騎から学んだ

人間にとって本質的価値「正直、真面目、一生懸命」が壊れていく。今こそ振り返ろう、何が大切なのかを、梶原一騎とともに。

地獄のうさぎとび

2006年08月31日 | 巨人の星

飛雄馬が青雲高校野球部に入部し、応援団長だった柔道部の伴宙太のしごきを受けていた。宙太は飛雄馬に恥をかかそうと、うさぎとび勝負にでる。しかし、それは大誤算だった。飛雄馬は幼少期から父・一徹からうさぎとびでしごかれていたのだ。

その時、飛雄馬は幼少期のことを思い出す。

「と・・とうちゃん、お・・おれなんだって、こんなことをしなけりゃいけないの・・」

「男の子は ぐずぐず 理屈をこねるなっ ただ これだけは いっておく このうさぎとびは ある 偉大なものをめざして とんでいるんだ」

この頃の漫画は「男なら~」みたいな台詞が多い。今だったら、フェミニストの人たちからぼろくそ言われるだろうな。

修行には「理屈抜き」ということが多い。しかし、その前提として、それを指示した人間を、あるいは目的を「信じ抜く」という姿勢が必要だ。今は、「理屈抜きに頑張る力」がなくなったのか、「理屈抜きに信じられる対象」がなくなったのか・・・何はともあれ、大事なことをするには理屈は不要、ただ信じてやり抜くのみ!頭を使う暇があったら体をつかう。頭でっかちの現代人には大切なことだな。


星飛雄馬 青雲高校を受験

2006年08月30日 | 巨人の星

父、一徹のがんばりのかいあって、学費は何とかなった。しかし、受験する青雲高校はブルジョア学校と名高い高校である。身なりを見ただけで、皆がバカにする。よりによって、お金が苦しいのになぜ一徹は青雲高校を選んだのか?それは普通の公立高校ではとても甲子園には行けない。ただのキャッチャーでは飛雄馬の剛速球は捕球できない。そこで一徹が目につけたのは、青雲高校の伴宙太だ。かれは高校の柔道王だった。それが、野球部の応援団長を兼ねると自ら名乗り出て、お節介に野球部をしごいていた。それに一徹は目をつけた。柔道の世界に退屈さを感じるほど強かった彼を、うまいこと捕手にコンバートしようという策略だ。そんなにうまいこといくかいな・・そこは漫画だから。それと、一徹は名もないチームからはい上がり甲子園に行くという厳しい課題を飛雄馬に課したのだ。

状況を説明するために長々と書いてしまった。今回のポイントはそこではない、飛雄馬が青雲高校の面接場面で、面接官は見下した態度で、質問した。その時、飛雄馬は、朝夜働きづめに働いて、酒もやめてお金を工面してくれた父を思っていた

「星飛雄馬くん きみのお父さんの職業はなにかね?」

「はい! 日本一の日雇い労働者です」面接官はざわざわする。

「なにも いばることじゃない・・しかし、おれは言わずにいられなかった 日本一の日雇い労働者と」


星一徹、断酒を誓う

2006年08月30日 | 巨人の星

飛雄馬と一徹は巨人の星を目指して、日々努力してきた。しかし、飛雄馬が中学生の時、お互いが現実に直面する。一徹は日雇い労働をしていた。甲子園に行くためには高校に入らないといけない。それは夢のまた夢なのか・・

「この教育費がべらぼうに高い時代に、しがない肉体労働者のせがれが高校へ・・ゆめだできっこない! 飛雄馬よ、あのバックネットのむこうの世界は、しょせん、おまえにはえんがないのか・・」

 飛雄馬も父を気遣い、高校野球の夢は捨てようとしていた。その時、一徹は

「飛雄馬・・おれはやる!やるぞっ おまえのために いや おれたちふたりの夢のために、このからだに残る体力を最後の一滴までしぼりつくす。おまえは余計な事は考えず、野球に打ち込め。いっそう厳しくだ」

そう誓った、一徹は好きな酒を断ち、朝、夜仕事に出かけることになったのだ。星一徹といえば、大酒を飲み、気に入らないことがあると、ちゃぶ台をひっくり返すという間違ったイメージが世間には流れている。しかし、一徹が酒に浸っていたのは、栄光の巨人軍で活躍する夢を戦争の怪我で奪われたからだった。自分の夢を子供に託す、それは良くないことなのだ、今風に言えば。それでも星親子は人生を野球に捧げる道を撰んだ。息子に高校野球をやらせたい。その一念からピタっと酒を断ち、学費を稼ぐために我が身を捨てて働いたのだ。ちゃぶ台をひっくり返す場面も、漫画の中ではおそらく1度しかない。テレビを壊す場面はあるけどね。飛雄馬が星一徹は、家庭内暴力のわがまま親父ではなく、ものすごい、信じられないほどの過保護の親父なのだ。


巨人の星

2006年08月30日 | 巨人の星
巨人の星 (1)

講談社

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最初に紹介するのは「巨人の星」である。巨人の星の主人公、星飛雄馬は純粋まっすぐ君で、真面目、正直を絵に描いた様な人間である。野球の才能には恵まれたが、体が小さいというプロ野球選手には致命的なハンディをもち、それでも根性でそれを乗り越えていく。野球しか知らなかった少年時代から、人間らしさを取り戻していく、あるいは、父親の言いなりの野球人形から父と戦い乗り越え、人間として成長していくというドラマである。しかし、最終的には利き腕の破滅という悲劇で終わっていく。くそまじめ、ど根性という、今の時代なら笑われ、バカにされることに真っ正面から向かっていた時代がある。大人も子供も、本気で自分を同一化して漫画を見ていたものだ。懐かしいと感じる人も、へーそんな時代があったのと感じる人も、ばかじゃないのと思う人も、とりあえず読んでくれ。

梶原作品について

2006年08月30日 | 梶原一騎
梶原一騎は漫画原作者として、多数の作品を残している。様々な名作があるが、知名度が高いのは、
1.巨人の星 漫画 川崎のぼる
2.あしたのジョー 漫画 ちばてつや
3.タイガーマスク 漫画 辻なおき
だろう。それに加えて私が大好きなのは
4.空手バカ一代 漫画 つのだじろう版
である。いずれもテレビアニメ化されて、当時の子供たちには絶大な人気があった。それ以前は、鉄腕アトム、鉄人28号、サイボーグ009などに代表される勧善懲悪物の冒険漫画が中心だったので、これらのど根性漫画がはやったとき、漫画の神様、手塚治虫は「こんな漫画のどこがいいんだ」と悔しがったという話を聞いたことがある。
これらの作品を今読み返してみても、登場人物の性格描写、ドラマ性において、最近の漫画にはない重みがあると私は感じる。それと当時は小学生から読んでいたわけだ。私も、文学、哲学書など教養書はほとんど読まなかったが、これらの漫画には人生の困難に直面したときどれほど助けられたか分からない。仕事がうまくいかず、自分が惨めに感じたとき、通勤の車の中でこれらの漫画の主題歌を口ずさんでいた。すると、涙が止めどもなくあふれてきて、心が浄化され、誰にも認められなくても、どんなに惨めな思いをしても歯を食いしばって頑張ろうという気持ちになれた。
よど号ハイジャック事件の犯人グループが「われわれはあしたのジョーだ」と声明を残し、ジョーのライバル力石が死んだときには葬式が行われるなど、子供から大学生まで絶大な支持をされた時代をへて、日本が豊かになるにつれて、ど根性路線はバカにされるようになっていった。私が大学生の時、友人が「巨人の星ってギャグマンガなんだろ」と言っていたのを思い出す。根性、血と汗、一生懸命などというものはダサイものだという時代になっていった。
今、時代は目標を見失い、何を信じて生きていけばよいのか分からなくなっている。「武士道」「サムライ」に日本の心を取り戻そうという気持ちも分かる。戦争で死んでいった立派な青年たちの思いに心を寄せる気持ちも分かる。ただ、我々の世代は、やはり梶原一騎なんだ。心の原点、梶原一騎に立ち戻り、心を鍛え直したいと思い、書き始めることにする。

梶原一騎の時代

2006年08月29日 | 梶原一騎
私は1960年生まれだ。戦争は遠い昔の話ではあったが、お祭りや地域の催しに行けば、通りに「傷痍軍人」という身体の一部が不自由で、白装束で兵隊帽をかぶって、アコーデオンなど演奏しながら、お金のお恵みを求めている人の姿が普通に見られた。かわいそうだと感じて、10円をあげようとすると、親が「戦争で傷ついた人は国からお金をもらっているから必要ない」とたしなめられた。その時代、普通に「御乞食さん」という人がいっぱいいたし、乞食を題材にした「銭っ子」という漫画もあったくらいだから、本当の傷痍軍人だったのか、新しい手法の乞食だったのかは今となっては分からない。まあ、アバウトな時代だったので、そういう細かいつっこみはなかったと思う。
時代は高度成長まっただ中で、裕福ではなかったが、夢や希望に満ちていた。新幹線、東京オリンピック、そして大阪万博・・。それは、同時に経済、お金が価値の中心をしめる時代の幕開けだったのだろう。子供の頃は、「お金は汚いもの」という負け惜しみの考えを親に吹き込まれていた。貧しくても真面目に正直に一生懸命生きることが尊いのだと教えられ、大人も「ぼろは着てても心は錦、どんな花よりきれいだぜ」という流行歌を歌い、自分を励ましながら歯を食いしばって生きていた。
金貸しなど最も汚い商売だと教えられてていた時代から、長者の筆頭が金融業者になり、宣伝も看板もローン会社ばかりという時代になり、かつての価値観はどこかに融解していってしまった。
かつての価値観を支えていた重要な媒体は漫画だったと私は思う。漫画は夢と風刺であるという手塚漫画が、脇に追いやられ、「こんな漫画のどこがいいんだ」と手塚治虫に歯ぎしりさせた「ど根性路線」、そしてその筆頭としての梶原一騎。彼は、崩れゆく日本を憂い、漫画を通じて価値観を子供たちに伝えようとしたのだと思う。
私が大学生に成った頃には、もはやすっかり、梶原漫画は下火となり、梶原一騎自身も崩壊していった。あしたのジョーとともに梶原は死に、時代も死んだのだ。その後の梶原はヤクザまがいの世界に落ちていき、まさに梶原漫画のようにアンハッピーエンドでこの世を去った。彼は本望だろう。彼らしい、人生の末路を演じ、彼らしい死に様を演じきったと言える。
最近、彼の作品を読み返し、どうしても、言葉を残して起きたい衝動に駆られるので、少しずつ続けていきたい。梶原作品の評論はすでにいくつも出版されているが、やはり、自分が感銘した部分にこだわりたいのだ。

はじめに

2006年08月29日 | 梶原一騎
今、日本という国は、根底から溶解しつつあります。古き良き価値観というより、時代を超えた人間にとって普遍的な価値観「正直」「真面目」「一生懸命」・・それがなぜか小馬鹿にされるようになってから、崩壊は進行していたのではないでしょうか。崩れゆく、価値観、人間の真実を必死で守ろうとして、子供の漫画にメッセージを送りつけていた、60-70年代。その代表が梶原一騎だったと思います。時代錯誤と言われようが、その時代の言葉を残しておきたい。その思いに駆られて、本を再度読み直し、言葉を拾っていきたいと思います。