力石の死のショックから、町に飛び出し、ジョーはさまよい歩いた。
自分の中にある力石への思いを反芻しながら・・
「おれが、もの心ついてからというもの・・・世の中のやつらはどいつもこいつも一歩隔てたところからしか おれに接しようとはしなかった。みなしごジョー、危険なジョー・・・無法者ジョー、野生のジョー、、けんか屋ジョー
段平のおっちゃんにとってさえ、しょせんおれは自分の見果てぬ夢を叶えさせる拳闘人形にすぎなかったのさ・・・
そこへ、あの力石が、力石徹だけが・・・
一人の男の持てるありったけをたたきつけて、一切欲得抜きで--この矢吹丈と肉と骨をぶっつけ合い、きしませ合って、短い期間だったがもつれあうように生きてきた。
力の限りに打ち合ったパンチは・・・しぶかせあった血煙は・・・
そんじょそこいらの百万語のべたついた友情ごっこにまさる、男と男の魂の語らいだった。
そうよ、友だちだったんだ、あいつは・・・本当の友だちだったんだ。
それを今になって・・・あいつを殺してしまった今になって気がつくなんて・・・な・・・なんてこった・・・!」
ジョーは反芻する、自分の中に去来する、熱い思いとむなしさを。人は失って初めて失った物の大切さを実感するとよくいわれる。
無くしてしまったから大切なものになる場合もある。どんなに大切だと思った友人関係、人間関係も年の積み重ねの中にすり減っていくものだ。しかし、失ってしまったものの輝きは、どれだけ月日が流れても変わることはない・・・いや、心がそこにとどまれば、より輝きを増すこともある。そして、その結果、過去を生きることになる。過去を生きれば今はない、どんな今であっても輝かしい過去の前にはくすんでしまうものだ。さらに、自分が過去を生きていることすら自覚されていない場合だってある。
どんなにつらく、さびしくても、過去に縛られてしまっては、前を向いて生きてはいけない。どんなに輝かしいものであっても、いつかはそれにさよならをいい、前に広がる心細い、先の見えない未来に向かって生きていくしかないのだ。
今というのは、後に気持ちを引っ張る過去と、先の見えない不安を伴う未来の間に、そこはかとなくたたずんでいる。ともすると見過ごしてしまうほどの一瞬の間隙に。それは、はかないが確かなものだ。もっともらしい、過去の記憶や、未来の予想にくらべて、何でもないように見えるが、それこそが何の邪念も許さない確かな実在だ。それを見過ごさないように生きるには、地に足を付け、目の前に見える世界を邪念なくしっかり見据え、今できることを一生懸命することだ。人生にとって大切なことは実はそれだけなのではないだろうか。