ジョーは特等少年院に入るなり、脱走を企てて反省房に入れられる始末だった。しかし、同時にジョーの中で何かが変化し始めていた。
一方、段平は、今のジョーは少年院送りになったほうがいいのだと言ったものの、道を踏み外すのではないかと気が気でない。ジョーのただならぬボクシングの才能を見いだしただけに、放ってはおけない。
いてもたってもいられない段平は、少年院に面会に行く。しかし、身内でもない彼に面会の許可はおりない。
「教官先生・・わしの目を見てくだせえ。たった一つっきりねえが、なまじの肉親以上に本人のためを思っているこの目を!」
しかし、許可はおりない。矢吹丈だからなおのことだめだと。送られた次の日に脱走未遂をやらかして、手に負えないのだと聞かされた。
段平はあせった。
「ジョ・・ジョーが脱走未遂を・・・
やっぱり・・・
やっぱりジョーの魂は危なっかしい瀬戸際で、ふらふらと揺れ動いているんだ。このチャンスに拳闘をものに出来るか、ただの不良くずれにおわっちまうかの危ねえ瀬戸際を・・・」
確かに段平は自分の夢を実現するためにジョーを利用しているとも取れる。しかし、そのために自分には何の徳にもならないことのために必死で頑張っている。ジョーの成長だけが自分の生き甲斐のように。
「なまじの肉親以上に・・」と段平はいう。確かにそうだ、肉親には甘えがある、肉親だから分かってほしい、分かるはずだという甘えが・・段平にはそれがない。ジョーは自分になんか見向きもせず去っていったって何も問題はないのだ。だから必死になる、必死でつなぎ止めようとする。何の見返りもないかも知れない。それでもジョーを救いたい、ジョーの才能を埋もれさせてはいけないと思っている。それはジョーの為ではなく、自分の為だと言われればそれまでだ。そんなことはどうでもいい、人が勝手に解釈すればいいことだ。人は今、生きている瞬間を計算しているわけではない。
肉親の関係は難しい。本当に深い絆を得るためには、肉親だからという甘えを捨てるところから始まる。分かり合えるはずだ、なぜ分かり合えないのかなどなど、勝手な期待、思いこみ、甘えがどこかにある。だから難しいのだ。一歩間違えば、縛り会う関係になる。
ミリオンダラー・ベイビーという映画があった。女性ボクシング選手と、老練トレーナーの話だ。そこでも、本当の絆を巡るストーリーが展開された。家族に見捨てられた少女、必死で救おうとする他人・・・セリフの少ない場面の中に、絞り出すような「情念」が交錯した。すばらしい映画だった。クリントイーストウッドって本当にすごいと思ったな。関係ないけど。ボクシングってドラマがあるよね、ホント。でも亀一家のことは、あえて触れずにおこう。
それとあえて指摘しておくと、この時代、まだ「差別語」なる言葉狩りは無かったので、今だったら不適切とされる表現が所々にでてくる。それについては、あえて、そのままの表現を記載します。