花形は飛雄馬の姉、明子に恋心を抱いていた。明子を食事にさそい、その席で自分と飛雄馬の少年時代からの歴史を語った。花形は、花形モータースの御曹司、少年時代から天才ともてはやされ、海外に留学して、貴族的な生活をしていた。日本中が外国かぶれをしていた時代、それにのって、運命のまま進んできた花形は、そんな自分の生き方に疑問を感じつつ、くすぶっていた。
そして、ニヒルにぐれて、「常識めいたものをすべて破壊することに快感をおぼえ、強い不良少年もあるなどど、ブラック・シャドーズを結成して、いきがっているとき」に野球が飛雄馬との出会いをつくった。
その時に見た、飛雄馬の姿、生き様は花形に強いショックを与えた。
「これほど、骨のズイまで日本的なチビはいなかった。しかし、かれのは失われてゆく日本の美!こよなき美学だった! 日本中あげて、ふわふわ骨なし草のように欧米かぶれしつつある風潮にさからい、父上とともに古きよき日本を、頑固に死守する姿だった!そんな単純なものではないが、しいて俗っぽくいえば、日本的なナニワブシ・ヒューマニズム!」
そんな飛雄馬に命がけの戦いを挑むことで花形は不良を脱却した。「エリートぶりながら、じつは日本中こぞっての欧米かぶれの先頭をきっていたにすぎぬ、おっちょこちょいの国籍不明の安っぽさを自分の中に見たからだ」と花形は回想する。
巨人の星の時代、まだ古きよき文化が残っていたのではない。すでにこわれ始めていたのだ。梶原はそんな欧米かぶれして、日本固有の文化まで否定し捨て去ろうとしている社会に対して、子供たちには何かを伝えようとした。我々は、物質的に豊かになり、日本が自虐的になり、自国の文化、歴史を否定しまくる教育を受けながら、かろうじて、漫画を通じて男の生き様、義理人情の文化をかみしめていた。
世の中は、左翼文化が強く支配し、学生は朝日ジャーナルを読むことが文化人、インテリの証であるとされ、男気、義理人情などというものは右翼と見なされ兼ねない時代だった。その後、長い間、そういう文化が支配し、根性、義理人情、浪花節的価値観は、すっかり影を潜め、「ダサイ」ものにされてしまった。
それが今になって「美しい国日本だ」。そして教育改革を進めるという。いったい何を目指すのか、どこに戻ろうというのか・・・美しい国とはいったいどういう国なのか。国家の品格などという本もものすごく売れている。品格、武士道、日本の美・・・いろいろ識者という人々が語っている。
そんな理念的なことはどうでもいいのだ。我々の世代の心には確実に何かがある。我々は本当は知っている、人として何が大切なのかを。いろいろなしがらみ、欲、損得、競争、嫉妬・・などなどによって、見失っているだけだ。全体を変えることは不可能だろう。しかし、一人一人の心の中を変えていくことはできるだろう。自らを戒め、心に何かを感じながら、しっかり生きていきたい。