いよいよ試合がの時が来た。少年院の寮の対抗戦が行われるのだ。力石は第一寮、ジョーの寮の一回戦は第11寮になった。
西は、「ほんまにほっとしたわ。一寮には力石徹、七寮には青山がひかえとるんやからなあ」とつぶやく。それを聞いたジョーは激怒する。力石を恐れるのはともかく、青山を恐れるとはどういうことか!
西は正直にいう「得体の知れん青山の成長ぶりがジョーをこっぴどく傷つけるような気がしてならんのや・・・」
ジョーはむきになるが、それをなだめるように西はいう
「ジョー・・・冷静になってや・・たのむさかい
冷静だけが、得体の知れんものから身を守る武器やと思うのや・・」
明らかに、何か自分には理解できない現実がそこにある。強がってみたとて、それがプラスになるはずもない。むしろ、空虚な強がりは、心にスキをつくるだけだ。地に足がつかなくなるだけだ。
何事においてもそうである。今、自分に何が起こっているのかわからない、ただならぬ事態であることは確かだ。
そこで、右往左往すれば、がむしゃらに動けば、気は紛れるだろう。しかし、解決に近づいている保証はない。むしろ問題をこじらせているだけかもしれない。
遭難したとき、闇雲に動き回れば体力を消耗して、助かるものも助からないということはよくある。それよりも、事態を見極めるため、できるだけ体力を消耗しないように、食料も無駄にしないようにじっと息を潜めて時を待つ、それによって助かることが多い。
2001年、海で遭難した船長が38日間の漂流の末、奇跡的に救助された。助かろうとしなかったことが助かることにつながったときいた。「『あきらめる』というのは仏教用語で、物事をあきらかに見る、とか見極めるという意味」ということも、そこから知った。不安でたまらないときこそ、何もせず事態を見極めるべきなのだが、人の心はととても弱く、現実を見極めるどころか、衝動的にあるいは思いつきで行動して現実から目をそらそうとしてしまうものだ。
以前、他のブログでも書いたが、CUBEという映画のセリフを思い出す。絶望的なトリップが張り巡らされた四角い箱(キューブ)に閉じこめられた人々。脱出をめぐってトラブルが相次ぐ。その時、これまで数々の難攻不落の収容所を脱走してきた脱獄のプロがいう。
「考えるな、想像もするな、目の前のことだけに集中しろ
脱出は難しい。自制心が必要だ」
苦しいときこそ、現実を見つめて、むやみに不用意なことはしない。時として、何もしないことが一番の解決につながる。
思い出した、先日、バラエティ番組で、楽天監督 野村克也が言っていた
「覚悟にまさる決断なし」もうだめだと思ったら、覚悟を決めて、煮るなり焼くなり勝手にしろ、矢でも鉄砲でも持ってこい!覚悟を決めて素のままで現実に対峙する。
肝に銘じておこう。