カトリック教会の問題

公会議後の教会の路線は本当に正しいのでしょうか?第二バチカン公会議後の教会の諸問題について、資料を集めてみたいと思います

聖ピオ十世はシヨンを排斥する

2017-06-02 16:07:50 | エキュメニズム
聖ピオ十世はシヨンを排斥する

 聖ピオ10世がシヨン運動に終止符を打ったのは1910年のことでした。

 1910年8月25日聖ピオ10世は、書簡「我が使徒的職務」(Notre charge apostolique)によってこのシヨン運動を排斥するのです。

 教皇としての「誤謬と悪との危険から信者を守る」という義務を確認し、自分の前任の教皇たちが18世紀の『哲学者』のおしえ、革命の教え、リベラリスムの教えを排斥した模範を振り返り、今日シヨンの教えを排斥するのです。

「わたしの使徒的職務のために、私は信仰の純粋性とカトリックの規律の完全性を守るように注意し、誤謬や悪の危険から信者を守る義務がある。思想の波と表現のあいまいさが激しい感情と言葉の美しさの陰に隠れて、魅惑的な言葉遣いで、信者の心を引くが不吉なことのためにその心に火をつけかねない誤謬や悪が信者らに提示されている時には特にそうである。かつて18世紀のいわゆる哲学者らの教えであったし、幾度も排斥された[フランス]革命の、そして自由放埒主義(liberalism)の教えが、それらの誤謬であり、悪であった。そして更に今日、シヨン(Sillon)の理論が、輝かしい寛大なる見かけの元に、非常にしばしば明確さと正しい論理、そして真理を欠き、その為にフランスカトリックの天災に属するものではないこのシヨンの理論がそうである。」

 「尊敬する兄弟たちよ、私はシヨンに関する私の考えを公にそして荘厳に発表するのを長い間ためらった。あなたがたの心配が私の心配に加わり、発表するように私をして決心させてくれなければならなかった。なぜなら私はシヨンの旗の下に名を連ねたはつらつとした若人を愛し、彼らが敬意と、賛辞と感嘆にふさわしいと信じているからである。我々はその責任者たちを愛し、彼らの中に気高い霊魂、低俗な情念を凌ぐ、善のために最も崇高な熱心に燃えた霊魂を喜んで認めている。…」

 教皇には「シヨンが、自分たちの司教たちの少なくとも指導と影響から、そうでなかったらその権威から取り除いてしまった数多くの神学生や司祭たちに、…また、シヨンが分裂の種を蒔き、その利益を損じている教会に」真理を告げる義務があったのです。

 聖ピオ10世は、こう言います。シヨニストたちは自分たちの好きなように福音を解釈し、その福音に訴えており、さらにひどいのは、歪められた縮んだキリストに訴えることである」と。

(シヨン運動について:4)


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