カトリック教会の問題

公会議後の教会の路線は本当に正しいのでしょうか?第二バチカン公会議後の教会の諸問題について、資料を集めてみたいと思います

誤謬に対する我が主イエズスの態度

2017-06-05 13:13:06 | エキュメニズム
誤謬に対する我が主イエズスの態度

「イエズスがたとえ道を外れたものたちや罪人たちに対して優しかったとしても、彼らの誤った確信を、たとえそれがいくら誠実であると見えても、それを尊重しなかった。

 主は彼らをすべて教えるため、彼らを回心に導くため、彼らを救うために愛した。

 労苦するもの、苦しむものを和らげるために、彼らをご自分の元にお呼びになったのは、彼らに幻想的な平等の妬みを説教するためではなかった。

 もし主が謙遜なものたちを高めたとしたら、それは彼らに独立的尊厳の感情を息吹き、従順に対して反乱を引き起こさせるためではなかった。

 もし主の御心が善意の人々に対して柔和に溢れていたとしても、主は同じく天主の家を汚す者共に対して、小さきものをつまずかせるものに対して、自分はそれを持ち上げるためにそれに指さえ付けないくせに民には重いくびきを与えて押し潰す権威に対して、聖なる怒りを燃やし給うた。

 主は、優しいと同じく強かった。主は叱り、脅迫し、罰し、『しばしば恐れは知恵の始まりである。時には体全体を救うためにはその一部を切り捨てる方が良い。』と言うことを主は知りつつ、わたしたちに教えられた。

 最後に、主は将来の社会として、苦しみの全くない理想的な幸福の統治を告げたのではなかった。主はその教訓とその模範とによって、この地上における可能な範囲での幸福の道と、天国での完全な幸せの道をたどった。すなわち、十字架の王道である。この教えをただ単に永遠の救いのために個人生活にのみ適応するなら大きな間違いである。これらは、すばらしく社会全体にかかわる教えであり、我らの主イエズス・キリストにおいて、これらの教えは『頼りない権威のない人道主義』とは全く別のものをわたしたちに示してくれる。」


(シヨン運動について:13)


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