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恥ずかしくも、長々と生きてきたものだ。
人に嫌われ、恨まれ、憎まれ、否、相手にすらされず、
しかし、そんな事に微塵も気付かぬまま。
「天命を知る」!?
んな事、知るもんか。
隣人の気持ちすら判らないのに、んな事、知るもんか。
そもそも、「天命」なんて、有るのやら‥?
こんなにも人だらけの世の中、天も与えそびれる事も有ろう。
「人間五十年、下天の内に比ぶれば‥」、
儚き時を、儚く過ごし、愚かにも儚く生きて行く、
おそらく、墓無く朽ちて行く。
まぁ、これが天命なのかも知れない。
それも、良かろう。
思えば、惑い喘ぎ、苦しんだあげくの不惑。
「惑う」事すらなく、鬱々と休職の不惑。
復職での悟りは「頑張らない」だった。
所詮、社員は「捨て駒」。
どれほど頑張っても、使えなくなったら捨てられる。
そう、書けなくなったボールペンと一緒なんよ。
だから復職後は、隠居爺ぃと決めた。
歳も、見た目も関係ない、あたしは隠居、それで良い。
恥も外聞も無く、おめおめと復職、腹の内に秘めるのは
社会復帰への感謝の意か、それとも報復の牙か‥。
今、また、報われぬ無理をし、自滅への無茶を繰り返す日々。
直接的に、強いられてはいない。
だが、せざるを得ない状況にするのは、強いているのと同じ。
否、もっとタチが悪い 。
「五十にして天命を知る」
所詮、周りの都合良く、こき使われるのが、
天からの使命なのだろうか。
「人間五十年、下天の内に比ぶれば‥」
辛く苦しかった、この儚き時、
せめてこれからのひと時には、安らぎを‥。
祝うでも 祝われるでもなく桜
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