★夫婦珍道徒然日記★

2ヶ月の準備期間で日本を脱出し、漂着した楽園ニュージーランド。その後の人生を語ります。

ニュージーランド語学学校の選び方

2005-10-31 12:45:55 | 旅日記
移住者の数は多少減少の傾向にありますが、留学生に関していうと円安にもかかわらず数多くニュージーランドで勉学に訪れてきているようです。アメリカや英国と比べ犯罪率がとても低く安全ですし、カナダやオーストラリアと比較しても人がノンビリしていて親しくなりやすいというのが主な要因と思われます。

勿論、ニュージーランドにもネガティブなことは色々とあります。好きな国のことをこんな風に言うのもなんですが、一概に皆さんにお勧めできる国という訳ではありません。例えば、気温。オークランドはまだ比較的温かいほう(最低でも7~8℃)ですが、日本人に人気の高いクライストチャーチやクイーンズタウンは夏がとても短く冬は長くて寒い。毎年羊が??百頭も雪の下敷きになり死亡する事件は毎年恒例のニュースであります。ですから、寒いのが苦手な人はちょっとツラい。

私は、お蔭様で寒さには滅法強く冬でも薄着で大丈夫なほうなのですが、嫁さんは全くダメで冬時期はいつも雪だるま状態。外気との通気性の良い我が家の中でも何枚もトレパン・トレシャツを重ね着し、最後にダウンジャケット、とどめは毛布に身をくるむという万全の体勢をいつも整えておりました。部屋の中ですよ、部屋の中・・・ビックリでした。

それでも手だけは隠しきれないので、しまいには手が荒れ、最終的に関節炎・リューマチに似た症状に発展する始末。相当迷惑をかけてしまいました。私が勝手ばかりしまして、深く反省しております。そんなこともあり今は日本に住んで懺悔している次第です。

住んでいると不自由なこともたくさんあるニュージーランドです。ですが、“人間臭い”生活を好む私には何よりも他とは変え難い国でありました。

前置きが長くなりましたが、今日はオークランドの語学学校のお話をします。

オークランドは全体で約120の語学学校があるといわれています。そのうち末端の学校は月替わりで、潰れたり新しい学校ができたりと何とも凄まじい勢いで熾烈な戦いをしています。正直多すぎ。そのうち半分は政府の認定(NZQA)がおりていない学校だと言われています。下りていないとニュージーランド大使館から学生ビザは発給されません。非認定校はフルタイムの授業を実施することができないからなんです。

学校探しは、まずそこからチェック。そして、次に一体どういう語学団体に所属しているかを調べる必要があります。大きく3つのグループに分かれていまして、

①ENGLISH NZ (ニュージーランド大使館 公認語学学校)
②CRELS
③APPAL

があります。各団体はそれぞれ団体を結成する際の趣旨が異なります。

①は所謂伝統型語学学校で原則15年以上の経営実績があり、伝統校として取り扱いされる一定基準をパスしなければいけません。ちょっと敷居が高くお堅い学校が多いですが、各学校とも独特のハイクオリティーな授業を提供するのはまず間違いありません。ただし授業料は高め。

②は基本的に伝統よりは、授業のクオリティーに特徴を持たせた語学学校によって結成されます。名前は余り知られてなくてもその学校に将来性があり、授業内容にオリジナリティを持った学校の団体です。値段も様々。

③上記2つに属さない団体です。基本的にはどの語学学校も加盟できる資格があるとはきいていますが・・・協会を運営していく上で、語学学校同士の情報交換や政府との改善交渉に向けての取り決めがなされる団体です。激安校もあるかも!

②、③は大抵所属する学校が多いのですが、①はナカナカ難しいのでここの団体の語学学校は、取りあえずまず検討する価値はあると思います。

こういった団体に語学学校に所属しているかどうかによって多大なメリットを受けることができます。例えばENGLISH NZは、皆さんが学校に対して不満があったり、盗難・犯罪に巻き込まれたりした場合、24時間体制でホットラインが設けられています。

また、CRELSは万一学校が倒産した際の皆さんの授業料の保護をする目的と、その後の授業を、同団体に加盟する語学学校が無償で留学生を救済する措置を施します。実際2003年には某語学学校が500人の留学生を抱えたまま倒産するという大事件が発生したこともありましたので、絶対の保障はありません。気をつけてこの点をチェックしておかれたほうが良いでしょう。

次回はもう少し掘り下げて話をしたいと思います。


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ニュージーランド英語

2005-10-30 11:15:51 | 旅日記
念のため、もう一度記述しておきますとニュージーランドの公用語は英語です。英語は本国イギリス英語の発音・文法と限りなく似ています・・・・が、しかし約一割を占める原住民族マオリ族がマオリ語を使用し、Pacific Islander系の人達が大勢住んでいるので、彼らの言葉の発音やボキャブラリーにも言語学上、多大な影響を与えています。

マオリ族の人達は遺伝的に体がとても大きく、歴史の本で読むと19世紀中頃代ですでに、男性の平均身長が175cmあったそうで、その為肺活量も全く我々とは違い発する音が自然と違ってきます。多少こもって聞こえるというのかなんと言うのか・・・

例えば、数のSixをSocks(ソックス)のように発音します。
試しに知合いに横に座ってもらって何度も私は、6の数字を見せて尋ねました。

〝This is Six, right?〟

〝Yep, it is Socks〟

そして、自分の靴下を見せて

〝What about this?〟

〝It is a pair of Socks〟

おんなじであります。彼の気持では“スィックス”と言ってるつもりですが、やっぱり“ソックス”としか聞こえませんでした。これはマオリ族だけではなく一部のPakeha(白人のこと)も同じでした。基本的に発音を明瞭に話したがらない人が多く、ニュージーランド人はUnstressed Soundを好み、全体的に余り文章に抑揚がありません。それゆえ所謂標準語といわれるイギリスのロンドン英語より聞きにくいのです。

たまに誤った情報でニュージーランド人もオージーのようにDayをダイとかEightをアイトのように発音しますか?という学生からの問い合わせがありました。絶対しないとは言い切れませんが、基本的にオーストラリアで生活が長いニュージーランド人以外には、それはないと思います。

他に発音の特徴としてはTen(テン)をティェン、Impossible(インポスィブル)をインポスィブオーなどなど。慣れるまでに多少時間がかかります。またやたら語尾にEh(エイ)を付けるのもKiwi英語の特徴。彼らは、日本人のように他人と同情してもらいたがる人が多いので、付加疑問文的な意味や確認のための相槌の意味合いを込めてこれを使います。

これもKiwiの人柄の良さか、自信の無さか良くわかりませんが・・・ある意味“丁寧語”であるのは間違いありません。

例を上げますと、

「What a lovely day, eh? (いい天気ね?)」

「Eh? (何だって?)」 

「I said it is a nice day, eh? (いい天気ていってるのよ)」

「Eh, eh ( そうだね)」

え~、この例題のように英会話に困った時、この“エイ”を連発して多用すれば、何とか会話は成立してしまいます・・・・??
こういった表現を自然と日常会話で使えるようになれば、もうあなたはニュージーランド人の仲間入り。彼らは喜んで仲間として迎え入れてくれることでしょう。

語学を学ぶためには、まず

“郷に入らば郷に従え”

が大切。日本人の心でもって英語を話すと会話はとてもギクシャクしてしまいます。まず恥を忘れ、物真似から入りましょう。変な外人(日本人)と思われるくらいが調度よろしい。その方が、彼らには自然に見えますから。

ところで、“郷に入らば~”の諺を英語で

“When (you are) in Rome, do as the Romans do”と正式には言いますが、邪魔くさければ、省略しましょう。

“When in Rome”

これだけで“ハハーン”と反応が返ってきますから。是非使ってみてください。

それでは今日もよい日曜日をお迎え下さい。

散髪屋さん・・・その2

2005-10-29 10:53:00 | 旅日記
昨日の続きを書きたいと思います。

最初の散髪屋ではとんだ大恥をかくことになってしまいました。

リベンジをかけ、それから3ヶ月後今度はコロマンデル半島の入り口テームズという小さい町に遊びに行ったときのこと。またまたお店の玄関先に10ドルのSandwich Boardが立っていました。以前の教訓がありましたので、入ることを何度もためらったのですが、様子を見るとその女性は巧みにハサミを使いこなしていました。以前の床屋は、なんたってバリカンでザクッですから・・・そこの愛想の良い女性とは会話もはずみ、今度はようやくいつもの髪型に仕上がりました。ホッと一息。

散髪にお困りで、片道2時間の遠出も苦にならない方・・・・お勧めです。私にお便り下さい。詳しい場所をお教えいたします・・・・?!

ニュージーランド人は美容師や理髪師の資格をとる際、日本とは違ってハサミのカットの技術は求められないそうです。これは彼らの髪質が癖毛のせいでカットの技術がなかろうとあろうとそれ程見た目違いが出てこないというのが理由だそうです。カットよりも髪を染める技術が最も要求されるとのことでした。

“テームズ”まではやっぱり無理!とおっしゃる方は、ありました、ありました。Kiwiの乱雑なカットで我慢しなければいけないかと諦めていた私も、色々と酷い目に遭いながら探した挙句、オークランド唯一の日本人の床屋さんと出会いました。

その名も、人呼んで〝極(きわみ)!〟

大層に書いてしまいましたが、皆さん知ってますよね。オークランドにいる方なら。

別に宣伝料をもらっているわけではないです・・・
これから請求しようかな・・・・!?元気に商売繁盛のこととお祈りしております。

親子代々で受け継いできた伝統ある江戸っ子育ちの床屋さん。店の名のとおり彼の丁寧な手捌きは“極”を感じさせるものであり、また人柄の良さに惚れ私は、お会いしてから、いつもお願いしていました。兎に角、親切・丁寧でカット代のみ20ドルと手頃な値段であります。ニュージーランドで散髪するとき“英語で説明はちょっと心配だ”とおっしゃる方は是非一度覗いてみては?

“極”さんのお仕事振りが今日の私の職業観と同じです。

「芸は身を助ける!」

私が8年間お世話になった木工の師匠が、口癖にように繰り返しておっしゃっていた言葉です。自分自身を切磋琢磨しながら人徳を築く過程で、自分の肥やしとなり、いい仕事として人々に幸せをもたらし、いつしか良い商売を導く・・・・ということでしょうか?分かったようなことを書いて、まだまだ40手前の未熟者なのでどうかお許し下さい。

こんな性格のせいで色々と考えた挙句、昨日大変申し訳なく一社採用を辞退してしまいました。せっかく貴重なお時間をとって試験・面接していただいたのですが・・・ここまできたら、いつ終わるか分かりません。納得するまで転職活動を邁進しようと心に決めた次第です。

さ~て、これからニュージーランドに旅立たれる諸君。散髪は心配することはありません!張り切って行ってきてください。また、“ジャガイモのような頭”を一度挑戦したい勇気のある方は、何度もいいます。Custom Streetにある床屋さんにいって〝No.2、please!〟と元気よくハゲ頭の店長さんに告げましょう(因みにNo,8まであるそうです)予想を絶する髪型になること間違いなし!

ただし私は、一切合切!責任を負いませんので何卒ご了承くださいませ。

NZ Wanderers 商店



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ニュージーランドの散髪屋さん

2005-10-28 16:20:05 | 旅日記
日本に帰ってきてから、そろそろ約3ヶ月が経過しようとしています。

早いですねぇ、月日が過ぎるのは。ニュージーランドがとても昔のことのように思えてきました。最近はニュージーランドに住んでいる人のブログをちょこちょこっと垣間見させてもらっては昔を懐かしんでいる今日この頃です。やっぱり楽しかったなあ、あの頃は。

それにしても相変わらず、失業記録更新中であります。〝ここまできたらとことん行くとこまで行ってしまえぇ~〝と肩身を広くして嫁さんの実家で居候させていただいており、ご飯は2杯目から〝そぉ~〟と出さずに、自分で炊飯器に行っては堂々とよそって入れております。

さて何枚も何枚も自分の職務経歴書を書いているうち、大変遅かりしながら私は自分自身のことがちょっとずつ分かるようになってきました・・・・ようやくこの歳になって。私はそれ程までに鈍感なのですね。以前お話をした“動物占い“や”手相“などで漠然と理解していたつもりだったのですが、〝あ~、俺はやっぱりこれは向いてないナ〟といったとても簡単なことなんですが、それが前より良く分かるようになったんですね。上手く言い表せないのが残念なんですけど。

ですから、この3ヶ月間は全く無駄ではなかったなあ・・・と強引に自分を納得させております。

さて今日は、ニュージーランドの“床屋”についてお話をさせていただきます。

ニュージーランドに最初にきた1992年、この時“床屋”には迷いました。どこで切ってもらえばいいのだろう?と半信半疑でお店の前を通り過ぎては、中をチラチラと髪を切っている人の手つきを見て、〝やんピー、やんピー(止めるの関西弁)・・・〟とやっぱり違うお店を探し、半年間髪を切らなかったことを思い出します。

2度目の渡航は、その時の反省も踏まえ、さーっと決めてしまおうと思っていたはずが、やっぱりナカナカ出来ませんでした。気にするほど、もう髪の毛も多くないのにかかわらず。

挙句の果て、一軒Custom Streetの一回10ドルのSandwich Board(看板)がたっている床屋があり、とても安いので。

“失敗でもいいかあっ”っと、意を決して入り、そして10分後に即効一丁できあがり!。

“ジャガイモのような頭”になってしまいました。

完全な失敗!!!学校では、留学生に腹の底からバカ笑いされ話題は私の髪型で一色となる始末。先生も一瞬、グッと笑いをこらえ声を詰まらせ、

“Good looking, You are so cute!”

とウソ丸見え。髪が伸びるまでの2ヶ月間は羞恥心との戦いでありました。Oh My God!

<<話の続きは次回へ>>

極心空手・・・かな? <続編>

2005-10-27 11:30:58 | 旅日記
昨日の続きをお話いたします。

彼は練習中、英語があまり理解できなかったようで、今日の試合に出れると思ったようでありました。

「はぁ~、そう」とポツリ一言残し、気分をとり直してその後の試合を観戦することにしました。

“極心空手”はとても激しいスポーツでビックリしました!K1やキック・ボクシングと変わらないじゃないですか・・・・?ボコ、ボコボコ、バコ!と対戦者をパンチしまくり蹴り捲くり・・・・殴る音が聞こえる度に、痛々しそうで気の毒に思えました。私の嫁さんは、横で興奮しながら実況中継。

〝エイ、やー、とぉー〝 

私は、隣でサンドバッグと化しました。

決勝戦では、日本で修行重ねたニュージーランド人が「急所」を思いっきり蹴られるという大アクシデント。救急車がきでタンカーに乗せられ敢え無く退場。あっけない幕切れでありました。勝利はオーストラリアに決まって、あ~残念。

ところ変われば、空手のスタイルも全く違うようでありました。Y君が言うに、ニュージーランド人は体も大きく背も高いので、意外なところから手や脚が出てきたりして、つい油断をしてしまうのだそうです。“こんなの、あり?”という技が連発するという。国際試合が少ない空手は柔道とは違って、相手の技・スタイルになれるまで相当な時間を費やすのかもしれません。

昨日のマリーンズの劇的な日本一の優勝ももしかすれば、阪神タイガースは見たこともないマリーンズの華麗なる野球芸の連続に、全く呆然と防戦するのが精一杯といった感じではなかったでしょうか?いずれにしましても、両チームともご苦労様でした。そして勝ったマリーンズ及びファンの皆様、あらためまして、おめでとうございました。来年はジャイアンツと対戦しましょうね。

それにしても、あの通訳者の人、上手かったなあ日本語訳・・・盛り上げようと、盛り上げようと坦々と訳してましたね・・・・言ってもないことまで訳してしまうところなんかは、さすがプロだなあ。まだまだ私は未熟者だなと感じました。

話しを、極心空手にもどしましょう。

さて、それから1ヵ月後、そのY君。今度こそはと、ウェリントンのニュージーランド全国極心空手大会でほんとに出場することになりました。

試合前、彼は言いました「勝機は0.5秒の相手のスキで決まる。相手が自分を一瞬日本人だと思い警戒したときがチャンスです」と。

大和魂をかかげて、試合に挑戦した彼は向かうところ敵なし。ばったバッタと大男どもを一本勝ちでおさめ全戦全勝。見事にニュージーランド・チャンピオンに輝いてしまったのでありました。

その時の感想を私は彼にインタビューしたのですが、優勝決定戦、会場にいた観客が彼に惜しみなく大声援を送ったことに心から感謝していました。それを聞いたときは、私はその暖かいスポーツマンシップに泣けました、ニュージーランドの人たちのフェアな気持ちに・・・

マリーンズ・ファンと似てるかもしれませんね?


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極心空手・・・・・・・かな?

2005-10-26 19:30:24 | 旅日記
このブログを始めた時、ニュージーランド滞在から永住権獲得までの私たちの物語を書こうと思ったのですが、もう少し続けてみようと・・・・・・思う今日この頃です。もう少しお付き合いいただければ幸いです。

私が勤める語学学校に、昨年11月Y君という青年が訪れました。見たところとても端正で凛々しい風貌から、直感で何か極めたスポーツに携わっていると感じたのですが、ズバリ的中しました。

彼は中学時代水泳部に所属していましたが、大学時代から「空手」に目覚め、途中から極心空手に転向。その後大手自動車会社でエンジニアとして多忙な毎日を過ごすものの、仕事の合間を縫っては“空手”の練習に勤しむ毎日であったそうです。その甲斐あってか、有段者。日本でもそこそこの成績を残したそうです。

その彼が言いました。

”この学校を卒業時にオークランドの空手チームに入る!“

道場の場所はオークランドのバーケーケンヘッド。ハーバーブリッジ越え北へ渡りすぐのところであります。

卒業後、彼は早速の空手道場に入部しました。そして今年3月・・・・

「オセアニアの空手大会があります。私が出場する試合ですから、よければ来てください!!」

とメールがありました。

何と因果なことか、私の嫁さんは高校時代「空手部」に所属しておりましたので、彼女は鼻息荒く「行く、行く、いくよー」との一点張り。

”なんとなく不穏な空気が立ち込めておりました。”

さて試合当日曇りの日、会場の赴いたのですが日本の体育館を想像していた私たちは吃驚クリクリ。

会場の入り口は“立ち飲み屋”だったのであります。その時点で観客は超満員御礼。人々はビールを片手にへべれけに酔いながら、日本の伝統スポーツ「極心空手」のオセアニア大会に酔いしれていました。緊迫からはとてもかけ離れた雰囲気の下。我が語学学校の卒業生はナカナカ登場してきません。

よーく見れば、試合場とは離れたところに彼がいるではありませんか?私は駆け寄って、

「おい、お~い、どうしたの?」

「スイマセン、今日は出れないらしいんです・・・」

「なんでぇ~?」

彼は練習中、英語があまり理解できなかったようで、今日の試合にすっかり出れると思ったようでありました。

"永住権獲得” 夏物語 最終章

2005-10-24 16:39:27 | 旅日記
ニュージーランドの永住権申請の基準は、よく変わるので有名であります。

2002年はその代表的な年で、恐ろしい勢いで変わりました。それも週ごとにドンドンと厳しくなっていくので、それに応じて溢れんばかりの移住希望者が移民局の玄関に早朝4時前から殺到。春先とは言え、ニュージーランドの朝はとてもサムいのです・・・

何故これだけ混むのかというと一日に受付できる許容人数があり、セイゼイ100人まで。どんなにお願いをしたこところで、その日は申請書類に目を通してもらえないのです。そんな中、申請者の変わりにその順番を待つとういうアルバイトまでもが始まりました。結構いい給料だったみたいですね。

私も一度、まだねむたーい早朝4時に、嫁さんと共にオークランド移民局にいったことがありました。然しながら、もうその時すでに遅し。200人以上は並んで待っていました。“あっちゃー”っと、急遽オークランドから車で30分程南下したManukau(マヌカウ)移民局まで激走!やっとのこと50番目に陣取ることができたのでした。

その年の10月には永住権申請基準がとうとう30ポイントに上がってしまいました。語学学校からのジョブ・オファーを要約手にいれ、遅かりし乍ら、その時点で我々はようやく申請手続。もうこれ以上あがると、どこを突っつかれても私達からは点数がでてこなかったのであります。

さてすっかり説明を忘れておりましたが、最終的に残された課題が嫁さんのIELTS(Cambridge英語検定テスト)。私の自慢ですが(^^;すでにパスしておりました・・・スイマセン、これが思いのほか難しいのであります。

これのテストは一般IELTSとアカデミックIELTSの2種類に分けられ、前者は移住者対象のテスト、後者はニュージーランドの大学・専門学校へ進学するためのテストであります。英検のテストと同様、リーディング、ライティング、リスニング、スピーキングの4つのアビリティーを、満点が9.0、現行の法律では最低6.5をとらなければいけません。これは、おそらく英検2級レベル以上に相当すると思われます。

私たちの申請当時、IELTSのパススコアが5.0から6.5に上がるというイヤーな噂が流れていましたからさあ大変。昔から受験勉強など全く縁が無かった嫁さんでしたが、この時ばかりは狭い部屋で(遊んでいるような?)必死のパッチで猛勉強。

しかし努力の甲斐もなく、試験終了後彼女の電話の声は暗いものでした。話を紛らわすべく、私はすかさず次の新しい目標へすり替えたのでありました。

それから2週間後、彼女から試験結果の通知がきたとの連絡。その時の声はいつもと比べて冷静でありました。私への気遣いと察し、ただ次ぎへの受験のチャンスのことだけを考えていたところ・・・とっ、とっところが、最後に放った彼女の言葉が、

総合で6.0!!!・・・

なんと言うことでしょう!!信じられません。

受話器の前に座っているスタッフは呆然となり、私は歓喜のまま社長室へ直行。その旨を告げて喜びを分かちあったのでありました。

〝火事場の底力〝とは良くいいます。が、しかし私の嫁さんに全く似合わない言葉であります。私は彼女の恐ろしく秘めた不思議な力を、この当時いろんな意味で思い知らされたようでした。

それから約4ヶ月後、季節は燦燦と照りつける夏真っ只中(2003年2月15日)、朝ニュージーランド移民局から一通の手紙がポストに届きました。書類に何度目を通すのですが、日本のお役所の書類同様分かりにくい内容の文章。

一体何が書いてあるのか?永住権がとれたのかどうか?・・・一体どっちなんだ???といったような曖昧なニュアンスの書面。

〝やったっ!やったぞぉーーーー!!〟



この人生どうなるかわからないと歳を重ねながら毎日感じつつも、その当時の私たちには全く予想もつかぬ出来事の連続でした・・・・まさに“永住権獲得”は一生の思い出に残る人生の名Eventでありました。

それでは、永住権を取るためポイントをおさらいしましょう。

①日本で言われる「四大卒」だと有利。
②年齢が20歳以上で働き盛りの方は、ポイントが高い。
③ニュージーランドで雇用保証がポイントの中で大きな比重を占めている。
④お金をたくさん持っていても、関係ない。
⑤仕事の経歴が長ければ、ポイントは高くなる。
⑥ご夫婦で申請の場合は、配偶者の資格も加算対象になる。

と書きましたが、そうでない人のために・・・

永住権を取得出来るかは人それぞれ、同じ30歳の人でもそれまでの生き方によって、簡単に永住権を取れる方と、そうでない方に分かれます。例えば、中学卒業でも専門職系の美容師さんや調理師免許をもっている方は、NZQA審査を行い資格として認めてもらえれば永住権の申請が出来る事になります。ですから、「遠い国ニュージーランド」も思ったより「遠くて近い第二の故郷」になるかもしれません。

現行の基準で採点してみて、100点に達しなかったあなた。今点数が足らなくても、日本で更に資格を取ったりNZの大学・専門学校に通う事で、申請のチャンスも生まれてきます。夢を諦めずチャレンジしてみてはいかがですか?

永住権でお問い合わせがありました〝なつ〟さん。参考になれば幸いです。

以上、“永住権獲得”物語 完!


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"永住権獲得” 春物語!

2005-10-23 12:50:46 | 旅日記
以前もお話しましたが、私の嫁さんは、幼少の頃から街中を探索する破天荒な性癖があり、ニュージーランド滞在中も色々なところを散策することを趣味としておりました。特に狭く細い路地裏が好きなようで、そんなところにある変わったレストランや古着屋などを見つけてきては、私をよく連れてってはニコニコして楽しんでいる様子でした。


そんな彼女が麗らかな春の訪れを感じる10月、いつもの如く街を徘徊しているときのこと。

偶然にも彼女は、語学学校でお世話になっているダンディーM校長先生と遭遇したのであります。この時の再会が私たちのその後の人生をすべて変えてくれることになるとは、その時知る由もありませんでした。彼が大声で、

〝旦那に至急学校へ来るよう伝えてくれ!〟

と血相変えて叫んだそうです。

さてその頃、いくつか仕事の手掛かりが掴め始めた私は、学校に呼ばれる意味が鈍感なことに良く分からず、〝なんだ、なんだ、この忙しいときに!呼び出してきてえ・・・〝と無愛想で仕方なしといった横柄な態度で学校へ訪れたという記憶しています。

P社長に面会するやいなや、第一声

〝なんで返事をしてこなかった!こっちからメールで何度も連絡をしたのに!〟

と少々、高声で荒げで大層ご立腹のご様子。私は、キョトンと狐につままれたような表情で〝えっ、メールなんて受け取ってないよ。〝と彼の機嫌を抑えるに必死の抵抗。その後、彼は無表情になったかた思うと、ひとり社長室に導かれました。

ここから社長の長い長―い話が始まりました。彼は、一端話し出すと、いつも1時間は止まりません。また恐ろしく早口なのもこの社長の特徴です。

「俺は非情な人間で、人はナカナカ雇わないんだ!いいか、よく聞け!その私が・・・」と興奮しながら前置きがあり、2,3年後の学校のビジョンを語っていましたが、その当時聞きなれない学校の専門用語がバシバシ出まくってましたので、タダタダうなづくばかり。実際まったく理解しておりませんでした。都合よく

私を雇いたいということだけ分かりました・・・

今から思えば勉学中、周りの若い10代・20代の学生に負けじと、キッチリ真面目に学校に通い、学校のイベント事では“女装”を強要されても嫌とは言わず、張り切って踊りまくり、歳を忘れ恥を忘れて学校に貢献したことが功を奏したのかもしれません。

その当時ここの学校は約150人ほどの生徒がいましたが中国人・韓国人が圧倒的大多数で、日本人学生の割合はとても低いものでした。今後それを梃入れし挽回していくためにも、日本人スタッフを必要するとのこと。10年間の経営で偶然にも私に〝白羽の矢〟が立ったのは誠に幸運でした。完全に舞い上り、その場でヒョロヒョロになりながらもOKの意志だけを彼に伝えお別れの挨拶。

社長室をでると心配そうな表情の嫁さんが、椅子に座って待っていました。

私は、すぐには喜びの表情が出せません。夢かなと頬っぺたをひねり帰途へ。嫁さんが女神に見えた瞬間でありました。彼女が彷徨していなければ、この運命は私の元へやってこなかったことでしょうから。

そのとき、あの占い師のマスターの言葉を思い出しました。私の運勢は「人に頼ると良くなる」のだということを・・・まさかこんな時に起きようとは・・・!?


<<またまた次回へ>>


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”永住権獲得”冬物語!

2005-10-22 18:08:25 | 旅日記
昨日は失礼致しました。どうやら風邪をひいたようです。最近めっきり寒くなってきました。この時期これほど寒かったでしたかねえ、日本は。

さっそく話を前回に戻しましょう。

前は、ニュージーランドへの移民する人たちは後を絶たないと書いたのですが、どうやら2005年8月までの1年間にNZに移住した人は、前期に比べて66%の大幅な減少となったことを、NZ統計局が23日発表したようです。

 それによると、12か月以上の長期滞在目的の入国者数は78,000人となり、前年に比べ3,600人、4%の減少で、長期滞在目的の出国者数は14%増の72,300人。入国者数から出国者数を差し引いた純増は6,700人となり、前期の19,300人と比べて66%の減少となってしまいました。

そうですね。去年は永住権の審査がとても厳しかった年でありましたし、この結果は致し方ないように思います。今ニュージーランドは労働者不足で困っていますから、これから永住権を望む方々にとっては逆に朗報と言えるでしょう。間違いなく審査基準が緩和されてくると思いますから希望を持って申請してください。

さて、話を私たちのことに戻しますと、仕事がナカナカ見つからなかった私は、とうとう半年間の学生ビザが切れてしまい、それ以上継続して滞在するわけには行かなくなってしまいました。延長の滞在方法としては、学校に継続して通い学生ビザを発行してもらう、ニュージーランド移民局で観光ビザに変えてもらう、一度国外に出て再度入国し自動的に3ヶ月有効の観光ビザに書き換える・・・このいずれかであります。たまに知らないうちにビザが切れて違法滞在してしまうバカ者もいますが、これだけは絶対しないで下さい。もう一生再入国はできません。ブラックリストに載ってしまいます。

私たちは取り敢えず気分転換がしたかった理由もあり、一先ずオーストラリアへ10日間旅行し、またNZへ入国することによって3ヶ月有効の観光ビザへ切替えました。参考までに注釈しておきますと、オーストラリアに入国する際、日本人であろうとかなり厳重なチェックをされることを覚悟していてください。違法で労働する日本人が急増しているためです。

心構えとしては、かなりキツイ口調で質問攻めにあっても、堂々としていてください。絶対パスできますから。変にオドオドすると別室に連れて行かれます。私は若い頃イギリスに行ったときこれでエライ目に遭いました。2時間ほど税関で怪しい人物と間違われたようでした。結局、通過できたのですがスコットランド行きのトランジットをみすみす逃してしまった苦い経験があります。自分でいうのもなんですが、仏様のような顔だと思うのになア・・・彼らには犯罪者に見えたのでしょうか?

観光ビザは最長9ヶ月まで延長ができますので1年以上滞在を希望するのであれば私と同じプロセスを辿られるといいと思います。

こうやって四苦八苦しながら延長していくのもスリルな気分で楽しいものでした。

<<またまた次回へ続きます>>


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”永住権獲得”秋物語!

2005-10-20 17:28:17 | 旅日記
ニュージーランドに永住を求める人は年々後をたちません。

毎年約5~6万人以上の移住者を、この国は受け入れています。他の英語圏のアメリカ、イギリス、オーストラリアと比べても移住者に対し、とても寛大なところがあります。新しい移住者に対する政府のサポートは中々しっかりしてとても親切だといっていいと思います。

私たちがやってきた2002年、現在の移民法が大幅に改正される前、永住権を申請するには比較的容易な基準だった最後の年でありました。最初の4ヶ月間、昼間は英会話学校で勉強していたので、全く永住権のことなどお互い念頭になかったのでありましたが、ある日、知人からその申請内容を聞いた瞬間、私たちにもその可能性があることを知ってしまったのでありました。現在ではその内容は変更されたものの、恐らく基本的なところは変わっていないと思いますので、参考にしていただければ幸いです。

申請前の私たちは、

“一生のうちに二つの国を自由に行き来できるなんて、なんて幸せなんだろう!”

と妄想を繰り返し、夢のような気分に浸っていました。まだ取れてもないのに、心は弾みまくり。

秋の紅葉の季節。さあ〝善は急げ〟と、学校に一週間ほど休みをもらい、どうやったら申請できるのか調査に入りました。まず手始めにとった方法としては、日本人向けに発行されている雑誌広告の〝初回相談無料〟という見出しで、いかにも怪しげーな弁護士が町にウジョウジョといたので、それらを徘徊し上手く利用しながら永住権に必要な情報をタダで収集していったのでした。その節はお世話になりました、多くの弁護士さん!

日本からの必要書類として大学の卒業証明書、職歴証明書、警察証明書などで、それに加えて3ヶ月以内の健康診断書をニュージーランドの病院で作成していただく必要があったと思います。一部の大学及び専門学校などを卒業した場合、更にNZQAという政府の資格審査機関があり、そこでニュージーランドの大学と同等の資格を有することの証明が必要でした。

このNZQAの審査に出すと、判定が下るまで最低でも6ヶ月間かかってしまいますので、前もってニュージーランド移民局のサイトを観て自分の学校が該当しているかどうか、確認されておかれたほうが良いでしょう。

特殊な技術を有さない申請者以外、残念ながら高卒ではまず申請は不可能でありました。また特殊技術といいましても、ニュージーランドに必要とされる技術、例えばIT・建築・農業・船舶等であれば、比較的容易に申請することはできますが、例えば「俺はトンネルを掘る仕事を日本で10年やってきた!」と、気を吐いたところでニュージーランドにトンネルは南島に一箇所しかありませんから、まず今後とも不必要な技術でしょう。ですから審査では間違いなく不合格となってしまいます。

また大学での「教員免許」「医師免許」を保持し、それに関係する仕事をニュージーランドで見つけたとしても、永住権申請のポイントとして見なされませんでした。私が良く使っていた駐車場で働いている荒井ちゅうに似たインド人と仲良くなったのですが、彼は本国では医者でした。ニュージーランドが自分の医者の資格を認めないと言っていました。勿論、英国人であろうと同等に審査されるのでありました。

さて、私は日本から不足している書類を一通り集め始めました。大学は一応NZQAの認定される学校だったので、一番時間がかかったのが警察証明書。日本領事館から申請依頼するのですが到着まで最低2ヶ月かかってしまいます。私たちは神に誓って駐車違反以外の日本における犯罪歴はありませんでしたが、お役所仕事にそんなことは関係ない!といった感じで、到着するのが遅かったこと。運命は我々に中々味方してくれようとはしてくれませんでした

私たちが焦っていたのは、その2ヶ月間で移民政策の法律が急変し、その年の6月の末ポイント数が当初の25ポイントから28ポイント(ニュージーランドの永住権申請はポイント制度)に上がってしまったことでした。

申請時にポイントを達成させるためには、何がなんでも仕事を見つけなければならなくなってしまいました。仕事のポイント数は大きいのです。

しかし学生ビザで入国した私が一体どうやって、仕事を探せるというのだろう?私は毎日、新聞やInternetを眺めては出来る限りの仕事情報を集める毎日でありました。しかしビザなしの人間には世間はとても冷たいものでした。特殊技能などありません。ワーキング・ホリデービザを持った日本人が、簡単に仕事を見つけられることがどれほど羨ましく思えたことか。いろいろな販売店を脚で回り、何度も断れ馬鹿にもされながら、数少ないチャンスを待つだけでありました。

≪次回へ≫

運動大好き!

2005-10-19 17:28:08 | 旅日記
「キオラ!!」(こんにちは!!)

と、相も変わらずファイト一発のマーケティング担当SS女史が出勤してきました。女ハリソン・フォードであります。12月夏のクリスマスを目前に控えそのエネルギーは大全開。朝まだ眠けがとれず頭が働いていない時、彼女との会話はとてもキツイものがありました。

その日は街中にある各留学エージェントに訪れ、クリスマスプレゼントを持って挨拶行こうということになりました。そんなことですから、元気100万倍。更に〝体力をつけなければ〝と、お昼休憩中突然いなくなったと思えば、40分後に頭をビショビショに濡らして帰ってきました。

「どこに行っていたの?」


「あっ、ちょっと水泳・・・1キロ泳いできた」


「ひょエ~」



と、思わず日本語で叫んでしまいました。

「さあ~、今から行くぞー、エージェント!ついてこい!」

全く着いて行けません。そんな頭をビショビショにして行かなくても・・・

しかし結構いるんです。こんなニュージーランド人が。昼間裏の公園を散歩すれば、必ず見かけます。ランニングをしている人達。別に遊んでいるわけではありません。仕事の合い間を縫っては走ってるんですよねぇ。天気は関係ありません。嵐であろうが雷であろうが走ります。

汗臭くなるとか、考えてないのかなと不思議でしたが、デオドラントでごまかしているのでしょうか?また男性の髪型は、ほとんどが日本で言うスポーツ刈り風。セットの時間がかかりません。見た目は全くもって気取らないニュージーランド人です。

ある日の朝、私の住まいにハプニングがありました。水道が完全にストップしてしまったんです。私は必ず朝シャワーを浴びて出社する習慣がありましたので、とても困ってしまいました。仕方なく近所の「オリンピック・プール」に行きました。一回6ドル(約440円)

長さ50メートルもあるプールならびに通常温度39度程度に保たれている大きなバス、そしてサウナ付というありがたさ。やっぱり日本人にはお風呂であります。シャワーでは疲れがとれません。

このプールに早朝初めていったのですが、更衣室は大満員。恐れ入りました。しかも、ハンガーに掛かってある服はすべてスーツ、スーツ、スーツ。プールでドバ!ドバ!ドバ!と泳いだ後は、颯爽とスーツに着替え会社に向かっていったのでした。

〝馬みたいに体力ある奴らだな~〝 っと、ちょっぴり羨ましく横目で見ながら、私は一人でゆったりと大きなバスにつかり、〝俺はこれでいいや〝っと、お風呂の中で至福のときを過ごしました。

日本では軟弱者の私でありましたが、このような環境の下で3年間半、暮らしていたおかげで、彼らのスポーツに対する情熱の影響を完璧に受けてしまいました。とうとう学生時代いつも〝ビリっけつ〝だったジョギングというものを趣味で始めてしまったのであります。

辛かったです最初は。体に鞭を打って、夕方ジョギングを始めました。

夕方でも大勢の人が公園でジョギングを楽しんでいます。すれ違うジョガーは皆、ニコと笑うか、独特の首を振る合図をするか、“Hi!”と声をかけてくれます。またいつの間にか誰かが一緒に横に並び、”Hi there, how’s going?”。”何年走ってんだい?“”何週走るの?“とか、たわいのない会話がどんどん続きます。そして話の途中でも自分のペースが狂いだすと”Ok Mate, see you then, keep going!”といって分かれいくのです。まず再会することはありませんでした。

私と一緒で超マイペースなニュージーランド人でありました。

昔を懐かしみながら、日本に帰ってきてからも毎朝走っています。もう止めることはないでしょう、きっと。近所の人たちが、雨の中でも走っている私を、唖然とした顔で眺めているのが、私にとっていつも可笑しいです。

私はやっぱり、すでにニュージーランド人なのですかね。

最後に、ハロウィーンの古典ジョークを。

"What's a vampire's favourite holiday?"

"Fangsgiving!! (Thanksgiving....わっはは)"



"What did Dracula say when he was invited out for dinner?"

"No fangs (thanks). I just ate necks (next) door!!" (もう爆笑!おなかがいたい!)


すいません。お付き合い、ありがとうございました。


スポーツマン・シップ

2005-10-18 18:16:44 | 旅日記
昨晩は千葉ロッテマリーンズ対ソフトバンク戦をTVで野球観戦しました。

パ・リーグの優勝を決める大事な一戦でもありましたし、親友がロッテの大ファンだという因果もあって久しぶりに野球を観入ってしまったのですが、マリーンズの劇的な逆転勝ちに心から感動しました。監督・選手・応援団が一丸となって一生懸命高校球児のように戦っていた姿はとても素晴らしかったです。是非この調子で日本一に向けて全力を尽くして欲しいとジャイアンツ・ファン??の私は願っています。

生まれてから小学校4年生くらいになるまで、私はスポーツとは全く無縁な環境で育ちました。今は骨皮筋エモンですが、当時は肥満児であり50m走を9.5秒という超スーパー鈍足。まずスポーツよりも“お饅頭”をこよなく愛し毎日おはぎ4個食べることが幸せでな少年で、友達の間で一番流行っていた野球に加わることはまずありません。それ故、野球のルールすら良く知らなかったのですから、どんな球団があるなんて知る由もありませんでした。

そんな私を救ってくれたのは「侍ジャイアンツ」というアニメ野球番組。私にとっての野球バイブルであります。お蔭様で序所に野球のことが分かるようになってきました。そのおかげで今でもジャイアンツ・ファンと称しています。全くもってコダワリはありませんでした。

ジャイアンツ・ファンがクラスに殆どいないことを、小学校5年生の遠足のときに知りました。友達は皆、黄色いツバの阪神タイガースの帽子。私だけがジャイアンツ。とてもカッコ悪い思いをしたことを覚えています。

さてこんな私が、野球のことについて語ることはとても烏滸がましく思うのですが、巨人の王選手(現在ソフトバンクの王監督)がとても好きでした。小学生から中学生にかけて私にとってはいつも偉大なるヒーローで・・・・“頼むよ、ワンちゃん”と両手を合わせて願えば必ずホームランを打ちまくり、少年の夢を叶えてくれる大きな存在でありました。

それ故、昨日の試合はとても複雑な心境で観ておりました。

勝ったマリーンズは確かに素晴らしい。しかし試合終了後ベンチで涙をこらえてマウンドを眺める王監督の表情を見るに耐えるに忍びなかったというのも本音です。今日、近所のダイエースーパーに行くとダイエーホークス時代の「若鷹ホークス・・・それっ!♪♪」が空しく鳴りひびくテーマ曲。なんで、流れてるんでしょうね?

試合後のマリーンズのボビー・バレンタイン監督のインタビューは立派でした。心から相手のチームを気持ちよく褒め称えられるところなんかは如何にも西洋人であります。勝利の喜びを体一杯に表現する姿はマリーンズ体質とマッチしているのでしょう。自由な“伸び伸び野球”を楽しんでいる印象を受けました。

今日の新聞で、バレンタイン監督のことについて書かれていました。彼は、選手をその気にさせる名人で「Good!」を連発し「君たちほど素晴らしい選手はいない」とプライドをくすぐるそうです。批判は一切せず、絶えず激励するという・・・日本人の監督にはナカナカできたことではありません。

これを読んだとき、ニュージーランドの教育と似ているなと感じました。彼らは幼少時代から個人の些細な特技を最大限褒めて、引き伸ばしてあげるという教育が自然となされています。私の学生時代では考えられませんでした。日本では上手くやって当たり前、欠点があれば叱り、指摘し改めさせる・・・・社会に入ってからもっと酷くなっていったようでした。

ニュージーランドの元職場でも、社長から暫し「Good!!」「Well done!!!」を連発されたことが今ではとても懐かしいです。とても些細なことだったですけれど。努力すれば、凄く大袈裟に喜んでくれたりすると、「また、頑張るぞ!この人の為に!」と私のような日本の社会に適応しなかった人間はそう感じるんですよね。

そんな意味で、マリーンズはとても貴重な外国人監督の指導の下、自分達にあった環境で最大限の力を振り絞り“優勝”に向かって邁進し続けることでしょう・・・

なぜニュージーランドのラグビーが恐ろしく強いかが、これで多少分かってもらえたかもしれません。ラグビーならず多種多様なスポーツが盛んなニュージーランド。私たちも彼らのスポーツマンシップを見習う時期にきているのではないでしょうか?


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オーガニック・ブーム

2005-10-17 16:35:09 | 旅日記
我が家は、依然として高エンゲル係数を保っております。

とはいえ現在無収入ですから、エンゲル係数なんか言っている場合ではないんですけれど。私の給料が安かったことを余り攻めないで欲しいのですが、それにもかかわらず普段大人しいペガサスの嫁さんは、こと食べることにかけて人が変わったように命がけになります。

流行言葉で〝こだわり派〝なんでしょうか?スーパーマーケットに行っては、裏のIngredient(材料)の詳細をじっくりと確認し、いつも納得してから買っているようです。日本でもオーガニック・ブームはどんどん広まっているようですが、ニュージーランドでも以前から相当意識をするご家庭が増加しており、新鮮さの点ではニュージーランドの方が先進国を歩んでいるかもしれません。

ニュージーランドは何と言いましても農業・林業・畜産業で栄えている国。キューイ は農産物の代表でありますが、そのほかにもニンジン、カボチャなどの野菜も日本には相当輸出されていて、毎晩皆さんの食卓に並んでいることでしょう。また材木の分野では、歌手の「狩人」が“ニュージーランドの木だから~~~”と歌っている某コマーシャルをみる度に大爆笑。ニュージーランド・パインは重要な建築資材として日本で現在大活躍のようで微笑ましい限りであります。

今すぐ鎖国政策をとったとしましても、自力で300年は食べていけるとまで言われていますが、一方日本は、3日で皆お陀仏。あ~悲しいではありませんか?それだけを考えると、資源が豊富なことに加え400万人しかいない少ない人口がとても羨ましくなります。皮肉にも日本人は少子化問題で困っていますから。単純に足して2で割るとか・・・無責任なことを考えたりしています・・・・?

歴史のスタートはニュージーランドの方が遅かったのですが、同じような土壌で1000年頃からマオリ族が移住したのに何故人口が増えていかなかたのかなと不思議に思います。学校の先生に質問しても答えはいつも「I am afraid...」。あまり関心ないようでした。

さて話はとんでもないくらいに反れてしまいました。
オーガニックの話がしたかったのです。

ニュージーランドのスーパーマーケットのことについては以前お話したことがありますので、詳しくは割愛させていただきますけれど、どこのスーパーでもオーガニックのコーナーが、だだぴろ~~く面積を占めています。恐らくニュージーランド人の糖尿病の深刻化からだと思います。ニュージーランド人の子供を見れば分かると思いますが、小学生でもクラスには立派な“関脇”級の子が一杯!大人になれば、立派な“横綱”の保証付であります。それゆえ世間では健康食品というよりオーガニック=ダイエット食品とみなしているようです。

しかしです。物価や平均収入のことを考えると、とても高値の花。〝誰が買うんだこんな高いもの、よく皆買うな〝といつも関心してみていると、いつの間にか嫁さんもオーガニック売り場の前で釘付けになっている姿がありました。

「お~い、こっちに同じようなので安いのがあるよぉ~、たまには体に悪いもの食べたいなあ~」と遠くから小声で注意をひいてみたところで無駄な抵抗であります。まったく聞いてません。本人は“健康のため・長寿のため”に一心不乱なのでした。

そんな懸命な姿を見てはいつも折れてしまうのでした。オーガニックの牛乳2リットル(350円)、オーガニックの卵(6個:400円)、オーガニックの食パン(300円)、何でもオーガニックでありました。言わせてもらえれば、スーパーにとって私達は上得意客であったのですよ。上得意客。何のメリットもなかったですけれど。

彼女の“こだわり”は留まることを知りませんでした。家で電話帳を引っ張り出しては、オーガニック専門店を見つけ週末直行。その店の名も“ハックベリー”。オーガニックの大豆を買うことが目的でした。しかし遺伝子組み換えの問題などで、大豆は輸入を禁じられておりましたので、「いや、いや、しめしめ」と思ったのも束の間、手にはすでに「小豆」を大量に袋積め。嫁さんは新鮮な“ぜんざい”と“饅頭作り”で幸せ一杯なのでした。

あなたは、オーガニック食品どう思われますか?

ちょっとだけ、英語ワンポイント豆知識です。

日本でもお馴染みの果物キューイですが、英語ではKiwi Fruitといい、Kiwiだけでは通じません。ですから、必ず“Excuse me, I am looking for kiwi fruits?”とスーパーの店員さんに尋ねましょう。もし“Excuse me, I am looking for a kiwi”と言ってしまったら、ちょっと変な人に間違われるかもしません。

「私は、恋人(ニュージーランド人)募集中!」

・・・恥はかかないようにしましょう・・・  


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秋晴れ、小春日和!

2005-10-16 18:10:51 | 旅日記
昨日とはうって変わり今日は最高の秋晴れ。
昼食を終え心地よい風にあたると、ついついウトウトしてお昼寝。幼少時代に戻ったような一日でした。

私たちはニュージーランドの土日になると、たまに近所のオークランド・ドメイン公園に行ってはショート・ブッシュウォーキングを楽しんでいました。NZ Wanderersの基本であります。たった30分くらいの行程ですが、なかなかのアップヒルがあったり、直径1mはあろうかと思われるカウリや楢・松の巨木が何本も行く手に青々と繁り、ミニジュラシック・パーク疑似体験ができるその光景はとても圧巻。途中で出口が在るのかと幾度か冷や冷やさせられ・・・そんな姿を横で笑っている嫁さんでした。

彼女は人が知らない道を探検するのがとても好きな子であります。

日本に帰ってからも、一緒によく散歩に出かけます。しかし、普通の大通りは面白くないようで、いつも路地裏を通ってはウロウロと徘徊する習性があります。今朝も、街で一番の繁華街に買い物に出かけたとき、直進すると思いきや途中でいきなり90度左に屈折。そこでは関西こてこての〝世界長〝が軒を連ねておりました。今日は「競馬」があったのか、朝から景気よくオジサンたちは、つまみと酒を飲みながらスポーツ新聞を片手に、必死の形相で大研究中!・・・

私が出会ったことがない下町のいつもとは違った一面に出会えたのも彼女の性癖のおかげであります・・・?

そんなことで、彼女と散歩に出かけるといつも家に帰ってくるのが予定より遅くなります。今日も結局、たった一駅の距離ですが、あっち行ってはウロウロ、こっち行ってはウロウロ。新しいお店がオープンすればやはりウロウロ。そして必ず〝ユニクロ〝のルートを辿り何着か試着をした後、結局買うことなく次の目的地までまたウロウロ。脚の腫れと腰の痛みに耐えるのでありました。

私も旅行の時などは、いい景色を求めて徘徊するのが好きなタイプなのですが、普段街中を〝無駄のように思える彷徨〝はあまりしたことがありません。

先日、近くのホームセンターに散歩がてら一緒に行きました。片道2,3分のところであります。帰りは30分以上かかりました。8車線もある長い陸橋を渡り、バイパスを超え民家の細道をいくつも通り抜けけ、ズンズン行進します。

もう一体どうなるのだろうかと・・・思ったその瞬間のことでした。

何と言うことでしょう!!!そこには鄙びた「公共の温泉」があったではありませんか・・・!!!!

私と「温泉」は切ってもきれない仲。こんなところに温泉があったなんて・・・ラッキー!

彼女の彷徨がなければ、一生知ることはなかったでしょう。とても幸せなひと時でした。

それ以来、毎日〝人生に無駄な時間はない〝と自分自身に言い聞かせ、〝何かいいことがあるだろう〝とポジティブに、嫁さんの後を付いていく一方で、やっぱり頭の中では〝無意味なのではと?〝と心の葛藤を続け、複雑な心境でジッと歩くのでありました。

兎にも角にも・・・・楽しくウロウロしよう!!・・・・?

さて問題です。

こんな嫁さんの動物占いは一体何なんでしょうか?

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