★夫婦珍道徒然日記★

2ヶ月の準備期間で日本を脱出し、漂着した楽園ニュージーランド。その後の人生を語ります。

皆様。よいお年を・・・・・

2005-12-31 09:37:04 | 旅日記



ミルフォード・サウンドから7時間かけて、ようやく「ワナカ」に到着しました。

〝長かったあ~〝

レンタカーのブルーバードは〝ヒ―、ヒー〝と唸り声を上げています。この辺でもう駄目かと思いました。

ワナカという街は、以前バスで通過したことがありました。その時、10分ほど休憩があったのですが、湖畔からの景色を、私は忘れらることはありませんでした。

それほど素晴らしかった・・・・・・・

名前が、日本的。。。かつての生徒で「若菜」という名の生徒はラッキーでありました。どことなく似ている名前・・・・みんなにすぐ覚えてもらってました。

へとへとに疲きった状態で、「Wanaka ユースホステル」に到着しました。



今日のホステルは満席でした。ドミトリーで一泊。二人でたったの40ドル。最近のユースも変わったものです。

相部屋には、ドイツ人と日本人の女性が宿泊。男性はわたしだけ・・・・

YHといえば、男女別がならわしだったはず

まあ~、そんなこともあります。。。。。。。ねぇ、みなさん。

ラウンジでは、英語が堪能な日本人女性たち数名が、他のヨーロピアンと〝キャーキャー〟話し込んでしました。

「時代も変わったなあ~」

私は外のベンチでワインをガブガブ。私も変わりましたなあ~。

いつもと変わらず平気に、イビキをガー、ガーかきながら、見知らぬ?女性と嫁さんと共に、その晩を過しました。

次の朝、新聞でその大事件を知りました。

スリランカで「津波が発生!!!」

その当時ではまだ、7000人のの犠牲者という発表。

私たちは身震いをしたまま・・・・・

私の学校の先生達は、みな各々の本国(インド、スリランカ)に帰国していたのです。

心底から心配になりました。

YHの滞在者ほとんどが外国人。どれほど震撼したことだったか・・・・・・今でも忘れません。


不謹慎ながらも、旅を続けました。
衝撃的な事件の発生の後、私たちは予定をしていたTekapoへ日帰り旅行で出かけました。

天候は雨。フツウ雨の旅は辛い。

しかしながら、雨のTekapoは最高なのです。

途中、いくつもの小川が通り過ぎます。次第に河川の色が変わってきました。

通常、川の色はちょっと濃い目のグリーン。

でもTekapoの色は違います。

さわやかなコバルト・グリーン!!。雨か曇りの日だけしかみられません。寒いのは分かりっていますが、思わず浸かりたくなる・・・・・乳頭温泉のような・・・いや~、美しい。。。。。

「羊飼いの建物」が見えました。

ルーピンという美しい花が、まだ待っていました。私にとって思い出の花です。

テカポに何があるわけでは、ありません。だけれど、また来たいと思う気持ちにさせられる・・・・・・懐かしさを感じさせられる場所でした。

近くにテカポ名物「テカポ丼」を食べさせてくれる、日本食レストランがありました。

そこで季節の幸であるウニとイクラがイッパイ盛られた丼ぶりをいただくことに・・・

味は最高!!!!!!!!!!!!!!!

久しぶりに日本を感じさせる、この味に暫し酔いしれました。まいったあ~。

ここまで良く来たなあ~と、嫁さんと顔を合わせて喜び合います。嫁さんもリッチなイクラ丼に満足気のご様子。

帰りしな、ニコニコ顔でレジへ向かいKiwiの店員に話しかけました。

「Is this area so beautiful, eh?」
「Hummm, yep,….. but….not really. You will see the more beautiful lake in a fine day!」

「ほんまあ~?」

どうなんでしょう?ほんとのところ。Kiwiと私たちは自然に感ずるところが違うかもしれません?!

次回は、晴天のテカポ湖に訪れ、その違いを実感したと思いました。



<<今年を振り返り・・・・>>

今年8月末からブログをはじめ、その当時のことを暫し思い出します。
何かとお粗末な内容であったかと思います。しかし、自分としては始めて良かったかなあ・・・当時を振り返ります。色々な人の助けがあり、久しぶり友人との再会もありました。

いまではもう信じられません。8月までニュージーランドにいたことが・・・遠い過去のような気がします。

忘れぬことのできぬ、とても勉強させられた休暇でした・・・・・来年仕事を始めたら、書くこともグッと少なくなるかな・・・私のことだから書くのは遅いので、家族との時間を犠牲にしたくありませんし、他にもやりたいことあるし体力的に難しいでしょう。



結婚生活の何番目かの困難を、また一つ夫婦で乗り越えることを経験しました。

まだまだ幼稚な歩み方。でもお互い、いつも新鮮な気持ちを忘れず。

苦しい時でさえも笑顔を絶やさず、生きていることの有難さを心から感じた今年一年・・・・

来年、皆々様にとって来年も良い一年でありますことを心から祈願しております。

ありがとうございました。

フィヨルドの旅

2005-12-30 10:12:43 | 旅日記


ミルフォード・サウンドはとても残念でしたが、次回また帰ってこれることを夢見て、それまでのお楽しみとすることに致しました。

私は旅に出ると、基本的にすべて見ないようにしています。ワザとそうします。その土地を離れることに後ろ髪をひかれないよう・・・・また帰ってくるよと希望をもって。。。。そんな意味をこめて思い出の土地を去ります。また帰ってくるかもしれませんし、そうでないかもしれません。

サウンドという言葉は正確には「Sounds」と複数形になると思いますが、ニュージーランドでのみ使われる単語。他の英語圏では余り馴染みがありません。

「Fiord(フィヨルド)」がもっと一般的。もともと語源はノルウェー語です。



「Sounds」が「静音、静けさ」を感じるところから、この奥深い入り江を総称することになったのでしょうか?言葉を深く探ると面白そう。



太古の日本にもこんな世界があったことでしょう。想像は膨らむばかりです。

言葉で思い出しましたが、ダニーデンからこの辺りにかけてスコティッシュの発音の影響を強く受けていると聞いていましたが、私はとてもビックリしました。

スーパーの店員からして、北島の人たちの発音と全く違うことが分かったからなんです。気分は、昔スコットランドを旅したときに突然タイムスリップ。いいもんですね。好きです、この感覚。異次元空間を飛びまわっている錯覚に陥ります。スコットランドには背の高い山(因みに彼らは山のことをValleyと呼びます)はありませんが、この地を最初に訪れた英国人はさぞかし、感動したことでしょう。自分の国に似ているって。。。。。。。。。



日本の種子島に漂着したポルトガル人たちも、同じような心境だったということを何かの本で読んだことがありました。

私たち夫婦は、途中またテ・アナウに立ち寄りました。有名なダウトフル・サウンドのツアーがここから始まります。ダウトというくらですから、さぞかし疑わしい入り江だと好奇心が駆り立てられるところだったのです・・・・・・・が、日本人観光客の恐ろしい団体を目の当たりにし、気分は一変・・・・

「さっ、行こ、行こ」と私。

途中、罰金を科されたところを、睨み付けながら最大限の注意を払い、そのまま北上。ワナカと呼ばれる小さな街を目指したのでありました。



ミルフォードの旅

2005-12-29 09:54:13 | 旅日記



クイーンズタウンに3日滞在後、ミルフォード・サウンド向かうことになりました。クイーンズタウンからバスツアーもありますが、私たちはレンタカーを借りることにしました。

一日60ドル。とても手ごろな値段。

出てきた車は日産1993年のブルーバード。すでに15万キロ程度走っていました。ニュージーランドでは、こんなのザラです。

もともといい車だったと思います・・・・が、運転すると何となく騒音が変。やっぱり走り過ぎてたのかな?調子は今一つでした。

さて、荷物を車に詰め込み出発。この日はドライブ10時間の長旅が始まります。ミルフォードまでは途中テ・アナウを通過します。

Wakaputi湖を右に規定どおり時速100キロで走行。快調に運転していました。



途中トイレ休憩をしようと小さな町(名前も忘れました)に訪れたとき、悲劇が起こりました。誰も歩いていないような静かな街。道も全く車が走っていません。知らず知らず、アクセルを踏み込み100メートル走ったところで、

「Hey、Hey、Stop!」

と、突然前方左から警官が飛び出てくるではありませんか?

「Pull over! Show me your driver’s license, please」

ネズミ捕りに生まれて始めて捕まってしまった。街中は50キロ制限速度。
私は、69キロ出していた・・・・

でも、そんなつもりは全くなかったんです。広い道だったので、速度を感じませんでした・・・・と必死で言い訳。しかし、折角の旅行を、こんな〝卑怯な奴〝に台無しにされたくありませんでした。

さっさと、手続きを済ませ「いくらやねん?」と尋ねると、「140ドル」と申し訳なさそうに警官。

「げぇっ~、なんでそんなすんねん?」

どこかで、お金を節約しなければいけない羽目になってしまいました。

何となく、後味が悪いまま運転を再開。今度は絶対気をつけようと自分に戒めながらテ・アナウに到着。天気が次第に怪しく変化してきました。

〝天気まで、味方してくれへんなあ~〝

ミルフォード・サウンドは年の3分2が雨・・・・どうしょう?

旅を急ぎます。そこから休憩を殆どとらず、必死で運転。嫁さんは運転ができません。途中、「ロード・オブ・ザ・リング」で観るような景色が惜しげもなく現れます。その壮大で迫力あるスペクタクルに感動。感動しすぎて、二人ともちょっと酔いました。



急いだ甲斐もなく、ミルフォードは「大雨」で優しく迎えてくれました。有名な「シンドバッドの谷」は霞で全く見えません。

年末で超人ごみでした。クルージングは2時間待ち。一人70ドル。二人で140・・・・

どっかで聞いたことのある数字。そうあのスピード違反の罰金と偶然同じ。

「神様がこのクルージング・ツアーに参加しないほうがいいぞ!」と私に囁いてくれているようであります。常にポジティブ思考。

さっと、体を180度捻り、すたこらサッサと一路引き返したのでありました。



この続きは次回。

クイーンズタウンは高い?

2005-12-28 13:40:01 | 旅日記


クイーンズタウンの高い物価は、とても有名な話。

13年前は今と違って値段の認識不足から実感しませんでしたが、お金に苦労するようになってから去年は思いっきり感じました。確かに高い!特に街中のスパーとレストラン。オークランドと比べTakeawayで、2から3ドル。ちょっとしたレストランで5ドルくらい。お金は湯水の如くドンドン無くなります。

やっぱり観光地。ツーリストだらけですから、折角の休日は外食と洒落たいものですからね。



が、前もって食料品をオークランドで買い込んでいました。

町を歩いていると、バッタリ顔じゅう髭ズラの元生徒に遭遇。こんなのバッカリです。

突拍子もない声で、

「こんなところで何やってんですか?***さん」

「いや、ちょっと・・・あの~~~旅行・・・

彼にどこか安いスパーが無いか尋ねました。彼はここで生活してもう半年以上経っていましたので、何でも知ってます。

「フレッシュ・チョイスがチョーいいっス!!!」

洒落のつもりだったのでしょうか?・・・よくわかりませんでした。

彼と再び会う約束をして、早速そのスパーに向かいました。

街から10分ほど歩いたところにありす。ちょうどお宿の「Pinewood Lodge」からも近かった。街中と比べ思いの外、大きいスパー。値段もオークランドと一緒。

「これで我々は助かった!」・・・・・二人とも喜び合いました。ちょっとお勧めのスパーです。

再び街中に戻ると、アルプスの少女ハイジに出てくるヨーゼフのような犬がツーリストの注目の的。とてつもなく大きい。

何をするわけでもありませんが、珍しいくらい大きいので皆立ち寄っては飼い主に語りかけていました。

もちろん、チョー犬好きの嫁さんは全く躊躇なく近寄り撫ぜ回します。トラみたいに大きいのに??・・・手はヨダレでドロドロになってしまった。

冷や汗をかきながら私は食べられないよう??3メーター離れて立ち、カシャ!っと記念撮影。写真では大きさが伝わらないのがとても残念です。

クイーンズタウンは犬連れが多い街。飽きることのない嫁さんでありました。



次回はミルフォード・サウンド旅行編のお話です。


≪またおまけ・・・・「楽天」12月6日より≫

Rotorua(ロトルア)という有名な観光地が北島にあります。

日本の「別府」とは姉妹都市といわれるくらいでありますから、
温泉が豊富に湧き出でる場所。この地に近づくにつれ卵が
腐った臭いがするのも、日本人であれば馴染みやすく、ついつい
「思えば遠くえきたもんだ」と郷愁の念をいだき「海援隊」の歌を
口ずさんでおりました・・・・フルい。。。。

Pakeha(白人)はこの土地の名を、英語風に「ロートルーア」
と発音しがち。Maori(マオリ族)が多いこの土地では、
ちょっと嫌な顔をされますので、皆さんお得意の日本語のまま
自信もって発音しましょう。


「ロトルア!」・・・・と。

みんな、ニッコリ微笑み


「Haere Mae(ハエレ マエ)」(いらっしゃい!)


と言って迎えてくれることでしょう。

オークランドから片道車でフツウに時速100kmで走ると、
約3時間で到着。気楽に行ける範囲にあるところがまたいい。
非常に便利でありました。

シーズン中は、宿泊場所に困ることもありますが通常は、
当日予約でOK。ドミトリータイプのYH・バッパーも数が豊富に
あります。ですが折角温泉地に来たのですからB&B(朝食つき
民宿)やモーテルに泊まってみたいもの。大抵のところには
温泉が引かれ宿泊中好きな時間に入浴することができます。



まずはInformation Centreに立ち寄って、自分の目的・予算
に合った宿を店内のパンフレット(Leaflet)から選んで
店員さんに予約を頼みましょう。簡単に手続きは完了。

2人で75ドルから100ドルのご予算があれば、清潔感・設備
サービスともほぼ満足することは間違いなし。

中に一軒日本人のご家族が経営するモーテルがあります。
その名が「テルメリゾート」。日本式「露天風呂」がある
と聞き、一度宿泊したことがありました。

出迎えてくれた、ご家族はとても人当たりのいい方々でした
・・・・But! 見てくれは、ちょっとお世辞でも綺麗とは
言い難いお宿。二階建ての文化住宅風といいますか・・・・
隣の部屋の声も良く聞こえます。日本風「露天風呂」の設計
もちょっとお粗末。

ここまで書いてしまいますと、なんだか商売の邪魔をして
いるようです・・・・

しかしこの点が改良されれば、間違いなくとても居心地のよい
モーテルになるのです。

なんたって、露天風呂の泉質が最高。乳白色の温泉でした。
三日間、朝・昼入ったところ肌はツルツル。輝きがでます。
なんだかアトピー性皮膚炎でお悩みの方もここの温泉に入ると、
一発でツルツルになってしまうそうな・・・・

ロトルアの中で、私達夫婦にとって屈指の泉質を誇る温泉宿です。

もう一つ特筆しなければいけないことは、露天風呂から見上げる
夜空の美しさ。

プラネタリウムでは、見ることができません。あの美しきミルキー
ウェイ。この世のものとは思えない幸せな気分。時間が過ぎるのを
忘れてしまいました。是非訪れられて至福の時を味わって欲しい
ものと思います。

少なくとも、海パンを履かなければいけないポリネシアン・スパ
よりはいいかも・・・


あっ、また商売の邪魔をしてしまった

・・・・スイマセンでした。


クイーンズタウンにて

2005-12-27 10:42:12 | 旅日記


昨年のこの時期、クイーンズタウンにおりました。

私とっては2回目の訪問。一回目はまだ27歳で若かったせいか、約30キロのバックパックを背負い、当時はかなり精力的に旅をしたことだと思います。もちろん殆ど単独行動。2泊3日ルートバーンのトレッキングに挑戦したことは、今でも良い思い出。

その時の見た自然の美しさが脳裏に深く焼きついていました。月日は流れ、再びこの地を夫婦で訪れようとは、その頃の私には全く予想するはずがありませんでした。



飛行機のチケットを出発の半年前にインターネットで購入。一番安く手に入る時期です。その代わりキャンセルはできません。マイルポイント加算もなし。でも安いのが魅力!

その出発の前に日、クイーンズタウンに季節外れの雪が降ったとのニュース。さぞかし寒いだろうと防寒具を用意。

私たちは覚悟して、クイーンズタウン空港を降りました。

その日は最高の天気。思ったほど気温は低くありません。山は雪がすっぽり被っていました。この時期ではありえなかったそうです。



再びみた景色は、また全く違う印象を受けました。そこが自然の素晴らしさ。以前見えてなかったものが、どんどん迫って目の前に現れます。

町中に入ると、すっかり様変わり。今でもちっちゃい町ですが、私はとっては〝小さな都会〟になったなあ~という感想。以前たどった軌跡を確認するまでかなり時間を要しました。Wakaputi湖もあんな綺麗に外壁を石積されてねえ・・・・昔はあんなのなかった。

レストランやお土産やさんも犇きあって並んでいました。目を凝らして、昔行った覚えのある中華料理レストランを探します。

あった、あったありました。かろうじて。昔と変らぬ佇まい。よかった。ちょっとだけ記憶と接点ができました。

その日の晩から〝Pinewood Lodge〟というバックパッカーズでお世話になりました。色々な安宿がありましたが、ここのバッパは大正解。町からちょっと離れますが、その分部屋からの景色が最高。ラウンジに座りワインを飲みながら観る山峰はとても素晴らしい。

気分はとてもいい。

同じ棟で、4人のフランス人ご一行と一緒になりました。彼らは、日本で2~3年働いていて大の日本人贔屓。日本が大好きだそうです。多少日本語も話せました。私たち夫婦は、フランスで結婚式を上げたもんですから、会話は自然と弾みます。

偶然の出会いから、とても楽しい滞在を過すことができたのでした。

またこの続きは次回お話しようと思います。

先日12月25日、クリスマス・カードで感極まってしまいはっきり申し上げることができませんでした。

約20人弱の方が、辛抱強く継続して読んでいただいている超マイナーブログ。その大多数は、私の友人・知人の方々である・・・・ようです。はっきりとは分からないのですが・・・・そんな気がしますので、

この場をお借りしまして、皆さんにご報告させていただこうと思います。

お蔭様で、転職活動に一先ず〝終止符〟を打つことができました。

長い間ご心配をおかけしました。来年からは、またなんとかやっていけそうです。

あらためまして、ありがとうございました。



ハッピー・メリークリスマス!!!!♪♪

2005-12-25 18:08:46 | 旅日記


クリスマスですねえ・・・・・

起源のことはよくは知りません・・・・・特別な日なのですね。皆さんは今宵どんなクリスマスを迎えていらっしゃるでしょう・・・・か?

町には色んなクリスマス・ソングが流れてきます。

やっぱり僕のクリスマス・ベストソングは、「今宵星のかけらを探しにいこう」かな・・・


マイケル・ジャクソンもジャクソン5時代は良かった。・・・・・



「ママがサンタにキスをした!」



Whamは定番「Last Christmas」♪


毎年、山下達郎はクリスマス・ソングの帝王。


竹内マリアさん・・・・・・・最近どのように過されているのでしょう?でも「クリスマスは今年もやってくる・・・・♪♪♪」は今でも忘れられません。



どの時代に聞いてもいい曲でした。思わず自分の人生を振り返ります。


今日、もと語学学校のスタッフ一同から思わぬクリスマスカードが届きました。



涙が溢れました・・・・・・・



皆まだ、僕のこと覚えていてくれた・・・・・・・・・・ゴメンなさい、皆なんの便りもしなくて・・・・・

ありがとう。最高のクリスマス。

サンタさんが今日、クリスマス・プレゼントをもって会いに来てくたようです。

一人ずつあらためて、今まで見守ってくれた皆さんに


「ハッピー・ストーリー」



ご報告しようと思います・・・・


半年間、ありがとうございました!!!!

“A Happy Merry Christmas!”






<<またまたおまけ・・・・>>


以前「ラスト・サムライを振り返って」のところで、Mt Taranaki
(タラナキ山)をご紹介いたしました。Taranakiという名前は
マオリ語。どういう訳だかこの山にはEnglish名が存在します。
その名がMt Egmont(エグモント)。恐らくエグモントさん
という英国人が最初に発見したからというのは、容易に想像
できるところです。

しかし初めてきたツーリストにとっては、ちょっとご迷惑。
事実を知らなければ一体「どっちの山」の話をしているのか分から
なくなってしまいます。

この私もその一人でした。写真を見る限り高さは日本の
「富士山」ほど高くはありませんが、形は「富士山」そのもの。
ちょっと勾配がキツイかなあ、といったくらいの違いです。
一つ存在するだけでも十分鑑賞に値する山なのにこの国には
2つもあるのかあ、と長い間感心していました・・・・その後、
同じ山と分かってちょっとガッカリ。

私は神戸で育ちましたので、昔から滅多にお目にかかれぬ
「富士山」には特別な憧れがあります。

それで1992年その当時では、余り観光地化されいなかった
New Plymouthに行きました。オークランドから南西に車で
約5時間くらい走ったところでしょうか?

そこに輝かしく聳え立つMt Taranakiがある

・・・・はずなのでした。

滞在した二日間なんと、Mt Taranakiはその雄姿を全く現しま
せん。熱く覆う雲がその姿を隠してしまったのです。麓にある
Tourist Centreまで行けば見れるかも・・・と、微かに期待
はしましたが、やっぱりダメ。

虚しくも、そこの窓から実際に眺められるとされるMt Taranaki
の実物サイズの写真が代わり飾られていました。


「そんなもん、いらんわい!」


3日目の出発の日。Mt Taranakiを見るだけの為にやってきた
このNew Plymouthに別れを告げ、帰りのバスの中へ。

それから出発数分後、徐にバスの車窓から外を眺めました。すると・・・

ジャン、ジャジャ~~~~ん・・・・

そこには、まさに美しき「Mt Taranaki」。

思わず

「富士山!」と声を震わせる私。

最後に見送ってくれたではあ~りませんか・・・・?!

幸せな気持ちで、New Plymouthをあとに・・・・

今となっては、とてもいい思い出です。



クリスマスは気をつけよう!

2005-12-24 17:24:06 | 旅日記


クリスマス・イブがやってきました。

ちょっと冷え込んだ朝でしたが、神戸は快晴。とても良いジョギング日和。

昨晩、我が家ではクリスマス・イブを一日早くお祝いしました。神戸で有名なケーキ屋さん「コムシノア」で嫁さんがデコレーション・ケーキを買ってきてくれました。

全然知らなかった・・・・

また嫁さんに一本やられました。ビックリさせるのがとても好きな嫁さんです。



今から30年ほど前、家にお客さんが来れば必ずデコレーション・ケーキ持参がならわし。その頃はバター・クリーム味でスポンジもパサパサ、いちごは酸っぱいと全然美味しいものとは思えませんでしたので、お土産でもらったところで、ちっとも嬉しくありませんでした。

私はお酒が好きなのに、根っからの甘党。朝から、平気でクリームパンやアンパン、チョコレートを丸かじり食べられます。いくらでもOK。

その私でさえ、当時のデコレーション・ケーキは苦手でした。

しかし、昨日の「コムシノア」は全然違いました。今まで心の中では「ザッハトルテ」か「チーズケーキ」がNo.1だったのですが、それを塗り替えてしまうかもしれない

・・・それ程、美味しかった。最高!

今朝、早速朝ごはんで再びそのデコレーション・ケーキをいただきました。多分、一個は丸ごと食べられると思います・・・・?!今度はこの一回り大きいサイズを挑戦しようと思います。

ニュージーランドも真夏のクリスマスまっさかり。昨日はショッピングが過熱しすぎて、エフトポスが壊れたそうです。それはスゴイ。如何に景気がいいのか分かります。最低賃金も今の9.5ドルから10.?に来年上がるそうですから・・・・日本の賃金レベル以上かな?


儲かってない前の語学学校が気になります・・・・・


さて明日のクリスマス。例年ですと、ニュージーランドはほとんどのお店がお休みになる・・・・はず。

それを知らなかった私たちは、12月25日に2人で大手を振ってニューマーケットにいったことがありました。

とても静かなニューマーケットが不思議でした。まるで正月の東京のよう。

とても恥をかいたようでした。

開いていたお店は、コンビニ、一部のカフェとレストラン、そして観光客用のお土産さん。

コンビニもお酒は販売されません。

我々と同じように勘違いをしている日本人の皆さん、今が買い物のチャンス!ダッシュでスーパーに食料仕入れに行きましょう。惨めな思いをしないためにも・・・ネ!






<<12月3日楽天のブログより「犬のとの思い出」>>

うちの嫁さんは大の犬好きです。

日本では空前のペットブームのようで、ご近所様たちは毎朝
夕方になると散歩がてら、犬を連れて歩いたり、走ったりと
大忙し。嫁さんにとってその時間の散歩、最高のひとときで
す。

彼女は犬の表情で、犬が何を言わんとしているかがわかるら
しいです。スゴい。一方この私は人間以外の動物はどうも
苦手なほう・・・犬が近寄ってきても多少距離を離し、眺める
だけでもう十分満足です・・・ハイ。


ですが、どう言うわけか犬の方からいつも寄ってきます。


嫁さん曰く私が「同じ犬の仲間」と思っているというのです。
確かにどちらかといえば犬顔の私。。。。

朝ジョギングをすると、必ず犬に追い掛けられます。彼らは一緒
に遊んでいるつもり。私は必死です。私を追い抜いては振り
返り、それを私はまた抜き返すことを繰り返します。


結局お友達になっていたりするのですが・・・・

以前お話をしたニュージーランドのフラットの隣の元大家さん
の家に、「大吉」という名の犬がいました。リッチバックという
犬種で、アフリカのサバンナでライオンを追いかけまわす
ハンター犬、年齢はまだ2歳。

大家が台湾に逃亡して以来、暫く私たちが面倒をみていました。

動物嫌いの私とて、残された「大吉」をみるとやっぱり、
ほっとく訳にはいきません。夕方はシブシブ散歩に連れて出かけ
ました。

さすがハンター犬。恐ろしい力。男であってもグイグイ引っ張
られます。歩く姿勢はいつも匍匐(ほふく)前進。

本能的にそうなるのでしょう。

ある日、嫁さんが代わりに散歩に連れていったのですが、余り
の強さで前につまずき倒れ引き摺られたという・・・
くらい力が強かった。

近所にもう一匹とても利発そうで、上品な柴犬がいました。
名前が「スキ」。行儀良く常識ある「スキ」。ついつい「大吉」
と比べ、ため息をついてしまうのでした・・・・あ~あ。

そんな「大吉」もご主人様がいなくなってからというものの、
昼間からずっと、泣き叫ぶ日が続きました。まだ2歳の子供。
とても寂しいのです。



次第にご近所の人たちから苦情が殺到し始めました。

ニュージーランド人は動物をこよなく愛する国民です。動物虐待
を許しません。後日ご近所たちおかげで「大吉」は無事保護
されることになりました。暫くエライ目にあいましたが、
今ではとても懐かしい。お別れに「さよなら」を告げられな
かったのが今でも心残りです。

今でも元気かな、おバカ犬・・・・

今日のところはこの辺で。




アルファベットは芸術?

2005-12-23 13:59:55 | 旅日記


神戸では、昨日の寒さどうやら峠を越したようです。

観測史上第二番目の積雪量を記録。ポートアイランドの橋は地震以来、全く麻痺状態でした。凄かった。交通事故も800件を越えたそうです。

いまだ路面は凍った状態。歩くのが怖い。皆さん、くれぐれも気をつけましょう。





さて話はガラっと変わるのですが、私は小学生のときから、書く文字がとても「古風」に成長しました。無意識に書くといつの間にか大正時代の人が書いたような形を崩した筆跡になってしまいます。書道となると、江戸時代?まで遡ります。特に習ったわけではないのですが、

完璧な「遺伝」でした。

高校生まで正月に行われる「書初め展覧会」では毎年いい思い出・・・・しかし最近ちょっとしたコンプレックス。履歴書を書くと何ともいい年したお爺さんが書いているように思えます。

一方、嫁さんは書道が上手?らしいのです・・・・(嫁さん談)が、ペン字となるととても個性的?な字を書きます。とても味がある。一つとして同じ字がないのです。「あ」という字を書くと必ず何種類かの「あ」の形にお目見えします。こういった字は若い子の心を掴み親近感を感じさせます。

適材適所があるのですねえ。

さて、一方英語のアルファベットはどうでしょう。

ニュージーランド人が書く文字は多種多様。正直とても読み難い。人によって様々でしたが、一番辛かったのは、ディレクターの字

とても小さくミミズのようなフニャフニャな字を書くのです。

大切な訂正文章ともなると、とても困ります。読めなければ、また公正をさせられます・・・・が・・・とても読めたものではありません。しばし、美人秘書のEP女氏の助けを借りなければなりませんでした。



私は慣れてないせいだと思っていました。しかし、相当汚かった・・・らしい。

スペルミスも大量にありました。これも困ります。そんな単語が存在するのか??と必死になり辞書で調べてしまいます。しかし、そんな単語はありません。これでアッという間に無駄な時間が過ぎていくのでした。

ネイティブといっても必ずしも正しい英語のスペルを書いているとは限りません。

気をつけましょうね。みなさん。







(おまけ・・・・12月1日「ラストサムライを振り返り」より)

ノリユキ・パッド・モリタ氏が11月24日73歳、老衰のため亡くなられました。3日前にニュージーランド・ヘラルドのウェブサイトでその事実を知りました。名前を聞かれてすぐ分かった方は、私の同世代で映画をよくご覧になっていた方だ
と思います。

映画「ベスト・キッド(Karate Kid)」のミスター・ミヤギといえば、ピ~んときたのでは?この映画以後、それほど多くの作品ではみかけませんでしたので、ご存知ない方のほうが多いでしょう。

その当時は映画「ロッキー」が爆発的ヒットを飛ばし、勧善懲悪・必ずヒーローが勝つという如何にもアメリカ的発想で映画がもてはやされていた時代。「ロッキー」ほど大掛かりなキャスティングはありませんでしたが、日本人役として大抜擢された無名のノリユキ・パッド・モリタ氏。ハエを箸でものの見事に一発でつかむシーンは懐かしく思い出されます。「空手」の腕前のほうは素人でもわかりました。


まったく下手くそのようでした・・・・


もともとは、Stand-up Comedian(おしゃべり中心の漫才師)だったそうです。役柄から全くそういったイメージはありませんでしたが、今から思えば、確かにヒョウキンなところが風貌からうかがい知れるような気がします。

彼の出演する映画の中で、日本の家屋または文化を紹介するシーンがありましたが、それはそれは勘違いもいいところで、「もうちょっと、日本のこと勉強しようよ~」と願っておりました。その頃は。でもまだ「クロコダイル・ダンディー」よりましかな。登場してきた日本人役はいかにも中国人。黒ぶち
メガネのカメラをもった観光客の役をやってましたもんね。



・・・・フルい話です。



時代は変わって、2003年。ニュージーランドではトム・クルーズが主演する「ラスト・サムライ」の撮影がクランク・イン。日本からも大勢の有名な俳優が続々到着。また日本人の無名キャストやアルバイトで雇われたワーキング・ホリデー軍団もオークランドからMt Taranaki(富士山にそっくりの山)までの特別に用意されたロケバスに乗り、何台も毎日運行。

私の知合いから学生までもが、その目的でわんさか日本からやってきてお祭り騒ぎでありました。給料もバイトにしては破格値だったそうであります。

その知合いN君情報によりますと、トム・クルーズは3人いた???


正確な日本語でいいますと、本物のトム・クルーズは1人ですが、後2人ソックリのトム・クルーズがいたそうです。パッと見ただけでは見分けがつかない2人。世の中似た人が3人いるとは、よくいいますが必死で探してきたのでしょう。

危険なシーンはすべて、偽トム君たちが担当しました。本物のトム君と他の豪華俳優(渡辺健・真田ひろゆき・小雪など)は毎晩一流のフランス人シェフが招かれ、毎晩フランス料理を食べていたそうな。一方、知人他もろもろは毎日弁当。なんともこの差!4ヶ月もの間バッパー(安宿)で拘束。



アメリカ映画で大物日本人が抜擢されたことは喜ばしいことだったのですが、ほんとのところは「Shall we dance?」の役所コウジさんが出る予定だったんですよね。でもオーディションでの不当な扱いで渡辺健さんが恥じも承知でラッキー採用。まだまだ日本とアメリカではフェアな関係とは言い難いようですね。


さて、その知人N君はトム・クルーズを雨の中、人力車で引っ張る役に運良く大抜擢。同じ給料であれば打たれてアッと言う間に死んでまた登場という役よりはマシ。トム・クルーズと一言でも話たかったそうですが、結局緊張のあまり話せなかったそうでした。

「ラスト・サムライ」が完成し、楽しみにしながら映画館で鑑賞。出演するだろう彼を必死で探しました・・・・・そして、いよいよ彼が登場する問題の人力車シーン。。。。



彼は番傘を深くかぶり下をむいたままではないか・・・・・


全くわかりませんでした。少しでも映っていたら、その年の「オスカー」で名脇役車夫部門かなんかで受賞してたかもしれないのに・・・・????!


雪やコンコン♪

2005-12-22 09:52:20 | 旅日記


久しぶりに神戸で雪が積もりました。

朝カーテンを開けてビックリ仰天。外は真っ白です。風も強く、雪が横向きに振り落ちてゆきます。

幼少時代、雪を余り見たことが無かった私は雪が少しでも降ると嬉しくなって、口をあけながら上を向いて歩いたりしたものでした。

今でも多少心は弾みますが、流石に寒い。元気がでません。嫁さんは、この雪の中、朝から出かけていったご様子。無事に帰ってこれるのかな?ちょっと心配。

最近我が家で流行っているのが、備長炭と木酢。

健康志向の嫁さんが、探してきました。理解するのに多少時間がかかるのですが・・・私とは全く違うものに興味を示すときは、とても感心することがあります。

備長炭をお風呂に入れると、良く暖まって寝れることは知っていたのですが、木酢というものは、よく知りませんでした。木酢とは、ウバメガシの木を原料として土佐地方の備長炭専用釜より煙を集め、冷却し液体化したもの・・・と説明書にかかれています。

備長炭をお風呂に入れたままお湯を沸かします。沸いたら入浴する時点で木酢と呼ばれる液を注ぎます。自分がスモークサーモンになった気分になります。

最初は、この独特のアロマに多少抵抗を感じますが、すぐに慣れました。

おかげで、毎日温泉気分。死んだように朝まで寝れます。起きるのが悲しくなるくらい熟睡できると思いますので、不眠でお悩みの方は一度お試しになってはいかがでしょうか?

木酢の他の使い道として、

○お部屋の台所、トイレの消臭
○野菜洗い
○花、野菜作り(害虫よけ・・・この臭いで納得!)
○犬、猫、ゴキブリ、ネズミを寄せ付けない

すごいでしょ。色々と使えそうですね。

ニュージーランドにあるのかな?木酢?



英会話は簡単です・・・・か?

2005-12-21 17:16:15 | 旅日記


今日、元勤めていた語学学校のクリスマスパーティーだったようです。

このパーティーは毎年恒例の行事。一年のファイナルを締めくくります。所謂、紅白歌合戦のようなもの。今年も多いに盛り上がったことでしょう。あ~~~参加したいよお~~~~~。


創立以来はやくも13年が経ちました。日本の会社感覚で考えれば、まだまだ歴史は浅いもんですが、「よく続いたな」というのが正直な私の感想。

この学校ができた時、栄えある???第一回目の授業に出席したのが、この私でありました。生徒数たったの3人の時代。小さい学校だったけれども、直感で将来性を感じました。

今まで受けたこともなかったユニークな授業スタイル。頭をハンマーで殴られたかのように、

〝ガっガがァあ~ん!!〟



と授業は進みます。先生は、喉が裂けんばかりの声を張り上げ話します。真剣そののも。ニュージーランド人でここまでやる奴がいたのかあ!

・・・今のディレクターでありました。

ラグビーの戦闘スピリッツを感じました。恐らく日本に上陸すれば、瞬く間に受講者は増えることでしょう。今でも日本開講を望む生徒の数は絶えません。

この授業を受けた人は、少なくとも言っている意味が分かると思います。

1992年たったの4ヶ月、この授業を受けたのち日本に帰国しました。とても残念でした。残念で残念でしょうがなかった。まだ若かっただけに私の英語のレベルは、短期間で凄まじいスピードで上達しました。



まさに私が求めていた授業。頭で覚えた英語ではありません。体で覚え実感する。そんな学校は、その頃まず無かった。今でもないと思います。

最後の最後まで受けてみたかったあのウルトラ・スパー・ジェットコースター・レッスン・・・・

それから10年後、英語を全く・・・ここをもう一度強調せねばなりませんが・・・全く齧った(かじった)こともなかった嫁さんに、この授業を受けさせました。彼女には最初から、大まかにこのような授業だと伝えていたので素直に参加することができたようです。聞いていなければ怒涛に迷うと思います。

半年後に受けたIELTSのスピーキング・リスニングテストはいずれも6.0。受けた人であれば、どれだけスゴイことか分かると思います。みんなビックリでした。

英語の発音だけに集中することをアドバイスしました。余計な単語を覚えることはありません。日本人は英語学習を十分やっているのです。知っている単語・熟語をネイティーブらしく真似る・・・英語を何も知らぬ嫁さんは、発音の物真似だけを6ヶ月実践しました。

悩む人が多い現代。〝答え〟はそんなに難しくないかもしれません。

英語学習もその中の一つかも・・・・ね。

スローな旅

2005-12-19 18:04:42 | 旅日記


冬になると「青春18きっぷ」を思い出します。

27歳を過ぎ35になるまで、この切符を使い「雪景色」を眺めようと色々な田舎町を一人旅したことは、とてもいい思い出。

もともと友達と行動することは苦手。自分勝手だからです。

ローカル線しか使えないこの切符。年齢からすれば「青春」とは遠くかけ離れ、時代の流れに逆らうかのようにスローに旅を楽しみます。普段は見捨てられがちな田舎の駅。どの駅も存在する意味があるように、当時の私には思えました。

そんな旅に、どれ程意味があったかなあ・・・誰も興味のない無人駅でさえ、忘れないよう脳裏に焼き付けたくなった時期でありました。一人、誰もいない駅のホームにたたずみ、何も考えず・・・

今でも快速電車には余り乗らいないようにしています。隣駅まで、歩いたところでたったの30分。自分の人生にそれほど変わりはありません。焦らせられる自分はやっぱり疲れるだけ・・・

そんな意味で、ニュージーランドはやっぱりいいかも。

ちょっと立ち止まって、急がされている人生をゆっくり振り返って見るのもいいものです。・・・


頑張ろう青少年たち!

2005-12-18 15:56:57 | 旅日記


日本に今年一番の大寒波がやってきました。

各地では積雪の被害のニュースが流れてきます。さすがに神戸の平野部では雪が見られることはありませんが、これから夜にかけ何となく更に冷え込みそうな予感がします。

全日本実業団女子駅伝は大雪の中走り抜いていた姿は感動以前に・・・・こちらが風邪をひきそうな気分に。スポーツ選手は凄いです。

最近の日本スポーツ界は女性上位の時代。昨晩はフィギュアの浅田真央さんが優勝して実情世界一。15歳ながら類稀なる技術と美しい表現力は、素人がみても震撼しました。まるで銀世界の妖精のよう。思わずスクリーンの前で釘付けになってしまったほどでありました。

一昨日はあの卓球の愛ちゃんも長い間のスランプから脱出し、シングルで世界3位に食い込む大健闘。昔、密かに卓球部だった私も大喜び。彼女はきっと自信を取り戻し飛躍的に強くなっていくことでしょう。間違いない!

2人とも素晴らしかった・・・この感動をニュージーランドに在住の日本人の方々にもお伝えしたのですが、伝わっておりますでしょうか?

ニュージーランドの社会もどちらかといえば女性上位。多くの会社の社長も女性が多いですよね。首相も言わずと知れたヘレン・クラーク首相ですね・・・一方Kiwi男性の勢いはどうでしょう?

今から4年前、死亡の理由第2位がKiwi男性の自殺でありました。現在でも状況は変わっていないようです。客観的にみれば楽園の国ニュージーランド・・・彼らには様々な社会問題があるようでした。

10代後半から20代前半に極めて自殺率が高いという事実。男性は女性の能力に引け目を感じ将来に絶望感を感じる飛べない鳥Kiwi。優秀な男性は待遇のいいイギリス・オーストラリアで仕事を探します。Brain Drain(頭脳流出)現象はニュージーランドでも絶えません。

日本では、毎日のように青少年が巻き込まれる残酷な事件が起こります。マスコミは競って、この手の刺激だけを煽るニュースを面白がるかのように追っかけます。私たち夫婦はこういう事件を見るたび気分が悪くなり語るのも嫌になります。

もっともっと若い子達に夢と希望を与えられる番組作りを強く期待する今日この頃。マスコミはそれだけ重要な役目を背負う責任と義務をもっと認識すべきだと思うのです。

今日も、浅田真央ちゃんが出ます。暗い話題を一新に、唯一の暖であるお鍋を囲い夫婦でフィギュアの「エキシビション」に楽しみに見ようと思います。





暖かいお鍋でウォーム・ビズ

2005-12-17 12:55:13 | 旅日記


今日、我が家に電子レンジがないことに気が付きました。

あれば便利なものですが、なければないで食生活も楽しいもの。この寒い季節、湯気が恋しくなりますね。我が家でも電子レンジの代わりに「蒸し器」が活躍してくれています。

これも超Warm Bizを実践している我が家にとって、暖房らしい暖房を使用しないこの時期はとても助かります。

(明日の大寒波、どうやって過ごしましょかね?ちょっと不安

まだ若い嫁さんですが、私同様「古へ」にとても興味があります。電子レンジが無かった時代、蒸し器は冷ご飯を温めるにも、蒸し器は重宝されいたとのこと。

知らなかった・・・

そう言えば嫁さん、ニュージーランドで肉まんを食べたときも蒸し器を使っていました。出来上がったホカホカ肉まんはとても美味い。私の知らないところで、本人は色々勉強していたのでありました。

白菜などの野菜は事前に火を通しておくのですが、この時も蒸し器を使うといいのだそうです。茹でてしまうと野菜の旨みが出てしまいますが、こうすれば閉じ込めたまま加熱ができる。旨みが逃げません。

お鍋だけでなく、蒸し鶏、酒蒸し、土瓶蒸し、茶碗蒸し、かぶら蒸し。冬場の料理は何よりもご馳走。心を豊かにしてくれます。

暖かい料理の話をすると思い出されるのが、ニュージーランドの友人T氏の家。冬時期になると、毎晩お鍋料理で食卓を賑わすそうで、日本でもお馴染みの食材料が色とりどり、目を楽しませてくれます。鍋大名の異名をとるご主人のご指導の下、可愛い愛娘さんと奥さんの三人家族で仲良くお鍋をつつく光景は、とても微笑ましい。

ニュージーランドで生活をしていることをつい忘れホッと安らぎ、ついついワインを飲みすぎてしまうのでありました。その節はご迷惑をおかけいたしました。

その影響を受けて、冬時期我が家でも連日鍋料理を楽しむことに。

嫁さんが一人日本に帰国したときも、栄養が足りず食生活に困った私が考案したのが「たち鍋」。聞こえはよろしいが、単に直立ってコンロのお鍋を突っついて食べるという・・・一人暮らしにはお勧めです。

気が付くと、今ニュージーランドは暑い夏真っ盛り・・・・読んでると、きっと「ウッ」ときてるのではないでしょうか?

失礼しました。




怠け者の大工さん?

2005-12-16 16:23:43 | 旅日記
 

フラットリフォームの四方山話の続きです。

大家の友達で、大学在学中の〝おやじ?〟フラットメイトは、更なるリフォームを計画中でありました。私は、昔取った杵柄でインテリアに多少ウルサイものですから、お蔭様で素人さんより、ちょっとは知識がありました。

彼らも最初の頃はニコニコとアドバイスを求めてきておりました。

が、次第に助言しても全く聞きことはなくなりました。彼らの理想とするインテリアは、どうもスペースを極力有効に使うことが第一。美観は全く二の次であります。そんなところは私の親の言う事とソックリで、昔よく、口喧嘩をしたことを思い出しました。

前兆を予感しました・・・

デザインプランも出来上がったようで、早速リフォームが開始したと思い気や、やはりニュージーランド人の大工さん。仕事は全くはかどりません。彼らは日本よりももっと掛け持ちで多くの仕事を引き受けております。時間制で請求額も決まるそうです。ちょっといじったと思いきや、すぐにその場を離れ作業を中止し、効率は極めて悪いものでありました。

それを傍で見ながら、私は阪神大震災時、神戸に出稼ぎにきた小童職人のことを思い出しました。腕は悪いのにもかかわらず、その当時、仕事は断っても断っても、たんまりありました。急ぐ必要は全くありません。

暇をもてあましているようでした。

ニュージーランドも恐ろしい建設ラッシュ。彼らの賃金は時給30ドルとまで言われ、大工であれば永住権もとれるまでに話は発展?!

あまりにも暢気な仕事ぶりに、大家や〝おやじ〟フラットメートは苛立ちを隠せません。

住んでいる私たちもリフォームが2ヶ月、3ヶ月と経過するにつれ、元あったお洒落な家からは到底、ほど遠い骸骨のような家に住み、彼らと付き合って住まなければならなかったのでありました。

あ~大変だったな、あの時は・・・・



リフォーム好きなニュージーランド人

2005-12-15 10:53:53 | 旅日記


以前にお話しましていました台湾人のフラットでの生活で、また厄介なことが起きました。フラッティングはとても経済的であり気楽に入居できるけれども、一つ人間関係がおかしくなると、我慢と妥協の生活を強いられます。ナカナカ難しいです。

住み始めてから約1ヵ月後、気に入っていた玄関の吹き抜けの天井が埋められてしまいました。おかげで一階はグッと狭くなってしまいました。大家さんの方針で、2階にもう一部屋作るのだそうです。

働くのが嫌いなニュージーランド人にしては、その時のリフォームはたったの2日で終わってしまいました。しかも仕上げはせず途中ほったらかし。日本では耐震性の問題で一級建築士が槍玉に上がる昨今(姉歯氏も気の毒ですよね・・・悪い人たちに捉ってしまいました)でありますが、新しくできた天井はフツウに座っていて抜け落ちそう。

お洒落だったフラットは普通の2階建ての家に変貌・・・・

困ったものでした。

日本でもリフォームは大流行。求人にはこの手の会社の名がズラッと連ねます。ニュージーランドでも関心のある人はかなり多いですね。テレビ番組の中でも面白かったのが家のリフォームの番組。筋肉隆々の体の大きいニュージーランド人がタンクトップ姿で豪快に建物をぶち壊し、手際よく新しいインテリア・エクステリアに仕上げていく過程を観れば、人々に夢を与えてくれます。

直線美とシンプルさ好むのは、日本人の一般的な和風の感性。しかしながら出来上がったニュージーランド人のリフォーム後の家は、悉くかけ離れております。色使いは奇抜な原色を好み、家具や調度品は有機的な曲線のデザインが多く、アクセントにPaua貝殻や造型的食器を飾るなど、専門家以外に、あまり馴染みがありません。

建築材料はヒノキや杉のような針葉樹でなく、代わりに老松(ニュージーランド・パイン)を構造体に使います。床材にRemu(レミュの木:広葉樹)や、高級樹木として長年土の中に埋もれていた樹齢約1000年以上もたったような無垢のSwamped Kauri(カウリ)を使用。

日本では、施工性の良い合板の楢や樺のフローリングが一般的。ニュージーランドはその荒々しい雰囲気を良しとしているので、味があってとても渋い。職人の「仕事の悪さ」を所謂彼ら独自の芸術的「表現力」でカバーするところがスゴい。

このような材料を使うことによってアンティークな家はより渋く、重厚な雰囲気に仕上がります。セカンド・ハンドをこよなく愛するニュージーランド人が多いのも納得。Mt Eden、PonsonbyやParnelの辺りを散歩すれば建立後100年以上の家を、いくらでも目にすることができますよね。

3年前からニュージーランドは、近年建てられた家の建築材料の不具合による水漏れ問題が多発していますが、築50から100年以上の家は、職人の仕事も良く、木も十分に乾燥しているので、一軒家を購入予定の方は中古の家、それも特に古い家を、より安く買うのがお勧めかもしれません。

話しはちょっと横道にそれたのですが、そんなわけで私たちのフラットはこれからドンドンと変貌しプライベートも侵害される目に遭ったのでした。

この続きは次回へ。