★夫婦珍道徒然日記★

2ヶ月の準備期間で日本を脱出し、漂着した楽園ニュージーランド。その後の人生を語ります。

隣のお爺ちゃん

2005-10-10 16:45:40 | 旅日記
隣にお爺ちゃんが住んでいました。その風貌や行動から、私たちは知らぬ間にお爺ちゃんと呼んでいたのですが、後から大家さんのお父さんだと聞かされ驚愕しました。まだご年齢も68歳に達したばかりだったと記憶しています。

若い時分は大工の仕事をしていたそうですが、40歳中からアルコール依存症になり毎日午前様を繰り返す始末でありました。歳の割に外観はかなり老け顔で、歩くことも赤ん坊のように歩くのがやっと。お爺ちゃんの奥様はすでに他界されておりましたので、本人の面倒となると息子である大家さん以外になく、泣く泣く神戸にある邸宅を引払いニュージーランドにやってきたそうです。息子さんは愛する母親が亡くなったのが、飲んだくれの父親のせいだといつも言い放つ始末。そんな父への恨みをもつ息子さん。

週の小遣いは、チューインガム一個を買うためのたった2ドル。半殺しであります。楽しみも何もありません。年金はすべて息子が管理しておりました。

お爺ちゃんの酒癖はニュージーランドに来てからも全く直らず、朝から日本酒を手に持っては一人でお酒に浸っておりました。日本語の通じない海外、友達もなく全く自由のない世界に強引に連れられたわけですから、その寂しさを表しようもなく、いつも紛らわすように酒を飲み続けているようでした。

また症状が悪化するにつれ下の方もだらしなくなっており、肛門括約筋はどんどん衰える一方。便器まで、必死で限りなく歩くに似た走りでトイレに向う努力はしているのですが、途中で力尽きてしまいます。隣に住む不倫男T君の早朝の仕事はまずお爺ちゃんの〝ウンチ〟拾いから開始。彼は、とことん運?から見放されたのでありました。

そんなお爺ちゃんのある日のこと、それまでの辛抱がとうとう我慢の限界にきたようでした。私のところまで、必死の形相で小刻みに歩いてやってきました。

「日本大使館の電話番号を教えてくれへんか!」
「どうしてですか?」
「このままでは、わしの人生はおしまいや。大使館に訴えたるんじゃ!」

大使館は人生相談所ではありませんので、勿論話をしたところで聞いてもらえるものではありませんし、お爺さんはまともに日本語も話すことも書くことも出来ない状態でした。
しかしその時の声は、尋常ではありませんでした。悲痛にも似た泣き声で何度も繰り返し訴えかけてきます。そのまま無視をすることも出来たのですが、あまりにもその姿が可哀想でならず、その日の夕方はお爺ちゃんとともに酒を酌み交わすことにしました。

一緒に飲んでみると、ボケているようなお爺ちゃんも中々しっかりして元気でありました。忘れかけていた日本語も、次第に明瞭な口調で話すまでに変わりました。また私も木工職人の修行をしてきた経験がありましたので、息子さんよりはお爺さんが歩かれた職人としての人生観が理解できましたが、息子さんはそれを不徳としか見なさないようでした。家を出されることを覚悟で話し合いしましたが、息子さんの態度は変わらず仕舞。残念ながらお役には立てませんでした。

翌朝、朝玄関を出るとお爺ちゃんがいつもの通り庭先で一人座っている姿がありました。〝辛いんだろうな〝と心の中で、なんとかに乗り切って頑張って欲しいと願いながら愛車のHonda Vigorに嫁さんと乗車。お爺ちゃんの顔を横目に眺めながら、家を出て学校の途へ。

出発してから約3分後、事件は起こりました。車の中から、とてつもなくキツイ異臭が発生。なじみのあるこの臭い。どこかで嗅いだことがあるはずだ。急いで窓を開け〝一体どこから発生しているんだ〝と、二人で車の中を嗅ぎ回し、原因を究明。高速道路の路肩に緊急停車し路上にでて、自分の靴裏を確認。そしてとうとう発見しました。

「うっ、ううう、ウンコぉぉぉ~!」

お爺ちゃんのウンコでした。庭で踏んでしまった・・・

クソぉ~、あのお爺ちゃん・・・
これを境に、私は非常に強力な運?の強い人間に変わったのでありました。

それから数ヶ月後、我々がそのフラットを離れたあと、息子さんとお爺ちゃんの仲は一層悪化し、お爺ちゃんは日本に強制送還されたそうです。

めでたし、めでたし。



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