★夫婦珍道徒然日記★

2ヶ月の準備期間で日本を脱出し、漂着した楽園ニュージーランド。その後の人生を語ります。

ニュージーランドのスーパーマーケット

2005-08-30 20:48:54 | 旅日記
日本でも、大型のスーパーマーケット店が猛威を奮っていますが、ニュージーランドの規模はその比でありません。とてつもなく大きいです。スーパーに入るたび、自分がとても小さくなったような気がします。

参考までにオークランドにある代表的なスーパーマーケットを列挙すると、高級志向の「New World」一般・短期滞在者向け「Foodtown」地域型「Countdown」、庶民の強い味方「Pack’n’Save」などがあります。他に中国人が経営する「天平」「銀鐘」のような超激安スーパーも存在します。野菜や肉がとても手頃な値段で、家計が苦しくなった時の強い見方です。またアジアの食品が豊富に揃えられており、豆腐や納豆、カップラーメンが食べたくなった時などは大いに利用させてもらいました。

ニュージーランドに来た頃、物価に無頓着であった我々は(当時NZ1ドル=52円)「New World」を利用しました。店内は日本より一回り大きいサイズだが、比較的日本とよく似て清潔感があり、サービス面や愛想の良さでホッとするところがあったからです。ただし値段は他のスーパーと比べても高かく、どこのスパーでもレジは一人のスタッフでまかなうのが普通ですが、ここではいつも二人で待機しておりました。我々はいつもと同じラフな服装で訪れたのですが、周りはヨソ行きの格好で来るPoshな買い物客で一杯でした。

その後、ニュージーランドの物価にも慣れ、家計の節約段階に入る必要性から「Foodtown」へと変更ししました。「New World」と比べて高級感は多少なくなりますが、値段が比較的安いわりに品数も豊富にあり清潔な雰囲気を漂わせます。ビールやワインの種類も多くアルコール好きの私にはたまらず嬉しかったです。

しかしサービス面では支店よって異なり、私のお勧め「Foodtown」は、シティの中心か(ステーション・ホテルの近く)、Mt Eden店でした。この二つは店員の愛想もよく暫し笑顔で迎えてくれました。因みに最悪第一位は、New Market店なので行かれる方は心しておかれた方がいいでしょう。

一般的に日本とは違って社員教育はまだまだ遅れているし、会社への帰属意識がない人が多いと思います。悪気があってやってるわけではないと思いますが、サービスが行き届き過ぎた日本の環境で育った私たちにとって、呆れてものが言えないような無愛想な態度を見せられることがよくありました。永住者として異文化で生活する者にとって辛抱のしどころであります。これが辛く耐えられない人は、是非シティかMt Edenの「Foodtown」、もしくは「New World」に足を運びましょう。

「Pack’n’Save」は日本から来た家族や友達をビックリさせるのにうってつけのスパーマーケットです。巨大なプレハブのような建物でできていて、とてつもなく中が広いのです。天井まで高さ5メールはあろうかと思われますが、天井一杯まで食品が積み上げられています。品数は他のスパーと比べ少なく、その分大量に仕入れているので同じ商品が安く販売されています。大量に購入する家族にはピッタリのスーパーだと言えます。

また買い袋は有料で必要とするかどうかは選択性であり、自分の家からダンボール箱を抱え来店する人を良く見かけます。とても庶民的でリラックスして入れるのがここの特徴ですが、場所が遠方にしかなく店舗数も少ないで、車を持っていないと多少不便であるといえるでしょう。

ニュージーランド人は日本人とは違って、一週間に一度スーパーマーケットに家族で通い、大人が二人余裕で入れるかと思われるカートに食料品と子供?を山のように入れて店内をうろうろする光景がみられるのもニュージーランドならではです。よーく人間ウォッチングすると買い物をしながら、ブドウや量り売りのピーナッツをつまみ食いしたり、買う予定のアイスクリームをレジで待っている間、食べきってしまったりするお客がいます。〝おい、それ反則だろー〟と思えるようなことが、ここでは無罪になってしまうのです。しかし、ニュージーランド人がやっていると、〝まっ仕方ないか〟となってしまいます。

他にもスパーマーケットは存在しますが、自分たちの好み・目的・住んでる地域によって色々と比較検討してみるのが楽しいと思います。余暇の乏しいニュージーランドでスーパーマーケットは、日本では経験できない文化・流行を発見できる貴重な場所だといえるでしょう。

偶然の出会い

2005-08-28 13:07:05 | 旅日記
オークランドはとても広ところだが非常に世間が狭いところです。長く住めば住むほど、知らない人がドンドン少なくなっていき、初めて会った人でも何かしら話題がそれると、いつの間にか共通の知り合いの話題になっていたりすることがよくあります。

オークランドのQueens Streetは皆がよく歩く目抜き通りであり、一番下のCustom Streetの交差点からまでKarangahape Roadまで緩やかな長い坂道が続きます。両端には観光客向けのお店屋さんで毎日大賑い。歩けば必ずと言っていいほど、誰かと遭遇するので、人と会いたくない時は、一本はずれのHigh Streetを良く利用した・・・のですが、しばし無駄な努力に終わりました。

ニュージーランドに来てから5ヶ月が経過しようとしてた頃は、学校のお昼時になると嫁さんと外食をすることが多く、まだ一ドルが50円台だったので自分たちで作るよりも外で食べた方が経済的であったことが理由でした。またニュージーランド人は我々よりも桁違いに食べる量が違うので、一人前を注文するだけで我々二人にとっては十分なのでした。

そんなある日のこと、私たちはいつものように昼をどこで食べようかと散策していたところ、その日は中華を食べたい気分だったので当時よく通ったHigh Streetから一本横道にそれた道沿いの地下にある中華料理店に直行(名前は・・・ど忘れしてしまった。麺料理が特に美味いです!)。大きめの相席の円卓に案内され、目の前には一人、白人さんが上手にお箸を使い麺を食べていました。

突然私は、彼に興味が湧いてきたので、〝どこで箸の使い方を覚えたの?〟と尋ねると、彼は〝アメリカの中華街さ〟と応える。私は彼のアメリカ英語のアクセントに気がつき、再び、〝今、何の仕事をしているの?〟と尋ねると、彼は、またすかさず〝僕はミュージシャンだよ。アート・ガーファンクルを知ってるかい?との返事。

私のテンションは次第に上がり始め、〝勿論知ってますよ。サイモン&ガーファンクルのガーファンクルさんですね〟と私。彼は〝そうだよ。僕はその隣でギターを演奏しているんだ。明後日、彼のコンサートがあってね〟

サイモン&ガーファンクルといえば、私より上の世代の方でフォークソングをこよなく愛した方であれば必ずご存知のはず・・・ちょっと世代が違う嫁さんは(当時26歳)隣で黙々と食べて続けていました。

私の興奮は一層高まり、彼に小学校4年の時に生まれて初めて買った洋楽のレコードが〝コンドルは飛んでいく〟だったこと、そして私の誕生日がアート・ガーファンクルと同じであること(勿論月日だけ)、そして一度日本でもコンサートにいったことがあることを彼に伝えたのです。彼はじっくりと私の話を聞いた後言ったことが、

〝君たちの電話番号を教えてくれ。もしコンサートのチケットが残っていれば、君たちに差し上げよう〟

私の興奮は絶頂に達していました。私にとって彼の言ってくれたことはもうウソでもよかったのですが、そう言ってくれた彼の気持ちに感謝しました。その場で彼からサインをもらい握手をしお別れをしました。

とはいえ、人間誰とてかすかな期待はするもの。家に帰るとすぐさま電話機へと向かい、留守番電話をチェック。フラットメイト(同居人)にも、電話がなかったかどうかを確認しましたが、結局彼からの電話はありませんでした。

そしてコンサート当日、いつもより遅い目に家に帰宅するとフラットメイトが一言、

〝電話あったぞ〟
〝なにいいいいー!〟
〝彼からだと思うよ。留守電にメッセージが入っている〟

フラットメイトはヨーロピアンで、独特の冷めた性格から返事がそっけありません。電話の録音を何度聞き返したことか。確かに彼でした。フリーのチケットを用意してくれているというメッセージ。しかし肝心なコンサート会場がどこなのか分からず、コンサート開始は8時。時計はすでに7時を回っていました。

チケット売り場に電話をし、コンサート会場を確認。場所はオークランドで一番有名なアオテアスクエアでした。

急いで、車に飛び乗り会場へ一目散。シティまでくるまで30分。その時間がとてつもなく長く感じたこと。シティで駐車などしたことがなかった私は、違反を覚悟で時間外の駐車場にとめ、会場の入り口までひたすら駆け走り、息を切らせながら会場の受付に到着。

しかしここで私は困ってしまいました。受付の人が見知らぬ日本人に証拠なしにチケットを渡すとは考えられません。私はしどろもどろになりながら中華料理店での出会いを説明をすると、受付の女性は微笑みながら、

〝あなたたちのお名前は?〟
〝***と****です〟

その女性はカウンターの横から一枚の封筒を取り出しました。その表には私たちの名前が記載されていました。私は身分証明書など持ち合わせてはなかったが、疑うことをあまりしらないニュージーランド人はすぐに手渡してくれました。

信じられないような夢の出来事に開演前、私たちはビールで祝杯。

コンサートが始まると、アート・ガーファンクルとともに、彼が登場し素晴らしいギターの独演奏。嫁さんと目が合ったのか、すかさず手を振ってくれました。一時間半ほどのコンサート。懐かしのS&Gサウンドを堪能し、コンサートは終了。私たちは一言彼にお礼がいいたく、客席に人がいなくなるのを待っていました。すると暗くなった舞台から彼が再び現れ、彼のほうから話しかけてけれました。そして一言。

〝You are lucky guys!〟

ニュージーランドにいれば、きっと誰にでも不思議な出会いがあると思います。このミュージシャンとの出会いは私たちの貴重な体験のごく一部にすぎませんでした。その当時不安一杯だった私たちに大きな勇気を与えてくれた貴重な経験でした。


都会?のオークランド

2005-08-27 10:43:23 | 旅日記
2002年の1月8日に到着して以来3年半、大部分をオークランドで滞在しました。オークランドはニュージーランド最大の都市で、人口は約120万人と全体の4分の1以上が住んでいることになります。これは正直スゴイことなのですが、なにがスゴイかというと人口の割合からすると東京の人口が約1000万人と言われているので、全体約12分の1の比率だから、オークランドの人口の割合が如何に高いかが良くわかってもらえる思います。

年間通して、他の地域と比べ気温はそう変化がないので住みやすく、地方から出稼ぎに来る人も絶え間ないやってくるし、また移民政策を比較的奨励している国なので新しいMigrantは年々増える傾向にあるので、結局自然と人口は増加する一途をたどっています。

ただそうは言っても、人口120万人がだだっ広い北海道のようなところに住んでいるので、とても心はゆったりとして感じます。樹木の多くの緑の色が生き生きとして見え、絨毯のように厚く気持ちがいい芝生が果てしなく続く光景は都会暮らしのものでなくても暫くその場で寝転がってみたくなるでしょう。

空港から車で約25分で街の中心についてしまうのですが、東京のような都会から来た人であれば、その景色を観て多少ホッとするみたいで取り敢えず必要最低限のものは調達できると・・・・。このように表現すると、とんでもなく田舎のような印象を与えますけど、それは一度ご覧いただいてからの楽しみということで自然が好きな私にとっては程良い都会の大きさなのでした。

街の中はYHAやBackpackersのような手軽に泊まれるホステルがたくさんあります。近年は新しく清潔さを売り文句に、尚且つ低料金と至れりつくせりのホステルがドンドン登場しているので、この国の観光産業がどれだけ発展しているかが伺い知れるでしょう。

私たちの滞在も街中にあるInternatinal YHAから始めました。渡航前、嫁さんとは事前に東京の国際YHAで滞在し、免疫をつけておいたおかげもあってか、ここでの滞在はそれ程心配には至らずホッと胸をなでおろしました。

荷物を降ろしUpper Queens StreetからQueens Streetを嫁さんと歩きながら感じたことは、大まかな景観は10年前と殆ど変わらいことでした。ビックリしたことに10年前によく通ったお鍋料理の店がまだあったことで、値段もウソみたいに変わっていません。日本と比べると、変化があるようで、それが分かりにくいのがニュージーランド。タイムスリップしたように過去の記憶を思い出すことができる。日本では、そんな場所がドンドン少なくなっていきているというのに・・・つくづくニュージーランドらしさだと感じた一瞬でした。


ニュージーランドって?

2005-08-26 11:58:26 | 旅日記
南半球のニュージーランドと聞いて、私の親の世代だと一体どこにあるのか正直良くわからず、おじいちゃん、おばあちゃんに至ると外国はすべてアメリカとなってしまい、私はずっとアメリカにいることになっていました。ニューカレドニアやパプアニューギニアの国々や南アメリカと同じくらいの感覚で、日本人のみならず私の知り合いのブラジル人の間でも、ニュージーランドはオーストラリアの一部だと信じている人が多かったようです。

アメリカに旅行にいった元職場のニュージーランド人が、アメリカ人から英語が上手なのを褒められたとういう話もあるくらいで、勿論公用語は立派なイギリス英語なのですが。それ程に認知度が低いのか、大のニュージーランド好きの私にとって、もっと日本人の人たちに知ってもらいたいと願っています。

ニュージーランドはオーストラリアより多少南極に近いところに位置し、日本からは約9000Km離れていて、飛行機の直行便でも約11時間もかかってしまう思った以上に遠い国です。

しかしここ最近、ニュージーランドは日本人観光客ブーム。知人曰く、日本のテレビの旅番組特集でよくニュージーランドが取り上げられているのがその理由であるそうですが、とかく季節時には凄い数の団体客が観光バスに乗ってドーっと街中をと駆け巡り、お土産屋で両手・両足に買い物袋を担ぐ観光客の群集をよく目にするようになりました。昨今では高校生や中学生までもが修学旅行や語学留学で渡航し、日本の学生服が街中を闊歩するといった、一種、異様な光景が最近、街の風物詩になりつつあるようで、ニュージーランド人にはこれが軍隊の行進にみえてると言っていましたが。

どんな形の旅行者であれ、同胞の方々がたくさん訪れてくれていることは、満更悪い気がしないでもなく、この国は面積が日本と相対して変わらないのに人口はたったの400万。多少日本人観光客が増えたところで、交通渋滞に影響を与えるわけでもないですし、緑豊かな景観をそこねることもありません。短期・長期滞在にかかわらずこの国を自然の豊かさ・人間の大らかさの虜になった方は大勢いらっしゃることだと思います。一人でも多くこの国を見てほしいと願っているのが私の本音です。

私もこの魅力はまってしまった一人で、遡れば1992年の2月、今ではもう当たり前のようにゴロゴロいますが、当時ではまた珍しいワーキング・ホリデーで初めてこのニュージーランドの国へ訪れました。

今でも到着した初日のことを昨日のことのように思い出します。まだ留学エージェントなどがあまりなく、インターネット・Eメールが無かった時代。新聞とBackpackersの掲示板、そして知り合った日本人との情報交換が頼りだったとういう〝アナログ生活〟不安と焦りの気持が心をヨギっていく毎日。

そんな中、心を癒してくれたのはこの広い大地、緑豊かな山、どこまでも続く白い入道雲(Aotearoa)、透き通る青空、コバルトブルーの海、海に浮かぶ白いヨット。観てるだけで、嫌な気分から開放させてくれました。仕事に追われ日本ではみる余裕がなかった環境から悦脱し、自然の恵みをこのニュージーランドで一年間満喫した後、日本に帰国しました。この時のLaid-back(くつろいだ)経験が未だに私の基本の考え方となっています。

〝ニュージーランドの魅力は何〟と聞かれて、応えるのに相当な時間がかかってしまいます。自然や人に感動することは、非常に抽象的なので個人によって感じ方が違うでしょう。是非一度訪問されてこの気持ちを共有できたらと切に願っています。

初めての渡航から10年間が経ち、2002年1月、生来の放浪の悪癖が復活し、再びニュージーランドの地を訪ねることとなりました。数々の不思議な体験はここから始まったのですが・・・