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話がわかんなくなっちゃうお。
さて、親鸞会員となり、更に法話の縁に誘われるようになった。
土日に法話があればそっち優先、平日も放課後、授業のない時間、そして早朝。
定期的に顔を出さなければならない雰囲気になっていた。
専用の手帳も買わされ、行事を書き込んでいった。
時間が戻るが、親鸞会員になる前から、教学と呼ばれる仏教の学問について説明を受けた。
仏教を伝えていく上で、基礎が分かっていないととんでもないことになる。
だから学問という体系だったものが教学として教えられている。
では教学を学んでいこう。
話はどんどん進んで行った。
教学聖典と呼ばれる冊子の存在が出てきた。
1号から9号まで存在し、7号を受かったら大導師とかいう資格に挑戦できるとかいうものだった。
確かね。
去年の春から夏にかけて1号が配布された。
冊子一冊につき問題50問。解答も50問。
出題形式は問題がそのまま印刷されているため、丸暗記した解答を書くというものであった。
本試験は1000円かかり、その前に模試に合格していないと受けられないというシステムであった。
最初の模試を受けて、先輩が答えあわせをした。
大体丸。
だがここでカルトらしい一面が更に出てきた。
例えば教学聖典1号の第5問。
弥勒菩薩とか地蔵菩薩とか、多く菩薩と言われているものがあるが、菩薩とはどんなことか。
という問題に対し、答は、
菩提薩埵ということで真実の仏教を求める人を言う。
が模範解答。
それに対し、俺の解答は、菩提薩埵ということで真実の仏教を求める人。
×がつけられた。
赤ペンで最後に「を言う」を付けたされた。
驚愕した。一字一句あっていないと△乃至は×になる。
「という」を「と言う」と書いても△。
もはや理解不能だった。
だが逆に闘争心の湧いた俺は一字一句漢字か平仮名か、1なのか(1)なのか①なのかiなのかまですべて丸暗記し、教学1号2号を満点で受かった。
先輩からは耳が腐るほど褒められた。
ドヤ!と思った。
同時に色んな書物も読む機会が何度もあった。
だが黙読ではない。
音読だ。小学生の時に経験はないだろうか。句点まで読んだら次の人が読むというパターン。
あれだ。更に驚くべきことにそれは活字の本に限らなかった。
漫画ブッダの生き方という本をも順に音読していった。
音読する必要はあるのか?と思った。
しかしこれで地獄に堕ちずに済むのならと、従った。
こうしないと絶対に助からない。いやだけど他に手段なんかない。
これでしか助からない。
その気持ちが明らかに怪しいものを信じ込もうとさせた。
しかしそれはあるとき脆くも崩れ去ることになる。
去年12月上旬。
ニコニコや2chを見ていたときのこと。
もしかしてネットでも宣伝しているのかな?と思い、親鸞会でググった。
結果衝撃を受けた。
2chの親鸞会のスレは大炎上。ニコニコにも上がっていた動画は誹謗中傷の嵐。
そして被害者の声、更には今までの知識を覆す根拠の数々。
親鸞会の信用は一気になくなった。
色んなページを見た。
親鸞会たびたび言われていた必堕無間(すべての人は必ず無間地獄に堕ちる)は、経典にも歴代善知識の聖教にも根拠がない。
正しくは六道輪廻(すべての人は苦しみの6世界をめぐる)などなど。
衝撃的だったのは後生の一大事の解釈までもが違っていたこと。
親鸞会では後生の一大事は、地獄一定の一大事と、救われてからの往生一定の一大事。
正しくは往生の一大事。
念仏を唱えている人は信心決定していなくとも化土往生は果たせる。だがしかし、親鸞聖人はそんな低レベルの話ではなく、報土往生せよとのこと。これを往生の一大事という。
その他、解釈の相違は厖大な量にのぼり、親鸞会に対する憎しみが一気に吹き上がってきた。
純粋に仏教を学び、信じていたのはすべて違っていた。
今までの1年半はすべて無駄であった。
会長を殺したいとすら思った。
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