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更参三十年

ほぼ自身のメモに近いPCの話、アントラーズと鉄道、ママのキルト

使い始めのPC

2008年08月29日 | デジタルな話(PCとスマートフォン)
大学に入ったころ、ワンボードマイコンが流行っていました。ディスプレイは2桁の数字を示すだけ。画面じゃないですよ。数字を示す点灯管が2つ並んでいるだけ。
2年生でシャープのポケコンを買いました。実験のデータ処理のためです。本体は大きめの電卓、プリンタとマイクロカセットテープのストレージ(こんな言葉はなかったが)が一体になった今で言えばクレードルが付いていました。プリンタと言ってもレジのレシートそのものである。マイクロカセットは頭出しが大変だった。カウンタが付いているので、「508から最小二乗法」などと記録しておかねばならない。言語はBASICとマシーン語。ニーモニックを憶えた。
計算機概論という講義では、コーディングシートにプログラムを書き、カードにパンチしました。パンチって、穴開けですよ。一枚に1つのコマンドを書くのである。「write a」など。言語はFortlan77でした。
4年で研究室に入るときには、NTSS(ネットワークTSS)になっていた。紙に打たなくて済むようになったが、古いプログラムはやはりカードで保存されていたので、えっちらおっちら大量のカードを持参した。分子軌道計算をやっていたので、かなりの枚数でした。
この頃ようやくPC(パーソナルコンピュータ)が登場しました。パソコンって、パーソナルコンピュータですよ、知ってますか。パソコンの反対はというと、大型コンピュータですね。TSS=タイム・シェアリング・システムで大きいコンピュータをみんなで分け合って使っていました。東大のHITAC H280は1秒9円でした。下々の我々は「Aジョブ」という優先度が最低のレベルでした。時々現れる「Eジョブ」のおかげで、結果の出力が数日後になることもありました。話をPCに戻すと、最初に使ったのがNECのPC8001です。クロックが4MHzくらいだったと思います。メモリは32Kbyte。FDDしかありません。HDDなん
てありませんよ。FDDはSCSIの外付けで、8インチです。今のFDDは3.5インチです。その前が5インチで、さらに前が8インチ。でかいよぉ。卒業する頃外付けのHDDが来ました。20Mbyte で2リットルのペットボトルを寝かしたくらいの大きさでした。営団地下鉄の車両のような形をしていました。
PC6001というのもありました。ディスプレイが電卓そのまま。今で言えばノートPCの液晶を取り去り、電卓の表示部分をつけた感じです。これにはカプラが付いていて、電話機の受話器をはめて電話回線でTSSをしていました。通信速度は300bpsなので、出力される文字を目で追えました。
そのあと、PC8801、PC9801が来ました。NEC98は有名ですね。Windows98じゃないですよ。ここで大学卒業です。次は別の大学の大学院に来ました。つづく。
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