いのちの源

こちらはあなたにいのちのマナを提供し、あなたを満腹させ、いのちの源を見つけ、一日も早く主に立ち返るように導きます。

苦しみと困難の中、目覚める

2020-02-22 00:57:23 | 賛美の心

十七歳のクリスチャンの迫害の実体験

(山東省)

 私は全能神教会のクリスチャンです。八歳の時、両親に倣って、終わりの日の全能神の働きを受け入れたため、他の同い年の子供と比べて幸運でした。まだ幼かったのですが、とても嬉々として神を信じ、御言葉を読みました。御言葉を読み、教会の年長の信者と交わり続けることで、数年後には真理がある程度までわかるようになりました。特に、兄弟姉妹が皆真理を追い求め、正直者を目指し、誰もが互いに仲良くしているのを見たとき、私はそれほど幸せで楽しい時はないと感じました。後に、ある説教で、「中国本土では、神を信じ、真理を追い求め、神に従えば、命が本当に危うくなります。これは決して誇張ではありません」と聞きました(『いのちに入ることに関する交わりと説教(3)』の「問答集」より)そのときはどういうことかわかりませんでしたが、兄弟姉妹の交わりを通して、神の信者が警察につかまったこと、中国は無神論の国であるため信仰の自由がないことを知りました。しかし、そのときはこうした話を信じず、自分は子供だから警察に逮捕されても何もされないだろうと思いました。自分が警察の手による逮捕と残虐行為を経験した日、その考えが変わりました。おじのように尊敬していた警察が実際には悪魔の群れであることがやっとはっきりとわかったのです。

 2009年3月5日の夕方、私は十七歳のとき、年長の兄弟と福音を宣教して自宅に帰る途中、道が急にパトカーにふさがれました。五人の警官がすぐに車から飛び出し、警告もせず、盗賊のように私たちの電動スクーターを掴み、私たちを地面に押しやり、強要的に手錠をかけました。私は事の突然さに愕然としました。神の信者が逮捕された話は兄弟姉妹からよく聞かされていましたが、その日まさか自分がそうなるとは想像もしていませんでした。パニックに襲われ、心臓が胸から飛び出してくるかと思うほど高鳴りました。心の中で絶えず神に呼びかけました。「全能神様!私は警察に捕らえられ、とても怖いです。自分が何をすべきかも、彼らが私に何をするつもりなのかもわからないので、私の心を守ってくださるようにお願いします」祈ると心がずっと落ち着きました。自分のような子供は警察に何もされないと思ったので、あまり緊張しませんでした。しかし状況は思ったほど単純ではありませんでした。私たちは持っていた神への信仰についての本が警察に見つかると、それらを証拠に警察署に連行されたのです。

 中国北部の早春でしたが、気候はまだ非常に寒く、夜は零下三、四度に下がりました。警察署長は私たちからコートや靴、ベルトまで奪い取り、後ろ手にしっかり手錠をかけました。それはとても苦痛でした。署長に指示された数人の警官に私たちは床に押さえつけられ、顔と頭を革ひもでひどく打たれました。私はたちまち頭が割れて爆発しそうに感じるほど痛くなり、思わず涙がこぼれました。私はそのとき憤慨しました。「文明人らしく捜査」というスローガンが壁にはっきりと書かれていたのに、彼らは私たちを野蛮な追いはぎや殺人犯のように扱っていたからです。全く文明人のやり方ではありません。怒りながら、私は「僕たちが何の罪を犯した?どうして逮捕して殴ったりするんだ?」と尋ねました。この悪しき警察の一人はが私を打ち続けながら、残忍に言いました。「小僧、そんな口の利き方はするな。俺たちは全能神の信者をつかまえに来たんだ!若くて何でもできるお前がなぜそれだ?指導者は誰ですか?この本はどこで手に入れた?答えろ!答えないとぶっ殺すぞ」 そのとき、私は兄弟が歯を食いしばって一言も話そうとしていないと気づいたので、誓いを立てました。「僕もユダにはならない!たとえ殴りり殺されてもしゃべるもんか!僕の命は神様の手の中で、サタンと悪魔は僕に対して何の力もない」署長は私たちが二人共口をつぐんでいるのを見て腹を立て、私たちを指差して怒鳴りました。「いいだろう。強がるのか?しゃべらないか?いたぶってやれ!強がるとどうなるか思い知らせてくれる!」急に襲いかかってきたこの悪しき警察に、私たちはあごをつかまれ、顔をひどく拳で殴られ、私はそれで目から火が出て、顔が刺すように痛みました。私は幼い頃から両親に甘やかされて大事に育てられており、このような暴力を一度も受けたことがありませんでした。屈辱のあまり涙をこらえられず、思いました。「この警察は本当に残酷で、道理がない!学校の先生は、困ったことがあったら警察に相談することっていつも言っていた。警察が『人民に仕え』、『善良な市民を暴力から守る英雄』だと言っていたけど、今僕たちはただ全能神を信じて人生の正しい道を歩んだからと言う理由で、警察に意味もなくつかまって、容赦なく殴られている。これのどこが『人民の警察』なんだ?ただの悪魔の群れじゃないか!説教でこういう話があるわけだ。『赤い大きな竜は悪霊だと言う人もいれば、悪人の集団であると言う人もいますが、赤い大きな竜の本性と本質は何ですか?悪魔の本性と本質。彼らは神に抵抗し、攻撃する悪魔の群れです!サタンの物理的な現れ、肉となったサタン、悪魔の化身です。こサタンと悪魔に他なりません』(『いのちに入ることに関する交わりと説教(3)』の「救いを受ける上で、赤い大きな竜を捨てることの真の意義」)。今までは警察が一般市民のために働く『善人』だと信じて、警察の嘘に惑わされ、それが誤った通念だとは気づかなかったけど、今は警察が本当は神に抵抗する悪魔の群れだっとやっとわかった!」私は彼らを心底憎まずにいられませんでした。私たちがまだ話していなかったため、署長は「もっといたぶってやれ!」と叫び、その手下が二人飛び掛ってきました。彼らに私たちは足を伸ばした状態で床に座らせられると、革靴で足をひどく蹴られ、足を思い切り踏みつけられました。私は足が折れるかと思うほど痛み、悲鳴が止まりませんでしたが、悲鳴を上げるほど暴行は激しくなりました。やむなく痛みに耐えながら、心の中で全能神に呼びかけました。「神様、この悪魔たちはあまりにも残酷です!私はこれにとても耐えられません。あなたを裏切らないように、どうか私に信仰を与え、守ってください。」 そのとき、神の御言葉の次の一節が私の心の中に思い浮かんだのです「あなたの周りの環境にあるすべてのものは、わたしの許しによってそこにあり、わたしがそのすべてを定めることを、あなたは知るべきである。わたしがあなたに与えた環境の中で、明確に見極め、わたしの心を満足させなさい。恐れてはならない。万軍の全能神が必ずあなたと共にいるのだ。神はあなたのしんがりとなり、神はあなたの盾である。」(『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第二十六章」より)御言葉は私にとって大きな信仰と強さの源でした。自分が経験している事態が神の御座からの了承を得て起こっていること、今こそしっかり立ち、神を証しすることが求められている時であることがわかりました。若いとはいえ、神を強い支えとしていたため、何も怖くありませんでした。しっかり立ち、神を証しし、絶対に怯えず、サタンに屈しないと決意しました。神の御言葉による手引きと導きを通して、苦しみに耐えてしっかり立ち、神を証しする自信と決意を抱いたのです。

 その夜の午後七時過ぎ、署長は再び私に尋問しに来ました。私を凍えさせようという意図で、非常に冷たいコンクリートの床に座るように指示しました。私があまりの寒さで両足がしびれ、全身が震え上がっていたところで、署長は手下に私を持ち上げて壁に寄りかからせるように命じてから、容赦なく私の手とあごを電気棒で感電させました。私は電気ショックのせいで手が水疱だらけになり、歯がすべて痛みでしびれました(今も物を噛むと歯が痛みます)。  しかしそれでもこの悪魔は怒りが収まらず、次は私の股間に電動棒を当てました。この責め苦に私は言い知れぬ痛みを受けましたが、署長は頭を後ろにそらして笑いました。その時点で、私は人間性が完全に欠けているこの悪魔を骨の髄まで憎みました。しかし、この悪しき警察にどのような質問や拷問を受けても歯を食いしばり、一言も話そうとしませんでした。それは朝の二時か三時まで続き、その頃には全身が麻痺しており、どこにも感覚がありませんでした。最終的に、彼らは私を傷めつけて疲れると、私を小さな部屋に引きずり戻し、共に逮捕された兄弟に手錠でつなげました。私たちは凍った床に座るように命じられ、眠らないように二人の警官に見張られました。一人でも目を閉じると、二人とも殴られ、蹴られました。その夜の遅い時間に、私は用を足そうとしましたが、この悪しき警察に怒鳴られました。「このクソガキ、こっちが知りたいことを言うまで、どこにも行くんじゃないぞ!小便はそのまましな!」結局我慢ができなくなり、ズボンのまま放尿する羽目になりました。凍てつくような天候の中で、パッドを入れたズボンに尿が染み込んだため、震えが止まらないほどの寒さでした。

 この悪魔たちによるそのような残酷な拷問を受けた末、私は全身が耐え難く痛み、「明日はどんな拷問をしてくるつもりなんだ?耐えられるのか?」とどうしようもなく弱く否定的な気持ちになりました。しかしそのとき兄弟が、私が否定的になって苦しみに耐えられなくなることを心配し、ささやいてくれました。「、今日この悪魔たちにこうして拷問されてどう感じている?全能神を信じて本分を果たしたことを後悔しているのか?」私は言いました。「していません。ただこの悪魔たちに殴られて屈辱なんです。自分はまだ子供だから何もされないと思ってました。まさか本当に殺そうとするなんて」兄弟は真摯に交わってくれました。「僕たちは神様への信仰の道を歩み、神様のお導きのおかげで人生の正しい道を歩んでいるが、サタンは僕たちが神様に従って完全に救われることを望まない。信仰では何があってもしっかり立つんだ。絶対サタンに屈してはいけない。神様の心を傷つけたらだめだ」兄弟のこの言葉はとても励みになりました。私は慰めを感じ、次の御言葉を思い起こさずにはいられませんでした。「勝利者とは何か。キリストの良き兵士たちならば、勇敢であってわたしを信頼し、霊的に強くなければならない。戦士になるために戦い、決死の覚悟でサタンと戦わなければならない。」(『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第十二章」より)その瞬間、私は神の御心がわかり、心の中で強さがみなぎりました。もはや屈辱も惨めさも感じず、勇敢にこの試練と向き合おうと思いました。「悪魔サタンにどう拷問されても、神に頼ってサタンに打ち勝とう。全能神の信者は皆が神の精鋭兵士であり、最後まで壊れない戦士であることをサタンに見せてやるんだ。」

 翌朝、あの悪しき警察は私を尋問室に連れ戻し、あの悪魔署長は再び私に自白を強要しようと、私の鼻をまっすぐ指しながら机の上を叩き、罵りました。「夕べのうちに考え直してみたか、小僧?全能神をいつから信じていた?何人に布教した?質問に答えろ!さもないともっと痛い目に遭うぞ!」私は「もうサタンを恐れてはいけない。大人になって勇気を出さないと!」と思いました。そのため「何も知らない!」と毅然と言ったのです。悪しき局長は烈火のごとく怒り、「小僧、死にたいのか?しまいにぶっ殺すからな!それでも意地を張ってろ!」と叫びました。そう叫びながら飛び掛ってきた署長に、私は残忍に髪をつかまれ、頭を壁に打ちつけられました。すぐに耳鳴りがし、そのあまりの激痛に泣き叫ばずにはいられず、涙が止まりませんでした。挙句の果てに、その悪魔たちは何の収穫もなさそうだと気づくと、やむなく私を小部屋に送り返しました。その後、兄弟を尋問に連れ出しました。まもなくして、私は兄弟が痛みで悲鳴を上げるのを聞き、彼らに酷いことをされたことを知りました。 凶暴なオオカミに囲まれた小羊のように小部屋でちぢこまり、悲嘆と無力感にさいなまれ、顔に涙を流しながら神に祈り、兄弟を拷問で自白させようとするこの悪魔たちから兄弟を守ってくださるようにお願いしました。私たちは三日三晩このように尋問され、一口の食べ物も一滴の水も与えられませんでした。私は寒くて空腹で目がくらみ、頭が腫れてものすごく痛みました。彼らは私たちを殺してしまうことを恐れ、結局は拷問を止めざるをえませんでした。

 中共政府の残忍で非人道的な拷問の末、私は説教で聞いたことを本当に体験したのです。「赤い大きな竜の監獄では、あなたが男であろうと女であろうと、彼らは思うがままにあなたをいたぶりかねません。彼らは悪党と獣です。気まぐれに電気棒で人々をいたぶり、あなたが最も恐れることを何でもします。赤い大きな竜の支配下では、人は人でなくなり、動物以下にさえなります。赤い大きな竜はまさにこれほど残酷で非人道的です。獣であり、悪魔であり、完全に理知を欠いています。理知がないため、道理で説得できる相手ではありません」(『いのちに入ることに関する交わりと説教(3)』の「救いを受ける上で、赤い大きな竜を捨てることの真の意義」)。そのとき、私は神の敵としての中共政府の反動的な本質をようやくはっきりと見ました。中共はまさしく、平気で人殺しをする悪魔サタンの現れです。道徳意識も良心もなく、未成年である私さえ見逃しません。神を信じて人生の正しい道を歩んでいる私なら尚更それだけの理由で殺す気でいます。道理も倫理も人間性もない残酷な怪物にすぎません。自分がまだ若いから警察も大目に見てくれるだろうという誤った希望は抱かなくなりました。私が願ったのは、ただ全能神が私を守り、サタンと悪魔の残酷な拷問に打ち勝てるように導いてくださり、自分がすべての苦しみに耐えて、神のために力強い証しを立てることができることだけでした。

 3月9日の午後、悪しき警察は何も聞き出せないだろうと見て、私たちの手をつかみ、偽造された自白書に署名させ、「国法を侵し、社会の治安を乱し、国家権力を転覆させた」罪状を着せると、拘留所に送りました。私たちはそこに着くとすぐに頭を全部剃られ、服を脱がされ、ほとんどリボンのように切り刻まれたものを返されました。ベルトがなくなったので、ズボンをビニール袋で縛って止める羽目になりました。凍てつくような天候の中でも、警察は他の囚人に、私たちの頭に洗面器一杯の冷水を何度もかけて洗うように命じました。私はあまりの冷たさに頭からつま先まで震え、血が静脈の中で固まったように感じ、その後は立つこともできませんでした。  その刑務所の囚人たちは強姦犯、泥棒、強盗、殺人者ばかりで、誰もが見るからに悪意をかもし出しており、私はこんな人たちと共にその地獄のような所に閉じ込められるのかと思うとゾッとしました。夜には、固いコンクリートの台の上で三十人以上が就寝を共にし、毛布の悪臭がひどくてほとんど眠れませんでした。あの悪しき警察に出された食事は小さな蒸しパンとわずかなトウモロコシの粥だけで、とても満腹になる量ではなく、日中は過酷且つ過剰な肉体労働をさせられました。その日の作業量をこなせないと、罰として一晩中監房の見張り番に立たされ、そのときは四時間立っていなければならず、二時間しか眠れませんでした。私はあまりの疲労で立ったまま眠ったこともありました。また、あの悪しき警察の指示で監房の囚人長は私を苦しめる方法を考え、ノルマを超える量の仕事をさせたり、一晩中宿直をさせたりしました。 私は今にも倒れそうに感じました。あの悪魔たちに何度も苦しめられいたぶられたため、自分が野良犬よりも自由がないように感じており、食事も豚や犬よりひどいものでした。こうしたことを思うと、家と両親がものすごく恋しくなり、拘留所は人が住む所ではないと感じました。あと一瞬もそこにいたくなかったのです。ただこの嫌な場所をすぐに出ることしか望みませんでしたこの上ない惨めさと弱さの中、ただ神に真剣に祈ることしかできませんでしたが、このとき全能神の御言葉が私を啓き、導きを与えてくれました。「落胆してはならない。弱ってはならない。わたしはあなたに明らかにする。神の国への道は平坦ではない。何事もそう簡単ではないのだ。あなたはたやすく祝福を得たいのであろうか。今日、だれもが苦しい試練に直面しなければならない。そうでなければ、あなた方のわたしに対する愛の心がさらに強いものとなることはなく、わたしに真実の愛を抱くこともないであろう。…わたしからの苦しみにあずかる者は、必ずわたしの甘美さにもあずかるだろう。これがわたしの約束であり、あなた方に対するわたしからの祝福である。」(『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第四十一章」より)神の御言葉は慰めと励ましの大きな源でした。御言葉のおかげで私は、自分が受けていた苦しみと困難が神からの祝福であることがわかりました。神はこの困難な状況を用いて、私を精錬し、完全にし、神の約束に相応しいほど神を愛し忠実である者にしようとなさったのです。自分が子供の頃から甘やかされており、苦しみはおろか些細な侮辱にも耐えることができなかったことを省みて、私は真理といのちを手に入れたければ、苦しみに耐える決心が必要であり、強固な信仰が必要であると悟りました。この苦しみを経験しなければ、私の中の堕落が清められることは決してありえません。私の苦しみは確かに神からの祝福だったのですから、私は信仰を持ち、神に歩調を合わせ、自分の中で神に真理をもって働いて頂くべきなのです。神の御心がわかると、神への祈りが自然に私の中から出てきました。「神様!私にはもう弱く否定的な気持ちはありません。しっかり立ち、毅然としてあなたに頼り、最後までサタンと戦い、あなたを愛し、ご満足頂こうと努めます。私に信仰と剛勇を与えてくださることをお願いします」拘置所で虐待と屈辱を受けた数日間、全能神への信仰を得てからのどんなときよりも多く神に祈って頼り、神との関係がそれまでで最も近くなりました。その間、私の心は一瞬でも神を離れなかったのです。どんなに苦しんでも、まったく苦しくなく、すべてが神の私への気遣いと加護であるとはっきり悟りしました。

一ヵ月後のある朝、看守が突然私と兄弟を呼びました。呼び出しを聞いたとき、私は自分たちが解放されて、もうあの地獄で苦しむことはないと思い、胸を躍らせました。現実は全くの期待外れでした。警察署長は意地悪い笑顔で私たちを迎え、判決状を持って言いました。「お前たち二人は全能神を信じた罪で、一年間の労働再教育に処す。話をしなくても同じ判決を下せるのだよ。この国は共産党の天下だ。訴訟を起こしても無駄だ!」署長が私たちの不幸を喜んでいるのを見て、私は憤りました。中共政府は法律も倫理も守らず、私のような未成年を残酷に拷問するばかりか、犯罪を犯してもいないのに判決を下していたのです!兄弟と私はその日、省の労働収容所に連行されました。 健康診断中、医師が兄弟の体に高血圧、心臓病といった問題があることを知りました。労働収容所の看守たちは彼に施設で死なれて責任を問われることを恐れたため、収容を拒否しました。警察は彼を連れ戻すしかなく、そのため私はそこに一人で残されました。私はそのとき泣き出しました。激しく泣いたのです。家と両親が恋しく、共に交われる兄弟もいない中で、この先どうして一年も過ごせるのかと思いました。あの悪魔たちに苦しめられ、虐待された先月は、その責め苦に耐えられず否定的で弱い気持ちになるといつも兄弟に神の御言葉について交わり、励まし、慰めてもらったため、神の御心がわかることで強さを得られました。また、彼の決意を見て、共にあの悪魔と戦って打ち勝つ信仰と強さも与えられました。しかし労働収容所ではその戦いを一人で戦わなくてはなりませんでした。「本当にしっかり立てるのだろうか?」…考えれば考えるほど、惨めに感じ、否定性と孤独、つらさと屈辱が心に根づきました。惨めさで絶望の淵に追い込まれたとき、しきりに神に呼びかけました。「神様!私の背丈は小さすぎます。こんな途方もない試練にどうして耐えられるでしょうか?この一年もの労働再教育をどう切り抜けるべきなのですか?神様!私を導き、助け、信仰と強さを与えてくださることをお願いします…」無言で泣き、涙が顔を流れました。祈っていると、私はヨセフが十七歳の時にエジプトに売られた経験を突然思い出しました。彼はエジプトで一人ぼっちで、屈辱と苦しみを受けましたが、決して真の神を放棄せず、サタンに屈しませんでした。私はそのとき刑務所で悪魔たちに苦しめられていましたが、それは神のお許しで起こっていたのであり、私が真に神に頼り、サタンに屈することを拒む限り、神は私がサタンを打ち負かして悪魔の巣を出るように導いてくださいます。そのとき、私は再び神の御言葉を思い出しました。「あなたは、若いからといって、自分を過小評価してはならない。あなたはわたしに自身を捧げるべきである。わたしは人々の外見や年齢は気に掛けない。わたしが心に留めるのは、彼らが心からわたしを愛するかどうか、他のすべてを無視して、わたしの道に従い真理を実践するかどうかである。明日がどうなるか、また将来がどのようになるかを心配するな。あなたが日々わたしに依り頼んで生きる限り、わたしは必ずあなたを導く。」(『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第二十八章」より) 御言葉は夏の太陽のように私の心を温めてくれました。おかげで私は、神が誰もひいきなさらず、自分がたとえ若くても、神に真実の愛の心を抱き、神の御言葉で生きることができる限り、常に神の導きを受けるということがわかりました。逮捕の時から、神はいつも共にいてくださったおかげで、自分があらゆる困難を乗り越え、しっかり立つことができたことを思い起こしました。神の臨在と導きがなければ、どうしてあの悪魔たちのひどい暴行と残忍な責め苦に耐えられたでしょうか。神に頼ることでこのような大きな困難を乗り越えたのです。では一年の労働再教育を受けることになるとなぜ信仰がないのでしょうか。神だけを頼ればいいのではないでしょうか。神が共におられ、いつも導きを与えてくださるのに、なぜ孤独を感じたり、恐れたりするのでしょうか?こうした状況は、私が独り歩きと、いのちにおける成長を実践する機会だったのです。私はもはや自分を子供と見て、神を仰がずに他の人に頼ってばかりいるわけにはいきません。大人になり、神に頼って自分の道を歩むべきであり、自分は神にもたれつつその道を確実に辿ることができると信じるべきなのです。神に頼って神を愛する決意を持つ人をサタンは絶対に打ち負かせません。この時こそ、私が大人の勇気を持ち、自分の行動を通して神に栄光を得させる時でした。神の御心がわかると、自分を支えてくれる強大な力があるように感じ、獄中生活と向き合う決心を心の奥で抱きました。

 労働収容所の看守たちは私が全能神を信じていることを知ると、意図的に私を苦しめるようになりました。私は朝の五時から夜の十一時まで、五十キロを超える重包装袋を三階から一階まで運ぶという重い肉体労働を課せられ、ノルマをこなさないと夜遅くまで残業させられました。それまで肉体労働をしたことがなく、拘置所の食事の量が不十分だったためいつも疲れていました。最初は袋をまったく持ち上げられませんでしたが、その後、神に真剣に頼ることで、徐々に持ち上げられるようになりました。重労働により、毎日言語に絶するほど疲れ果て、足腰が痛みました。看守たちに指示された他の囚人に暴行され、体中に傷や打撲ができることも少なくありませんでした。ある時、私が水汲みから送れて戻ってきたため、看守は囚人長に私を痛めつけるように指示しました。そのとき、私の鼓膜は穴が開いて破れ、炎症を起こし、耳がほとんど聞こえなくなりました。このようないじめと虐待に憤然と歯を食いしばって耐えましたが、抵抗するすべがありませんでした。惨めで無念でしたが、その気持ちのはけ口がありませんでした。ただ神の御前に来て、祈りの中で神に惨めさを打ち明けることしかできませんでした。あの暗い刑務所で、神に近づき、何事においても神に頼り、神を仰ぐことを学んだのです。神に祈って心の底の思いを打ち明けることが、人生で最も喜べたことでした。悲しみと弱さを感じるたびに一番好んで歌った賛美歌は「ああ神よ。私はあなたの義と聖の麗しさを見ました。私は真理を追求することを志します。私は意を決してあなたを愛します。あなたが私の霊の眼を開き、あなたの霊が私の心に触れますように。私は自分の心の全てをあなたの前に曝け出します。そうして私の全存在があなたの前に捧げられますように。また、あなたが私を思いのままに試すことができますように。今私は自分の将来性を考えることも、死に縛られることもありません。私は、あなたを愛する心で、いのちの道を求めることを望みます。あらゆる物事があなたの掌中にあり、また私の運命もあなたの手の中にあります。それどころか、私の一生はあなたの御手によって支配されています。今、私はあなたを愛することを追い求め、私があなたを愛することを、あなたがお許しになるかどうかを問わず、また、サタンがいかにして邪魔しようと、私は意を決してあなたを愛します。」(『小羊に従って新しい歌を歌おう』の「私は神を愛すると決心する」より編集)繰り返し歌うと涙が溢れ、心に大きな慰めと励ましがありました。全能神が何度も私を助け、支えてくださったため、私は自分への神の真の愛を実感することができました。憐れみ深い母親のように、神は私のそばに立ち、いつも私を慰め、支え、信仰と強さを与え、あの忘れられない一年間を切り抜けられるように導いてくださいました。

 獄中生活の闇を経験して、私はいのちがはるかに成長し、真理の認識も多く得ました。もはや素朴で無邪気な子供ではありませんでした。全能神の御言葉により、悪しき警察の拷問と責め苦に何度も打ち勝つように導かれ、何度も弱さと否定性を脱し、奮起し、しっかり立つことができたのです。御言葉のおかげで、いかに神の心を思いやり、お慰めするか、いかに神に頼ってしっかり立つか、いかに神の愛に報いるべく証しを立てるかがわかりました。また、サタンと悪魔たちの残虐性と悪意、神の敵としての彼らの悪しき反動的な本質をはっきりと目にし、「人民を愛する人民警察」という誤った通念について分別を得ることができました。以来、サタンの嘘に二度と惑わされたことはありません。あの時の迫害と苦しみは、私を潰すに至らなかったばかりか、信仰の道を歩むための土台となりました。私は全能神に感謝いたします。神の導きでこの困難な岩だらけの道を通り抜け、この若さで残酷な責め苦に耐えることを学べたからです。そのおかげで私は神の全能と主権を目にし、これが神の私への特別な救いだとわかりました。悪魔が支配する悪しき世界では、神だけが人を救うことができ、神だけが私たちの支えとなり、私たちが神を必要とするときはいつも助けてくださり、神だけが人を本当に愛していると深く感じました。あの時の迫害と困難は、私にとっていのちを成長させる貴重な宝となり、私が完全な救いを得る上で非常に有益でした。その間ずっと苦しみはしましたが、その苦しみはとてつもなく尊く有意義だったのです。神の御言葉に述べられいるとおりです。「もしあなたが、喜んでこの流れの中に留まり、この裁きとこの大いなる救いを楽しみ、人間世界のどこにも見いだせない、この祝福のすべてと、この愛を享受したいなら、従順にこの流れの中に留まり、完全になれるように征服の働きを受け入れなさい。今、あなたは裁きのために苦痛と鍛錬を体験しているが、この苦痛は価値があり意味あることなのだ。」(『言葉は肉において現れる』の「征服の働きの内なる真実(4)」より)



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