池田 悟≪作曲家≫のArabesque

・・・深くしなやかに・・・(音源リンクしてます)

大編成:管理されたしっちゃかめっちゃか

2009-04-13 | 作曲/大編成

桜が咲き始め、満開になり、もう散ってしまった…風光の変化はむしろ邪魔にさえ思えた。盛大にして容赦の無い、それは時の経過のデモンストレーションだから。
大編成の作曲の仕方が、以前よりも少し分かってきた。分かるほどに難しくなった。例えば管の群的扱い。異なる種類の金管を重ね、それぞれの長所を混ぜ、補い合い、増強させた。
また、しっちゃかめっちゃかを整然と作ること。

大編成、それは細い筆の集積。緻密な肉付けを施す前に、骨の段階で吟味する。ストイックな状況でも魅力があれば、リッチにする価値がある。
中身が無ければ単なる艶々とした、こぎれいな曲以上にはならない。凡庸な楽案が塗り重ねで立派になるのは、一種のごまかし。

大編成、それは室内楽と違い、聴き手が解釈し、補正して聴いてくれる事はない。
ピアノ曲や室内楽では、聴き手は様々な和音に色彩を感じ、個性的なパッセージにオーケストラの楽器を思い浮かべる。クライマックスでは壮麗な打楽器が鳴り響くかの錯覚を覚えることで、鑑賞に深みが出る。
大編成ではしかし、聴き手はだれもその様な歩み寄りをしない。「さあ、どうぞ楽しませて下さい、感動させて下さい」と、絢爛たる音の洪水に身を任せ、享受するのみ。書く者はそれを忘れてはならない。

その上で、音楽言語の違いを超えて一貫して書きたいものがあるはず。同時に過去と正反対のものも。過去の自分に足りないものは何か、と言うより足りないものだらけのはず。
微々たる進歩を重ねてきたが、いよいよ追い込み。骨のある曲を!

…完成目前の〆切間際、時間に余裕がたっぷりあった時には思いもつかないアイディアが、ふと湧いてきたりする。それらを取り入れ、曲全体を様々な観点で集中力の尽きるまで繰り返し見直し、時間的に限界になったらプリントする。すでに未明になっているが、プリントするのは成果を確認するエキサイティングな作業でもあり、疲れを忘れ一枚ずつ手に取る。
コピー、製本し、発送し、帰宅して食事を始めると、たちまち抜け殻のようになってしまった。
試聴



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