池田 悟≪作曲家≫のArabesque

・・・深くしなやかに・・・(音源リンクしてます)

ピアノ五重奏曲《In Blossom》空、樹幹、枝

2010-02-01 | 作曲/小編成

大編成室内楽とでは、戦争と決闘ほどの違いがある。
戦争は国同士、軍隊の戦い。兵士らの個人的な事情など考慮の外。軍の意思統一が欠ければ不利になり、戦略や物資、兵士の待遇、国内外の世論、株価など、複合的な要素によって勝敗が決まる。
これが大編成なら室内楽は決闘。一瞬の動作の拙速や遅れ、視線、呼吸などが生死を分ける。日々のたゆまぬ精進に打ち克った者が勝者となるのであり、素人が金星を上げる事などあり得ない。

戦争に疲れた僕は、決闘を始めた。ピアノ部屋に籠り、音一つ一つに耳を澄まし、過敏に想像を広げ、何を成し得るか、どう成長し得るか吟味する。
無から生み出す絶対音楽の作曲は、自らの衝動の質と強さのみがモチベーションであり、それ以外の何か別のコンセプトに頼れば頼るほど、妥協するような、厳しさから逃げるような、言い訳のような気がする。既成概念を否定する新たな概念とか、音響現象の応用だとか…。
それも衝動の一つだろう。しかし最先端の作曲技法を用いて、なお聴き手にその技法の難しさを忘れさせ、曲の内面に引き込ませることは、技法を習得した作曲家のだれもが出来る訳では無い。
だからこそ作家はそうあるべきだと思う。

表層的な知的レベルのさらに奥深く作曲のハードルを上げれば、乾いた雑巾を絞る様なもの。簡単に書く事は怠惰。
ただ、いつまでも白紙のままでは、きっかけさえつかめないので、「こんな感じか…」とPC.に打ち込んでみるが、あくまでジャブ。
ピアノと対峙し、脳が飽和状態になるまで衝動の質と強さを陶冶し、本命を待つ。ある時点で精神が純化されるような快感を覚える。
(2009年9月6日)

昨秋から取り掛かっていたピアノ五重奏曲が完成した。ただし弦楽四重奏とピアノというクラシカルな編成ではなく、フルート、クラリネット、ヴァイオリン、チェロとピアノ。
音域的には2つ目のヴァイオリンの位置にフルート、ヴィオラの位置にクラリネットが適合するが、この編成を弦楽四重奏の代用と考える現代の作曲家はいない。
管、弦の中でもとりわけ運動能力の高い楽器たちが、運動能力にかけては王座にあるピアノと共に、室内オーケストラを極限まで切り詰めた形…と見る。

この作品は自身第5期の1作目となる。第4期と同レベルのものは作るまいと、小品数曲分のスケッチを、全体像のプランも定まらぬ状態で思いつくまま書きためた。
それらは言わば一つの作品にまとまるとは思えないばらばらなジグソーパズルの断片で、選び方一つで曲の完成像が大きく変わってしまう。
凡庸なものを捨て、当たり前のものは排除し、意表を突く組み合わせで統合したりしながら徐々に曲の形にしていった。

大まかな形が定まったら曲の細部を磨き上げる。頭ばかりの作業だと体に良くない。この手で実際にあちこちを磨く年末の大掃除はストレス解消になった。
年が明けても曲の仕上げと併行して大掃除の続きを楽しんだ。キッチンを磨いた。南側の大きな網入りガラスを新調した。建て付けが悪くなったドアを外し、カンナで削って閉まるようにした。
先月は管弦声の講師の契約更改もあり、朝から夕方まで拘束される日が数日あったが、貴重な休みの日に作曲だけしていた訳ではなく、ブログを書いたり、髪を切ったり歯科検診に行ったりした。
作曲におけるこの時期の決断の一つ一つは、やり直しがきかない。拙速に視野の狭い決断をしないよう、慎重を期すため無意識のうちにブレークを入れていたのかも知れない。
尤も、追い込みの浄書作業は目が充血するほどPC.に張り付かねばならず、単純に休憩が必要なこともあるけれど。

ところが提出前日、〆切が大幅に延長されている事を知った。その瞬間、萎んだ風船のように気が抜けた。
期限延長など露知らず一心不乱に仕上げていた自分がバカみたいに思えたが、知らないで良かった。一旦緩んでしまった気持ちを再び元の状態に立て直せる保証は、何も無いからだ。

試聴(改訂版)2022年2月、"In Blossom" 原曲(I. Skies:空 II. Trunks-Branches:樹幹、枝)[10分]を単一楽章[7分]に改訂



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