赤坂あいがさ日記

赤坂の街が好きです

なのでこの街でお店を始めました

8月31日

2006-08-31 16:07:15 | Weblog
繁さんへ。

8月31日と意識するとどうにもおしりの辺りがむずむずします。
夏休み最後の日。宿題が終わっていない日。
なんか算数とか国語とかをあわててやった記憶よりも、絵日記をサボっていたために古新聞をひっぱり出して過去のお天気なんかを調べて書いていたことを思い出します。

宿題がない大人になって、いいようなわるいような。

昨日の朝日新聞の「声」欄にこんな投書がありました。
~月に2・3回映画を観に行きます。午前中に観るのでお昼は外で食べます。そこで飲食店にお願いです。量が少なめで、その分値段も安くなったシニア用メニューを作ってもらえないでしょうか?お店のメニューは量が多くて食べ切れません。
私は11歳の時に終戦を迎え、飢えの苦しみを知っている世代です。捨てられるとわかりながら残すなんて「もったいない」を超えて、罪悪感さえ感じます。
今後もシニア世代は増えます。専用メニューを望む人は多いと思います。72歳主婦。~

確か以前もシニアの男性から同じような投書があって、そのときは数日後に飲食店の経営者からの意見が寄せられていました。
「量を少なくしてもつくる手間は同じであり、それによって仕入れが減らせることにはならないので、値段を下げることは難しい」
これで話しは終わったように見えましたが、今回の投書には<罪悪感>という切実な言葉があり、読んでいるこちらもなんとかならないかと真剣に考えさせられました。
個人経営のお店では、こういうことは難しいのかなぁ。
マニュアルを作りやすい大手ファミレスなどが最初にやってくれないかな。
そんなことを新聞を読みながら考えていました。

真琴

Movin’ Out

2006-08-30 14:35:49 | Weblog
繁さんへ。

日曜日「ムーヴィング・アウト」に一緒に行ってくださってありがとうございました!
終演後の反応を見るかぎりでは、繁さんはあまり楽しめなかったのかなぁと思いました。
演技者はセリフも歌もなく、感情表現はダンスのみ。ふつうで考えるミュージカルでは確かになかったですね。

さて、わたしがこの舞台をどうしても観たいと言ったのには理由があります。
数年前にブロードウエイで上演されてすぐ“これはヤバイ”という評判が聞こえてきました。
その時ちょうど以前お店に勤めていた女の子が、N.Yへダンスのレッスンに行くというので、ぜひ観てきて!と(餞別を渡し)お願いしたんです。
どんな感想を持ってきてくれるかと、帰国を楽しみににしていたら彼女の言葉は想定外で
「確かに生のバンド演奏とリフトに次ぐリフトのダンステクニックはすごいと思いました。でも、曲と踊りが合ってなくて最後まですごく気持ち悪かったんですよね」
はぁ?だってどっかの評論家が言ってたけど、振り付けのトワイラ・サープってモダンの振り付けで世界の三本指に入るひとよ?その振り付け師の作った振りが音楽に合っていない?いったいどういうこと?
そういうわけで、今回の来日公演を知ってすぐにチケットを取ったのです。なにが、どんなふうに合っていないかを確かめるために。

だから繁さんの横で、わたしはほんとに忙しかったんです。
歌の字幕を読んだり、舞台全部を観たり、そして音楽のカウントをとりながらダンスを分析したり。
で、前半のベトナム戦争から帰った<怒りのダンス>あたりで結論が出ました。
音楽のビートにあわせて振付けるか、歌(メロディー)にあわせるかでまったく違うふた通りの踊りができてしまいますよね。
彼女が今まで踊ってきたダンスはビート重視のジャズ・ダンスやラテンサルサで、あのように歌をからだで唄うかのように踊るモダン・ダンスがたぶん肌に合わなかったのではないかと。
それからビリー・ジョエルの曲。これに馴染みがある世代かそうでないかで、愉しみのレベルが違っちゃったのかな。わたしは<ピアノ・マン>を聴いたらからだが揺れちゃう世代ですので。

幕が開いてすぐに繰り広げられた主役二人のダンスのうまさと、舞台からバシバシ飛んでくるプロの気合いが一瞬ブロードウエイの劇場にいるような錯覚をおこさせました。すごくいいものを観て満足の一日でした!

P.S.オルゴール 気に入っていただけてよかったです♪

真琴

ロダン

2006-08-28 07:00:39 | Weblog
真琴さんへ
 モーツアルト生誕250周年記念のオルゴールありがとう。「フィガロの結婚」からの1節を採ったかわいらしいミニオルゴールが、いまパソコンの脇で、おなじみの音色を発しています。
 オルゴールは癒し系の楽器と言っていいのでしょう。心が確かに和みます。河口湖や六甲山などいくつかの観光地に、オルゴール館があり、これもオルゴール?とびっくりするほどの大きなものもありますが、結構楽しませてくれました。
 私の愛聴盤というのですか、お気に入りはトニー・ベネットが歌ってヒットした「霧のサンフランシスコ」をフィーチャーした真っ赤なケイブルカーです。今日から「フィガロの結婚」も仲間入りです。楽しみが一つ増えました。

 ロダンがこんなことを言っています。
 「着物を脱ぐ女のまばゆさは雲を貫く太陽のようだ。女が踊る時は、空気が魅せられてその衣装になる」
 普通考えて、人が着衣を取っている状態は異常なことであり、絵画や彫刻の世界で、その異常状態が、つまり女性の裸体に集まっているとなれば、それは男性による女性への性的所有への願望、欲望を秘めた面があると言ってもいいかも知れません。
 だって大多数の作り手が男性であり、その作品を観る、享受するものも男性がほとんどと言っても過言ではないでしょう。むろん女性の書き手、鑑賞者もいますが、女性の身体のふくよかさ、円やかさが男性作家を刺激し、作品形成の原動力になっているからです。
 美人コンクールは、女性を商品として扱っていてけしからん、と世のジェンダー論者はいきり立ち、その結果、昨今はすっかり姿を消してしまいました。しかし女性をモデルにした彫刻や絵画の裸体像にはクレームがつきません。
 そこには表現された美が多くの人の心を魅惑するからだと思います。なんといっても、ルノワールやロダンなどが描く彫刻した裸婦像は綺麗の一語につきます。理屈なく私の心を捉えています。
 高村光太郎が大正は初期に翻訳した「ロダンの言葉抄」(岩波文庫)から考えてみました、稚拙な見方ですが。

 
 今日28日から来月3日まで夏休みです。信州のほうに小旅行を計画しています。これと言った目的はありませんが、点在するいくつかの美術館をのぞいてきます。またご報告します。




浅草サンバ☆カーニバル

2006-08-26 23:10:54 | Weblog
繁さんへ。

8月25日を持ちまして今年の夏は終了です。朝起きたときの空気が昨日までのそれとはがらっと変わる一日っていうのが年に四回あって、それが季節の変わり目なのです。
この前「旧岩崎邸庭園」に行ったときツクツクホウシの鳴き声を聞きうれしくなりました。都会の真ん中で、絶滅していなかったのですね。
夏の終わりって、淋しいです。

そんなセンチな気分を吹き飛ばすためのイベント!
<浅草サンバ・カーニバル>行ってきました♪
噂どおり、すごい人。雷門通りをはさんで何重にも人が重なってサンバを観ています。っていうか写真を撮るために来てる殿方が多数です。
わたしも週明けの営業メールに貼り付けるために、携帯カメラで撮ろうとするのですが人の頭越しの写真になってしまってうまくいきません。
それでもしつこく居座ると、ひとりふたりと帰る人が抜けて最後のほうは前から二列目で見ることができ、いい写真も撮れました。
18:30からのトリを飾る“仲見世バルバロス”のサンバは衣装も楽隊もダンスも派手でよかったです。すごくお金かかってる感じ。
踊ってる人も観ている人もみんな笑顔で、観ている人も踊っていてわたしも思わずリズムとっちゃったりしてすごく楽しかったです。日本人って、案外ラテンの血が濃いのかも。
混雑状況は、三社祭よりも範囲が狭いため今日のほうがきびしかったですね。

昨日の夕刊で繁さんが言ってたブリトニー・スピアーズの写真見ました。
最初、どこのオバちゃんかと思いました(かなりふくよかになってたので)。
繁さんは微笑ましいと感じたとのこと。そうですね。けっしてエロティックな表現はしていないですよね。
ただ、わたしの個人的意見は妊娠、出産は女性の秘め事として扱って欲しい。だからわざわざ公共の場所で見せられるのはちょっといやです。

昨日のブログにて、田原総一郎のようなネタフリをありがとうございます。
なぜ、男性の画家が女性のヌードを描くか。ですか。
質問に答えるべく、女性の画家が描いたヌードはないかとネットで探してみました。
・4人の女性画家 というサイトにヒットしてその中にグエン・ジョンという画家の作品「ヌードの少女」を見つけました。
その絵は・・なんじゃこりゃ。豊潤さも美しさもない、申し訳ないけどなんの魅力も感じられない絵です。
女性でもよいヌードを観ればいいと思います。最近そう感じたのはロダンのブロンズです。イリスという名の彫刻に釘付けになりました。「芸術はエロスだ」いつか読んだ三島由紀夫の声が聞こえたような衝撃でした。
答えになっていませんね。まだ頭の中でサンバのリズムがなっているということでお許しを。

真琴

脳を刺激する

2006-08-25 05:00:26 | Weblog
真琴さんへ
 サクラの季節で有名な目黒川沿いに建つ雅叙園マンション近くのちっぽけなビルの一室に入りました。
 そこは「光」が千変万化する幻想的な部屋でした。そうです。ディスコや演奏会、ファッション・ショーなど光を演出するデザイナーの創造空間で、エミネム、マライア・キャリーなどのステージもライティングしたとか。
 異次元の世界に入ったかのような錯覚に陥りましたが、色彩豊かな光、幾重にも交錯する光、素早く変化する光に魅惑されました。
 知人に連れられて訪問したもので、デザイナーは、「光は脳を刺激します」と。うっ・・・。「脳汁」を思い出しました。
 真琴さんは、私がつたないジャズのお話をすると、脳汁が出て刺激されるとか言っていましたが、「そうだ。私は真琴さんにとって、脳を刺激する光的な存在なのだ」と密かに一人悦に入っったものです。
 専門誌『ジャズ批評』編集長を務めた原田和典は、ジャズの名演を「聴けば脳内麻薬がドクドクあふれる」と言っています。これからも二人三脚でジャズを楽しみ、脳内麻薬漬けになることにしましょう。この麻薬漬けは法律違反にはなりません。

 東京近代美術館「モダン・パラダイス」展のゴーギャンの絵は、タヒチの、文字通り「現代の楽園」を描いたもので、言われてみればエロスは感じません。脳は性的な刺激を受けませんでした。
 ヨーロッパとは違った世界を、未開な暗い色調感を漂わせて、どこか人間社会の悪を描いた、あの美人とは言えない豊満な女体を配置してところに、ゴーギャンの思想があったのかも知れません。楽園だからと言って、すべてが楽しい訳ではなく、第一印象は陰気だでした。どうしてこんなに暗いのだでした。

 豊満な肉体と言えば、おなかの大きな米国の人気歌手が胸の前で腕を組み、微笑んでいるヌード写真の広告ポスターをめぐって、雑誌社と地下鉄メトロが「刺激論争」を展開していましたが、結局、縦2.5m、横2.6mという大きな「妊婦広告」の地下鉄駅構内の掲示が決まったといいます。
 新聞で写真を見た限りでは、それほど刺激的、つまり性的劣情を掻き立てられるものではなく、男性の目を楽しませる微笑ましいものとみていました。
 それでは実物を見に行こう、なんて考えていますが、ところで真琴さん、なぜ女性の裸婦像は男性が描くのですか、女性は絵画、彫刻、写真などの女性自身の裸体を見てどんな感じになりますか。

それでも夏が好き!

2006-08-24 15:56:51 | Weblog
繁さんへ。

心優しい繁さんはわたしが同じ話を2度書いてもつっ込まずにいてくれましたね。
ブログでクーラーがない話しを重ねてしてしまったことに気づき、昨日日記を編集しようと思ったのですがすでにけっこうな人数に読まれていたのでやめました。
たぶん脳は夏に老化しちゃうんです!暑さで。お休み明けに仕事してて何度固有名詞を忘れて会話中とまどったか。果てはお客様の名前も忘れて・・そういう時は役職でお呼びします。
前置きはこのくらいにして。

「モダン・パラダイス」行かれたのですね。赤坂駅にそのポスターが一月ほど前から張り出されているのですが、いつもギョッとします。毎日です。
だって、女性のヘア・ヌードなんですもん。あれ男性の目から見るとどうなんですか?エロスを感じますか?わたしは感じません。

さて、お誘いしましたジャズライブについて詳細を書きます。

<錦秋を彩る珠玉のジャズ>
アトリエ澤野コンサート2006
出演:ウラジミール・シャラノフ・トリオ
   ジョバンニ・ミラバッシ&アンドレイ・ヤゴジンスキ・トリオ

澤野工房を知ったのは、以前一緒に行きましたディスク・ユニオンで配られていたパンフレットでした。
大阪の小さなお店でジャズを手作り(どうやって手作り?CDを一枚一枚作るの?)しているという話で、ずっと気になっていました。
この前の日曜日、立ち寄った銀座山野楽器で澤野工房の
“FRENCH COOKI’N/セルジュ・デラート・トリオ”
というCDを試聴し一目ぼれして買いました。
ジャズなのにボッサやメレンゲのエッセンスが香る昼下がりにマッチする音で、今毎日聞いています。
繁さんにもおみやげを買ってきたんですよ♪

昨日の営業は散々でした。
自分が店のオーナーだったらどんな気持ちになるだろうと思うと
今日は挽回しなくちゃ!と思うものの、気軽に電話一本で来てくれるお客様は何人もいません。

真琴


時には心豊かに

2006-08-23 17:10:51 | Weblog
真琴さんへ
 仕事の合間をぬって、否さぼって、避暑もかねて、東京国立近代美術館「モダン・パラダイズ」、同工芸館「三輪壽雪の世界」を鑑賞しました。
 萩焼の人間国宝・三輪壽雪は、11代休雪の時代から関心を持っていた陶芸家で、これまでも作品展にはよく足を運びました。が、今回は驚かされました。今までの柔らかい温かみのある落ちついた茶碗とはまったく違って、重量感のある、荒々しく雄渾な力強さが茶碗全体から溢れ出た作風となっていました。
 「鬼萩割高台茶碗」がそれで、もはや茶を味わう茶碗ではなく、目で鑑賞する手に持ったときの感触を味わうといった「美術品」となっていました。90歳にして現役の壽雪の鬼気を感じました。
 「モダン・パラダイズ」は大原美術館と近代美術館所蔵の絵画などを光、夢などのテーマでくくって「競演」させたものです。大胆な裸体を描いたの萬鉄五郎「裸体美人」とゴーギャン「かぐわしき大地」を対比させ、洋の東西、時空を超えた作家たちの「楽園」を語らせていました。旧約聖書から主題を採ったギュスターブ・モロー「雅歌」も魅力的な作品でした。
 
 JR、地下鉄駅売店の夕刊紙には早稲田実業・斎藤投手の活字が躍る毎日です。「プロ野球スカウト料10億円・垂涎の的」「落とし穴 大物と騒がれてで成功したのは桑田真澄、松坂大輔の2人だけ」などなど。10億円の価値はあると思います。成功するか挫折するか天のみぞ知るです。
 ハンドタオルの少年にはさわやかさがあり、今どき珍しい謙虚さを漂わしており好感が持てます。それに引き換え、あの亀田少年はなんですか。傍若無人で無作法、横柄、およそ世の中の常識を知らない馬鹿といっても過言ではないと断定します。親の責任、生まれ育った環境の影響などとは言いません。すぐれて本人が悪いのです。そして虚像をつくった一部マスコミに罰点をつけます。




今日も汗だくで・・

2006-08-22 14:34:00 | Weblog
繁さんへ。

台風の影響のはずだった残暑は、台風が去ったあとも東京に居座っていて今日も汗だくで目が覚めました。
・・いきなりあんまり夢のある話じゃなくてすみません。うちにはクーラーがありません。これを言うとみんなが引くので最近は言わないようにしています。
繁さんは寝るときにクーラーを使いますか?
わたしがクーラーがきらいなのは、ひとえにお店が寒すぎるからです。家に帰れば、かならず入浴します。

この暑さの中で、2日間にわたる決勝戦を戦った駒大苫小牧と早稲田実業。
昨日はテレビの前で、お客様への手紙を書きながら観戦しました。勢いはなんとなく早実にあるように感じました。
しかし斉藤投手、四試合連投しているにもかかわらず最後のバッターへ最後の投球が144キロを出せることが信じられなかった。ねらって投げてるってことですよね?
「若いってすばらしい!」

年齢を重ねれば、見た目や体や頭が老化していくのは仕方がないことです。
でもそこで流されるままに<おばさん>化したくはないのです。
不自然なまでの美容整形をするとかではなく、ムリして若者言葉を使うんじゃなくって、自分の年齢なりに見せられる美しさを身につけたいと思っています。

漫画家の西原理恵子が言っています。
「年上の大学教授とインドを旅したときに、会話の端々でいろいろ自分の知らない話をおしえてくれる。そういう瞬間、脳汁が出るんだよね」
脳汁とは脳内で分泌する快楽物質、ドーパミンのことと思われます。
わたしも同じく、繁さんにジャズの話などを教えてもらうとき脳汁が出ます。

“赤坂あいがさ日記”というタイトルは、ほんとうにうまくつけたなと自画自賛したくなるこの頃です。
あいがさ。は繁さんが江戸語から引いてきた言葉ですが、わたしとしては「雨の日は迎えに行ってあげます」と書いてくれたメールの言葉につながっており、それが二人の関係を表すのにぴったりに思えるのです。

真琴

老醜をさらしたくない

2006-08-22 04:41:52 | Weblog
真琴さんへ
 「おれが荷風みたいな老人になることが想像できるか」
 三島由紀夫が『中央公論』の編集長・粕谷一希にこう語ったのは、自決する70年11月の1カ月前だった。
 このとき三島は
 「作家というものはどんなに自己犠牲をやっても、読者というものは自己表現だと思うからな」
 とも言っていた。
 粕谷は、まさか自決するとまでは思っていなかった、三島美学では「老い」が嫌悪すべきことだ、45歳で死ぬことには、老醜をさらしたくたくないとか、いろいろな計算が働いていたのだろう、と回顧している(粕谷一希『作家が死ぬと時代が変わる』から)
 三島の予見通り、司馬遼太郎も「本来、自分の想念の中に閉じ込めておくべきことを彼は現実にやってのけた」と解釈しているが、浅学非才の私も自決は「自己表現」と思います。
 それにしても粕谷の指摘するとおり、自決の本当の理由は、「老醜をさらしたくない」で、これが自分の首をはねさせる何とも不思議な事件を演出させたのだと思います。
 誰でもが避けられない「老い」ですが、反面、いつまでも「若くありたい」というのは、人が皆持つ感情、欲でしょう。
 老いが避けられないものなら、如何にして美しく老いるかが次の命題となります。三島は醜く老いるくらいなら、その前に「この世からお去らば」と自決しましたが、凡人はそこまで決断できません。
 そこで私は美しく老いるために、オンリーワンの真琴さんと「対話」をする、あらゆるものに好奇心を持ち感動する心を持つ、書籍や映画、美術、音楽などを楽しむ、そしておしゃれ心を忘れないようにする、何よりもこの日記を書くことが、いつまでも若いと言い聞かせる自己表現とすることにしました。
 美しくありたい、美しくなりたいという、そのためにはどんな努力も惜しまない、男女に共通した心理といえます。



 

 

さっそく美容外来

2006-08-19 23:49:33 | ニュース
繁さんへ。

三島由紀夫のHP、見てみます。
図書館から4冊目の全集を借りましたが「読みふける」という表現はわたしにはあてはまらないかと・・だって二週間の貸し出し期限に返せたためしがないんですから!ほんとうに読んでも読んでも難解っていうかわたしの頭が悪い?うん、きっとそう。

さて、金曜日の午後行ってきました。美容外来。
担当の医師は綺麗な女医さん。年齢はもしかするとわたしより若いかも。カウンセリングで、レーザーはシミには効果が期待できるけどシワを治療するには痛みが大きくその割りに効果が薄いとのことで、今回はケミカル・ピーリングを指導&処方してもらうことになりました。
早速顔を洗ってピーリングの薬を塗ってもらう。その前に「今日これからメイクしても大丈夫ですよね?」と確認。「OKですよ」よかった。
そのまま10分放置。「ぴりぴりしてきますけど、それが効いているしるしなので」と先生。たしかに肌に刺激がある。タイマーが鳴って、再び水洗い。
鏡で見てみると特に肌は赤くなっていなくて、手触りといえばひと皮むけたような感じにつるんとしてる。
それから、家でできるホーム・ピーリングの説明と
・0.025%トレチノイン軟膏(シワの薬)
・5%ハイドロキノン軟膏(しみの薬)
を処方されました。
これらは全て自費診療でピーリング指導料¥5.000、ピーリング液処方¥1.500、トレチノイン軟膏¥1.500、ハイドロキノン軟膏¥2.500
合わせて¥10.500でした。
ちなみにデパートの化粧品売り場(Dior)でこの前買った美容液は¥18.000。
さあ、これから言われたとおりにお手入れを続けて効果があったかどうか繁さんもチェックしてくださいね!(って別に劇的に変わるようなものではないんですけどね)。

今日も酷暑でからだがだるいです。

そろそろ眠くなってきました。またメールしますね。

真琴