日銀松本支店が長野の経済状況について公表した。3月7日の新聞に掲載されており、それを読んで悄然とした。
これによると、長野県内の建設業は五輪特需の恩恵を未だ受け続けているそうだ。それでいて、除雪作業や兼業農家で生計をなんとか支えているという。
五輪特需のピークは平成7年頃とされ、オリンピック開催は平成10年のはじめであった。その特需が終わったのは10年以上前のことである。長野県は五輪特需の下支えで他で起こっていたバブル崩壊が3~5年遅れてやってきた。しかも五輪特需にわいたのは会場等が設営された県の北部方面だけであり、中部南部はその手伝い等で参加はしたが、特需の恩恵を蒙ったというには程遠い。むしろ北ばかり整備を進めて県内に格差が出るとして、南部の南箕輪村に子ども未来センター計画が立ち上がった経緯があるほどだ。県全体に投資されるべき予算の多くが五輪特需の時に北へ投資されただけであって、業界全体を潤わせた上に今に至るまでその貯金が残っているかのような論調は常識知らずの愚論である。
しかもここ数年は、入札制度改革に連動して起こった相次ぐダンピングで、県発注の公共工事は儲けにならないというのが定説化した。市町村においてもそれに追従する動向だ。
除雪作業についても実態を知らない者の愚昧な推論としか言いようが無い。道路管理者である国、県、市町村などは、確かに土建業者へ除雪を委託している。しかし、業者全体に行っているわけではなく、しかも除雪は勤務形態が不規則な上に人件費と材料費が主体なので業者にとってうまみが無いものとして知られており、入札制度改革の時にもそれが話題に出たことがある。なかなかなり手がいないので、道路管理者の方が頭を下げて除雪作業を依頼しているとする話すらある。
兼業農家説も、県内の田畑が耕作されないまま放置されている所が多い現状を見れば、調査をするまでもなく荒唐無稽なものだと分かる。
上記に示すように、この日銀松本支店レポートにある県内土建業に関する記載は県内土建業の環境や実態を知らない者の机上論としか言いようが無いほどの、まれに見る愚論である。仮にも日銀がこのようなレベルのものを公表して恥ずかしくないのだろうか。
とはいえ、同報告が指摘する、建設業者数がバブル期に比べて大きく減っていないのも一方では事実である。その理由はどこにあるのかと言えば、これだという答えは無いものの、幾つかの要素が考えられる。
建設業者自体が零細が多く、不況の波が影響するほど最初から儲けが多くないこと。大手がつぶれても小さい所が会社を興しているという点もあるので、数としては大きく変わっていないとする見方。
他業種へ手を広げていること。県が進めていた木こり推進は頓挫したが、建設業者はそれぞれの営業努力等により手を広げている。
大掛かりな施設災害が数年に一回の割合で各地に来ていたこと。これこそは特需に近く、やや弱い。
最近まで下水道整備の工事が県内各地で大々的に行われていたこと。長野県においては、前の前の吉村知事が県による下水道事業に消極的であったことから、流域下水道などの広域的なものを除き市町村が下水道整備の工事を行っている。そうした事情もあって長野県は元々下水道整備が遅れていて、ここ数年でようやく整備が完了した市町村が増えてきた。
これまで建設業界が大きな淘汰をされずにいたのは、実はこの下水道工事による下支えが一番大きな要素ではないかと思っている。工事自体は特殊な資格を要さず、工法の難易度は高くなく、それでいてそこそこの工期と工費を取り、道路の掘り返しを伴うため舗装等の関連工事も発生する。つまり下水道整備がピークを超えたこれからが、長野県の建設業界は第二次の淘汰が始まるのではなかろうか。
3月8日の日経新聞1面で、都市部における公図のズレが大きいとする記事があった。
記事の詳細と解説については以下の「泥酔論説委員の日経の読み方」
http://www3.diary.ne.jp/user/329372/
の3月8日記事に詳細を譲るが、そこに指摘されている通り、現実には地籍測量がなかなか進捗していない。これは都市部としているが、山間部にしても事情は同じである。それを敢えて都市部と断っているのには理由がある。
それをこの記事では書き切れていないが、都市部ではとりわけ地価単価が高いことの他に、国土交通省が最近になって世界座標での共通基準点設置を全国の都市部人口密集地域で進めている。こうした基準点の整備により、これまでのローカルな座標系による土地境界でなく、普遍的な世界座標上での境界の位置づけを図ろうという趣旨だ。なぜそれを必要とするかといえば、境界確定作業において近隣のローカルな測地系同士が不整合のままぶつかるケースが多く生じていて、とりわけ土地単価が高い都会部で境界が決まりにくく、それがインフラ整備などの開発行為の足を引っ張り、記事にあるように六本木の開発で4年を要したとするような結果になっている。
今の日本において、いや奈良時代の墾田永年私財法や鎌倉時代の「一所懸命」の語源をみるまでもなく、土地は経済活動の大きな基礎になっている。
現在、地籍境界を確定するには、隣接者全員との立会いによる同意が必須になっている。その測量費用は普通でも数十万、個人レベルで気軽にできるものではなくなっている。本来であれば市町村主導の国土調査等による整理を待てばいいのだろうが、そうした地籍調査は予算がなかなかつかないため、これまた進捗は非常に遅い。普通の広さを持つ市町村において国土調査を行おうとする時、測量の総額だけで億単位の費用がかかるとされているので、市町村だけで取り組めるものでもない。
更に問題なのは、国土調査や土地改良・区画整理などによる調査をかつて行った場所においても、公図と現状が合致していないことが生じていることがある。測量技術の精度が変わったことや、測量の基準点が変化したことや、災害等で旧資料が損失してしまって復元できないこと、更には単純なヒューマンエラーなど、幾つかの理由がある。
これまでの公図は明治時代に作成されたものを参考資料として扱い、その後に順に整備を進めているが、なかなか進んでいないのが実状だ。豊臣秀吉が行った太閤検地のような、土地境界の確定作業をこれまで国策で進めてこなかったことのツケは小さくない。それにようやく国が本格的に取り組み始めたのがこの記事の内容である。折角の1面であるのだから、日経新聞にはそこまで踏み込んで記事にしてもらいたかったと思う。
これによると、長野県内の建設業は五輪特需の恩恵を未だ受け続けているそうだ。それでいて、除雪作業や兼業農家で生計をなんとか支えているという。
五輪特需のピークは平成7年頃とされ、オリンピック開催は平成10年のはじめであった。その特需が終わったのは10年以上前のことである。長野県は五輪特需の下支えで他で起こっていたバブル崩壊が3~5年遅れてやってきた。しかも五輪特需にわいたのは会場等が設営された県の北部方面だけであり、中部南部はその手伝い等で参加はしたが、特需の恩恵を蒙ったというには程遠い。むしろ北ばかり整備を進めて県内に格差が出るとして、南部の南箕輪村に子ども未来センター計画が立ち上がった経緯があるほどだ。県全体に投資されるべき予算の多くが五輪特需の時に北へ投資されただけであって、業界全体を潤わせた上に今に至るまでその貯金が残っているかのような論調は常識知らずの愚論である。
しかもここ数年は、入札制度改革に連動して起こった相次ぐダンピングで、県発注の公共工事は儲けにならないというのが定説化した。市町村においてもそれに追従する動向だ。
除雪作業についても実態を知らない者の愚昧な推論としか言いようが無い。道路管理者である国、県、市町村などは、確かに土建業者へ除雪を委託している。しかし、業者全体に行っているわけではなく、しかも除雪は勤務形態が不規則な上に人件費と材料費が主体なので業者にとってうまみが無いものとして知られており、入札制度改革の時にもそれが話題に出たことがある。なかなかなり手がいないので、道路管理者の方が頭を下げて除雪作業を依頼しているとする話すらある。
兼業農家説も、県内の田畑が耕作されないまま放置されている所が多い現状を見れば、調査をするまでもなく荒唐無稽なものだと分かる。
上記に示すように、この日銀松本支店レポートにある県内土建業に関する記載は県内土建業の環境や実態を知らない者の机上論としか言いようが無いほどの、まれに見る愚論である。仮にも日銀がこのようなレベルのものを公表して恥ずかしくないのだろうか。
とはいえ、同報告が指摘する、建設業者数がバブル期に比べて大きく減っていないのも一方では事実である。その理由はどこにあるのかと言えば、これだという答えは無いものの、幾つかの要素が考えられる。
建設業者自体が零細が多く、不況の波が影響するほど最初から儲けが多くないこと。大手がつぶれても小さい所が会社を興しているという点もあるので、数としては大きく変わっていないとする見方。
他業種へ手を広げていること。県が進めていた木こり推進は頓挫したが、建設業者はそれぞれの営業努力等により手を広げている。
大掛かりな施設災害が数年に一回の割合で各地に来ていたこと。これこそは特需に近く、やや弱い。
最近まで下水道整備の工事が県内各地で大々的に行われていたこと。長野県においては、前の前の吉村知事が県による下水道事業に消極的であったことから、流域下水道などの広域的なものを除き市町村が下水道整備の工事を行っている。そうした事情もあって長野県は元々下水道整備が遅れていて、ここ数年でようやく整備が完了した市町村が増えてきた。
これまで建設業界が大きな淘汰をされずにいたのは、実はこの下水道工事による下支えが一番大きな要素ではないかと思っている。工事自体は特殊な資格を要さず、工法の難易度は高くなく、それでいてそこそこの工期と工費を取り、道路の掘り返しを伴うため舗装等の関連工事も発生する。つまり下水道整備がピークを超えたこれからが、長野県の建設業界は第二次の淘汰が始まるのではなかろうか。
3月8日の日経新聞1面で、都市部における公図のズレが大きいとする記事があった。
記事の詳細と解説については以下の「泥酔論説委員の日経の読み方」
http://www3.diary.ne.jp/user/329372/
の3月8日記事に詳細を譲るが、そこに指摘されている通り、現実には地籍測量がなかなか進捗していない。これは都市部としているが、山間部にしても事情は同じである。それを敢えて都市部と断っているのには理由がある。
それをこの記事では書き切れていないが、都市部ではとりわけ地価単価が高いことの他に、国土交通省が最近になって世界座標での共通基準点設置を全国の都市部人口密集地域で進めている。こうした基準点の整備により、これまでのローカルな座標系による土地境界でなく、普遍的な世界座標上での境界の位置づけを図ろうという趣旨だ。なぜそれを必要とするかといえば、境界確定作業において近隣のローカルな測地系同士が不整合のままぶつかるケースが多く生じていて、とりわけ土地単価が高い都会部で境界が決まりにくく、それがインフラ整備などの開発行為の足を引っ張り、記事にあるように六本木の開発で4年を要したとするような結果になっている。
今の日本において、いや奈良時代の墾田永年私財法や鎌倉時代の「一所懸命」の語源をみるまでもなく、土地は経済活動の大きな基礎になっている。
現在、地籍境界を確定するには、隣接者全員との立会いによる同意が必須になっている。その測量費用は普通でも数十万、個人レベルで気軽にできるものではなくなっている。本来であれば市町村主導の国土調査等による整理を待てばいいのだろうが、そうした地籍調査は予算がなかなかつかないため、これまた進捗は非常に遅い。普通の広さを持つ市町村において国土調査を行おうとする時、測量の総額だけで億単位の費用がかかるとされているので、市町村だけで取り組めるものでもない。
更に問題なのは、国土調査や土地改良・区画整理などによる調査をかつて行った場所においても、公図と現状が合致していないことが生じていることがある。測量技術の精度が変わったことや、測量の基準点が変化したことや、災害等で旧資料が損失してしまって復元できないこと、更には単純なヒューマンエラーなど、幾つかの理由がある。
これまでの公図は明治時代に作成されたものを参考資料として扱い、その後に順に整備を進めているが、なかなか進んでいないのが実状だ。豊臣秀吉が行った太閤検地のような、土地境界の確定作業をこれまで国策で進めてこなかったことのツケは小さくない。それにようやく国が本格的に取り組み始めたのがこの記事の内容である。折角の1面であるのだから、日経新聞にはそこまで踏み込んで記事にしてもらいたかったと思う。