信州ななめよみ

長野県政をはじめ長野県に関することを思いつくままにつづるもの

日銀松本支店レポートと日経新聞記事

2007-03-10 14:10:54 | Weblog
日銀松本支店が長野の経済状況について公表した。3月7日の新聞に掲載されており、それを読んで悄然とした。
これによると、長野県内の建設業は五輪特需の恩恵を未だ受け続けているそうだ。それでいて、除雪作業や兼業農家で生計をなんとか支えているという。

五輪特需のピークは平成7年頃とされ、オリンピック開催は平成10年のはじめであった。その特需が終わったのは10年以上前のことである。長野県は五輪特需の下支えで他で起こっていたバブル崩壊が3~5年遅れてやってきた。しかも五輪特需にわいたのは会場等が設営された県の北部方面だけであり、中部南部はその手伝い等で参加はしたが、特需の恩恵を蒙ったというには程遠い。むしろ北ばかり整備を進めて県内に格差が出るとして、南部の南箕輪村に子ども未来センター計画が立ち上がった経緯があるほどだ。県全体に投資されるべき予算の多くが五輪特需の時に北へ投資されただけであって、業界全体を潤わせた上に今に至るまでその貯金が残っているかのような論調は常識知らずの愚論である。
しかもここ数年は、入札制度改革に連動して起こった相次ぐダンピングで、県発注の公共工事は儲けにならないというのが定説化した。市町村においてもそれに追従する動向だ。

除雪作業についても実態を知らない者の愚昧な推論としか言いようが無い。道路管理者である国、県、市町村などは、確かに土建業者へ除雪を委託している。しかし、業者全体に行っているわけではなく、しかも除雪は勤務形態が不規則な上に人件費と材料費が主体なので業者にとってうまみが無いものとして知られており、入札制度改革の時にもそれが話題に出たことがある。なかなかなり手がいないので、道路管理者の方が頭を下げて除雪作業を依頼しているとする話すらある。
兼業農家説も、県内の田畑が耕作されないまま放置されている所が多い現状を見れば、調査をするまでもなく荒唐無稽なものだと分かる。

上記に示すように、この日銀松本支店レポートにある県内土建業に関する記載は県内土建業の環境や実態を知らない者の机上論としか言いようが無いほどの、まれに見る愚論である。仮にも日銀がこのようなレベルのものを公表して恥ずかしくないのだろうか。

とはいえ、同報告が指摘する、建設業者数がバブル期に比べて大きく減っていないのも一方では事実である。その理由はどこにあるのかと言えば、これだという答えは無いものの、幾つかの要素が考えられる。
建設業者自体が零細が多く、不況の波が影響するほど最初から儲けが多くないこと。大手がつぶれても小さい所が会社を興しているという点もあるので、数としては大きく変わっていないとする見方。
他業種へ手を広げていること。県が進めていた木こり推進は頓挫したが、建設業者はそれぞれの営業努力等により手を広げている。
大掛かりな施設災害が数年に一回の割合で各地に来ていたこと。これこそは特需に近く、やや弱い。
最近まで下水道整備の工事が県内各地で大々的に行われていたこと。長野県においては、前の前の吉村知事が県による下水道事業に消極的であったことから、流域下水道などの広域的なものを除き市町村が下水道整備の工事を行っている。そうした事情もあって長野県は元々下水道整備が遅れていて、ここ数年でようやく整備が完了した市町村が増えてきた。
これまで建設業界が大きな淘汰をされずにいたのは、実はこの下水道工事による下支えが一番大きな要素ではないかと思っている。工事自体は特殊な資格を要さず、工法の難易度は高くなく、それでいてそこそこの工期と工費を取り、道路の掘り返しを伴うため舗装等の関連工事も発生する。つまり下水道整備がピークを超えたこれからが、長野県の建設業界は第二次の淘汰が始まるのではなかろうか。


3月8日の日経新聞1面で、都市部における公図のズレが大きいとする記事があった。
記事の詳細と解説については以下の「泥酔論説委員の日経の読み方」
http://www3.diary.ne.jp/user/329372/
の3月8日記事に詳細を譲るが、そこに指摘されている通り、現実には地籍測量がなかなか進捗していない。これは都市部としているが、山間部にしても事情は同じである。それを敢えて都市部と断っているのには理由がある。
それをこの記事では書き切れていないが、都市部ではとりわけ地価単価が高いことの他に、国土交通省が最近になって世界座標での共通基準点設置を全国の都市部人口密集地域で進めている。こうした基準点の整備により、これまでのローカルな座標系による土地境界でなく、普遍的な世界座標上での境界の位置づけを図ろうという趣旨だ。なぜそれを必要とするかといえば、境界確定作業において近隣のローカルな測地系同士が不整合のままぶつかるケースが多く生じていて、とりわけ土地単価が高い都会部で境界が決まりにくく、それがインフラ整備などの開発行為の足を引っ張り、記事にあるように六本木の開発で4年を要したとするような結果になっている。

今の日本において、いや奈良時代の墾田永年私財法や鎌倉時代の「一所懸命」の語源をみるまでもなく、土地は経済活動の大きな基礎になっている。
現在、地籍境界を確定するには、隣接者全員との立会いによる同意が必須になっている。その測量費用は普通でも数十万、個人レベルで気軽にできるものではなくなっている。本来であれば市町村主導の国土調査等による整理を待てばいいのだろうが、そうした地籍調査は予算がなかなかつかないため、これまた進捗は非常に遅い。普通の広さを持つ市町村において国土調査を行おうとする時、測量の総額だけで億単位の費用がかかるとされているので、市町村だけで取り組めるものでもない。
更に問題なのは、国土調査や土地改良・区画整理などによる調査をかつて行った場所においても、公図と現状が合致していないことが生じていることがある。測量技術の精度が変わったことや、測量の基準点が変化したことや、災害等で旧資料が損失してしまって復元できないこと、更には単純なヒューマンエラーなど、幾つかの理由がある。
これまでの公図は明治時代に作成されたものを参考資料として扱い、その後に順に整備を進めているが、なかなか進んでいないのが実状だ。豊臣秀吉が行った太閤検地のような、土地境界の確定作業をこれまで国策で進めてこなかったことのツケは小さくない。それにようやく国が本格的に取り組み始めたのがこの記事の内容である。折角の1面であるのだから、日経新聞にはそこまで踏み込んで記事にしてもらいたかったと思う。

彷徨う信濃毎日新聞

2007-03-10 11:36:34 | Weblog
信濃毎日新聞で都市計画税のことが記事になっていた。
http://www.shinmai.co.jp/news/20070304/KT070303GAI090013000022.htm

正直な感想としては、この記事が訴えたいことがわからない。
都市計画区域の考え方や税金についての事実はその記事に引用されている関係者の説明どおりであるし、事実と愚痴を並べている以外の何もない。都市計画区域のことを広く知らせるようにと都市計画の関係者に頼まれたのかというくらいである。
あるいは何らかの意図があって、都市計画税を口実として、市町村合併へのアンチテーゼとして提示したかっただけなのか。
しかし、都市計画区域とそうでない場所が設定されているのは合併の有無に関係のないことであって、同記事の解説には無いものの、一般には都市計画区域と行政境とが一致しないのが当たり前である。同一市町村において都市計画税を負担している住民と負担していない住民がいるのは珍しいことでもなく、むしろ都市計画法の趣旨からいえば、山あいの平地が無い或いは少ない地域が都市計画区域に指定されていることのほうが合理性に欠けている。

信濃毎日新聞は長野県を代表する地方紙であり、県内で60万以上の発行部数を誇っていて他を圧している。一方で、同記者の取材姿勢や記事への批判が出ることが多い。掘り下げた事情を知っているくせに一部関係者に媚びて表面的なことしか記事にしないとか、記者の態度が傲慢であるとか、他の新聞と違って取材に来ないで後から電話をかけてきて電話応答だけで記事を書くとか、果ては取材された側が言ってもいないことをでっち上げて記事にするとする批判も時々出てくる。
田中康夫知事不信任が出るまでは、特にそれがひどく、2003年秋に信濃毎日新聞が田中康夫知事と対立の様相を見せ始めてからは、今度は田中康夫知事とその支持者による信濃毎日新聞攻撃が目につくようになり、信濃毎日新聞のそうした態度は下火傾向になっていた。

問題になったものとしては、5年ほど前の入札に関する信濃毎日新聞の同額落札に関する記事で、当時の県庁担当者が言ってもいないことを言った、そして測量会社関係者が誰も言っていないことが同測量会社の関係者が述べたコメントとして記事になっているのはおかしいとして、関係者が厳重抗議をしたことがある。
後で聞いた話によると、この時は測量会社が弁護士を入れて、この記事に関わっていないとする全社員の誓約書を取り付けて時の田中康夫記事に提出し、合わせて信濃毎日新聞を訴える準備をしていたという。この時は信濃毎日新聞側が五十嵐敬喜教授の「神業」発言などを持ち出すなど連日の特集記事で印象操作につとめるものの、抗議への反論反証をすることができず、それを表面化させないまま、少し間をおいた後に同測量会社社長の対談記事を載せてお茶を濁して終わらせた。あの時、なぜこの対談記事が載っているのだろうと疑問に思ったものの、後日その事情を知って合点した覚えがある。一時は告訴をしようとしたとされるくらいだから、裏では相当な駆け引きがあったのだろう。
この時、言ってもいないことを記事にされたとする県の担当者は、関係機関に信濃毎日新聞記事は虚偽であるという趣旨のファックスを送信していたとされている。この担当者の名前は実は知られているのだが、ここではあえて伏せておく。
この顛末は、当時のヤフー掲示板にも掲載され、県政ウォッチャーの間では当時から比較的知られていた。

上記例示以外にも幾つかの事例がある。同社の新人記者が書く記事にこうした事実関係と関連事項を調べないまま記事にしてしまうというパターンが多く、いったん記事にしてしまえば、よほどのことが無い限り信濃毎日新聞は抗議をしても訂正記事を出すことがない。
詳細を書かないが、信濃毎日新聞があまり調べもせずに記事を書いたがために、県や市町村の担当者が掲載された記事に関する大掛かりな調査を行わされる羽目になり、よくよく聞いてみれば新人記者が書いたその記事自体が関係者への取材内容を裏取りしないまま勝手に膨らませて誇張して書かれていて、それが後日になって分かって関係者を激怒させたとする話は複数知っている。

やはりこれは、信濃毎日新聞が売り上げ部数で圧倒的な強さを持っている故の傲慢さと緊張感欠如が出ているのではないかと思う。強力なライバルが存在していれば、記事自体にもっと緊張感が生じるだろう。とはいえ、売り上げ数だけを見ても、他の県内地方紙や、全国区の中日新聞や読売新聞は遠く及ばない。今のまま信濃毎日新聞の圧倒的優位状態を続けることは県民にとっても信濃毎日新聞にとっても不幸である。
とはいえ市井の者には現実として如何ともしがたい。憂慮すべきことであるゆえに歯痒さばかりを感じる。