きみたちの未来

「私一人ぐらい…」という考えはやめよう。それを世界中の人がすれば、一発で地球はだめになる。坪田愛華ちゃんの語録から

太っ腹のすすめ02

2006-05-29 22:05:45 | 爺さんの辻説法

 人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。
 しかも一瞬早過ぎず、一瞬遅すぎない時に―。 「全一学」創始者:森 信三

 京都・桃山南口のヨーガアシラム(道場)で、佐保田鶴治先生からヨーガの手ほどきを受け「心身一如」の教えを学んでいた。ある日、道友の女性から「静岡の三島に、沖ヨガ道場がある・・・」と声をかけられたが、仕事が忙しくなりヨーガアシラムをいつしか自然退会してしまった。

 昭和55年(1980年)5月、人事異動で職場が変わり時間的にも少しゆとりができたのでヨーガを再開しようかと思ったが、ふと三島の沖ヨガのことを思い出して、三島市沢地の求道実行会密教ヨガ修道場へ入門した。玄関の正面には『生命即神』と墨書された軸がかかっており、受付を済ますと新規入会者への面接が始まった。入会の動機や目的を聞かれ、「軟弱な心身を鍛えて強くなりたい。それと先生の名前が自分と同じ正弘なのでこれも何かのご縁と思いました」と答えると、「それがどうしたっ」と一喝されて沖 正弘導師との面接が終わった。

 研修は講義と行法(修正法・強化法・呼吸法・冥想行法など)が交互にあり、夜はレポートを書きあわただしい一日がアッという間に過ぎてしまう、毎日がそのくり返しであった。かくして四泊五日の研修生活が過ぎる頃には、身体も心も軽くなり、体力気力ともに充実した自分に変わっていた。それ以来、61年まで毎年5月の連休は、沖ヨガ修道場へ行くことが年中行事となった。

 今、当時に受けた講義の内容を詳細には覚えていないが、特に印象に残っているのは、
 『生命即神』ということである。つまり、神とは生命であり、自己自身の中に神を見出し、すべての人と物事に神を見、神ありと感じ、行じること、この境地が「即身成仏」であり、沖ヨガの目指すところである・・・。
 『適者生存』ということ。自然界は適者生存という法則があり、環境の変化に対して適応性が高く、柔軟性が高くなければ生きていけない。暑ければ暑いで、寒ければ寒いで、どんな刺激や変化に対しても調和できる状態が、真の「体力」である。
 『日々の生活がヨガである』ということ。仕事でもスポーツをするときでも、姿勢(身がまえ)と呼吸と心(心構え)を一つにすることである。身体の中心は丹田にあり、心は不動心であり、深い呼吸(腹式呼吸)をする。この三つがあらゆることの基本原則である。

 もちろん、当時これらの行法哲学がストンと心に入ったわけではなく、学んでいよいよ迷うことも多く紆余曲折(ウヨキョクセツ)の日々であった。しかし、「 信ずるな、疑うな、確かめよ 」という沖導師の言葉のとおり、何ごとも体験である、体験である、体験は頭の学(知識)を、全身の学(智慧)にしてくれるものである。ある日、沖導師と道場ですれ違ったとき、「 足で歩くなっ! 」 ときびしく声をかけられた。それ以来、この謎のコトバ 「足で歩くな」は、禅の公案のように解を見出せないまま年月が流れていった。《未 完》

             あなたの愛で“自然”をまもろう  G3:橘 正弘

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