今年も暮れる。クリスマスを過ぎると、一日が駆け足で去っていくようだ。あれもしたい、これもやらなければと思いながらいらずらに時が過ぎていく。この時期になると一日が36時間であればいいのになぁ、と毎年思っている。冬至が過ぎて五日目、気のせいか日脚が少し長くなったようだ、と気づけることはまだ心のゆとりあるんだと自らを励ましながら、今年も暮れる。
そろそろ「私の十大ニュース」を取りまとめなければと . . . 本文を読む
じぶん へのクリスマス プレゼントに五木寛之・稲盛和夫『何のために生きるか』(致知出版)を贈った。圧巻は、“第五章 人生の転機から見えてきた「生き方」” で、二人が青春時代に遭遇した波乱万丈の経験がいのちの根っこにあり、その後の人生観、人間観になっているように思った。
「下手な解説、休むに似たり」 だから詳しくはふれないが、“こころを開いて読めば、心の眼が開く”ということで、年末年始の休み . . . 本文を読む
きのうの降り積もった歩道の雪が、踏みつけられてアイスバーン状になっていた。歩行者、とくにお年寄りの方が滑らないように難渋されており、スコップと箒で雪というより氷を路面から剥がしにかかった。わずか20メートルぐらいの距離だから半時間ほどで片付くと思ったが、まるでカンナで削るようにしなければ取り除けない。結局、2時間近くかかってしまった。通り過ぎる人から「ご苦労さん、ありがとう」と声をかけられ、そ . . . 本文を読む
朝、起きてみるとここは雪国だった。冬至の日にふさわしく、ここ京都の南部にも雪が降り積もり、白一色に包まれていた。終業式に向かう子どもたちの色とりどりの長靴が鮮やかだった。久しぶりの雪景色に幼心がよみがえり、下駄履きで散歩に出かけた。いくらも歩かないうちに下駄の歯の間に雪が詰まり、高下駄のようになって歩けなくなってしまう。なつかしい感触だ。
温暖化が進み、いつかこんな光景が人の記憶のかなたに . . . 本文を読む
師走の京都の風物詩、終い弘法の日である。弘法大師が高野山へ入山する前に過ごした東寺(教王護国寺)の境内では、毎月21日に縁日が開かれる。特に師走、12月21日は「終い弘法」として、広い境内にさまざまな露店、骨董品を並べる古道具屋、古着屋、植木屋などが店を開き、大勢の参詣客が興味のある店に立ち寄り、店主と値切り合戦を演じたりしてスーパーやデパートでは見られない光景が繰り広げられる。近年、外国人も . . . 本文を読む