きみたちの未来

「私一人ぐらい…」という考えはやめよう。それを世界中の人がすれば、一発で地球はだめになる。坪田愛華ちゃんの語録から

続々、太っ腹ということ

2006-05-19 06:18:52 | 爺さんの辻説法

 太っ腹を広辞苑で引いてみると、「太腹(フトッパラ)」 ①腹の大きく肥大していること。 ②胆(キモ)のふといこと。度量の大きいこと。 と二つの意味あることがわかる。
 
 世間一般では、太っ腹という人間を腹の大きく肥大しているタイプ、つまりビール樽腹の人物を指しているのが普通である。確かに彼らがダブルのスーツを着こなし、ソファにでもゆったりと座っていると貫禄があり、恰幅のいい大人物のようには見える。だが、本当にそうだろうか。 いま世間を騒がせている耐震偽装事件の関係者などは共通して雄弁であり、堂々とした風格・キャラクターとバイタリティの持ち主ではあるが、決して彼らは胆(キモ)が太く、度量が大きい「太っ腹」な人物ではない。いや、むしろ逆の目先、小手先だけの事業繁栄を目指し、「動機善なりや、私心なかりしか」と高所大所に立った大局的な判断力がない小人物である。彼らが、ビール樽腹かどうかはわからないが、決して真の太っ腹(ひさご腹)でないことは確かである。

 『太っ腹ということ』(06/5/16)で紹介した「釈尊の呼吸法」や「丹田呼吸法」などの著者・村木 弘昌氏は、師と仰ぐ藤田霊斎(“息心調和法”の創始者)の言葉を引用してひさご腹の随伴的功徳、丹田呼吸の真の醍醐味を次のように述べている。
 この宇宙には、大健の徳・大剛の徳・大明の徳・大育の徳という四つの徳性がある。この大宇宙に対して人間を小宇宙とするならば、人間にも同様な四つの徳性がある。つまり、健康・剛勇・叡智(エイチ)・至誠がそれである。

大健の徳: 人間に対して自然治癒力となり、自然療能力となって病気を治し、健康を維持する力となる。
大剛の徳: 剛勇の徳性は毅然(キゼン)として悪をしりぞけ、善に還り、自己の是なりと信ずる道を勇往邁進(ユウオウマイシン)する実行力となる。つまり何ものにも左右されない強い意志力である。
大明の徳: 人間においては叡智の徳となる。この叡智によって、私どもは一切の現象を支配するところの道理を洞察し、芸術の秘奥を体得し、幽玄なる宇宙の真理・人生の根本義を達観して自己の真面目(シンメンモク)・真骨頂(シンコッチョウ)を悟得することができるのである。叡智とは、腹の底から生まれた直覚智(実相覚)にほかならない。
大育の徳: 人間に移して至誠の徳となるものである。至誠は人類最高の徳で、私どもが純真無私、神の如き境地に至ったときに現れる心境である。この徳性が高められていくときは、我と他とのあいだに隔たりがなくなり、王陽明のいわゆる「万物一体」の境地になるという。この心こそ釈迦の慈悲であり、キリストの愛であり、孔子の仁にほかならない。
  佐保田鶴治・佐藤幸治共著『静座のすすめ』(創元社刊)
 最後の「大育の徳」には容易に到達し得ないかもしれないが、この世に人間と生まれたからには、せめて「大健・大剛・大明」の三つの徳性を自分のものとしたいものだ。それこそが真の生きがいであり、真の「太っ腹」人間としていつでも、どんな時にも泰然自若(タイゼンジジャク)として、人生の讃歌を高らかに歌い上げることができるであろう。  《未 完》
 
 あなたの愛で“自然”をまもろう  G3:橘 正弘

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