SPANK HAPPY - 子供達はロシアで遊ぶ 〜 資本主義は未だ有効である
Hannah Peel - Tainted Love (Türkçe) - AHS [Cover]
Debussy: Clair de Lune, London Symphony Orchestra, Stanley Black, HD
《南風歌》Li Fengyun (guqin), Wang Jianxin (xun)
南風歌
2018-07-08 | 文学
南風の薫ぜる
以てわが民のいかりを解くべし
南風の時なる
以てわが民の財を阜にすべし
舜の作
意訳:香りくる南の風は、和らげん民の心を、
時もよし南の風は、いやまさん民の財を。
現代において
堯、舜、禹
すなわち三皇五帝が
再現するだろう。
高橋記
以てわが民のいかりを解くべし
南風の時なる
以てわが民の財を阜にすべし
舜の作
意訳:香りくる南の風は、和らげん民の心を、
時もよし南の風は、いやまさん民の財を。
現代において
堯、舜、禹
すなわち三皇五帝が
再現するだろう。
高橋記
I'll See You In My Dreams / Gypsy Jazz - LBM Feat. Irene Serra
私は
愛国者であるが
近代ナショナリズム
民族、国家を絶対となす説
には
全く賛同しない。
よって
日本の不可謬性への信仰はないし
大東亜戦争をアジア解放の聖戦とは
思わない。
今般の
ロシア、サッカーワールドカップにおける
日本チームの活躍によって
各人のスポーツ観や
ナショナリスティックなスタンスが
露わになった。
まず
日本とポーランドの試合ほど
各人のスポーツ観や価値観が
判然となったテーマはない。
もし
肉体一元論の
唯物論者ならば
スポーツのパフォーマンスと
勝敗結果が
全てとなる。
しかし
私は
霊魂と肉体の二つの実体が
実体的な合一を以て
人間と理解しており(伝統的形而上学)、
スポーツが全てではない。
同様に
肉体労働が
文化活動に優越することはない。
また
スポーツと
戦争、
政治、
事業の
戦略の類似性を指摘する方もいるが
それは
的はずれである。
五丈原の戦いで
兵を動かさない司馬懿氏の柔佞な策と
日本とポーランド戦のサッカーにおける
時間稼ぎの
おもしない戦略は
全く次元の異なる現象である。
戦を
戦わずして勝ち
奇策で
短期決戦にするのは
死傷者を減らすためだ。
スポーツ観戦は
エンターテイメント業
リクリエイション
娯楽の一部であり
楽しいか否かが事業成果である。
もし
コーナーキックが
こうだったらとか
守備の誰が
ミスしたからとか
そんな事はどうでも良い
仮説、推論に過ぎず
予定説でない
不可知な未来を楽しむのが
サッカーの醍醐味ではないか。
日本とポーランド戦の
各国の批判的な論評は
批判ではなく
愛情と期待の裏返しであり
世界が日本チームに期待していたのは
真面目で
一生懸命な感じ
だったのだ。
日本のナショナリスティックなスタンスの論者は
外国の論評に
過剰反応し
排除と反批判に終始した。
その的はずれな狭量と
過剰な防衛機制は
日本のナショナリズムの
愚かな本質を
明らかにしたのである。
日本という国家や
国歌を愛することと
それを
神格化し
絶対化することは
全く
次元が異なる。
神は既に
絶対性や遍在性といった本質的な属性を有しており
地上の国が
その特徴を帯びる必要などないのである。
おわり
高橋記(コラムニスト)
愛国者であるが
近代ナショナリズム
民族、国家を絶対となす説
には
全く賛同しない。
よって
日本の不可謬性への信仰はないし
大東亜戦争をアジア解放の聖戦とは
思わない。
今般の
ロシア、サッカーワールドカップにおける
日本チームの活躍によって
各人のスポーツ観や
ナショナリスティックなスタンスが
露わになった。
まず
日本とポーランドの試合ほど
各人のスポーツ観や価値観が
判然となったテーマはない。
もし
肉体一元論の
唯物論者ならば
スポーツのパフォーマンスと
勝敗結果が
全てとなる。
しかし
私は
霊魂と肉体の二つの実体が
実体的な合一を以て
人間と理解しており(伝統的形而上学)、
スポーツが全てではない。
同様に
肉体労働が
文化活動に優越することはない。
また
スポーツと
戦争、
政治、
事業の
戦略の類似性を指摘する方もいるが
それは
的はずれである。
五丈原の戦いで
兵を動かさない司馬懿氏の柔佞な策と
日本とポーランド戦のサッカーにおける
時間稼ぎの
おもしない戦略は
全く次元の異なる現象である。
戦を
戦わずして勝ち
奇策で
短期決戦にするのは
死傷者を減らすためだ。
スポーツ観戦は
エンターテイメント業
リクリエイション
娯楽の一部であり
楽しいか否かが事業成果である。
もし
コーナーキックが
こうだったらとか
守備の誰が
ミスしたからとか
そんな事はどうでも良い
仮説、推論に過ぎず
予定説でない
不可知な未来を楽しむのが
サッカーの醍醐味ではないか。
日本とポーランド戦の
各国の批判的な論評は
批判ではなく
愛情と期待の裏返しであり
世界が日本チームに期待していたのは
真面目で
一生懸命な感じ
だったのだ。
日本のナショナリスティックなスタンスの論者は
外国の論評に
過剰反応し
排除と反批判に終始した。
その的はずれな狭量と
過剰な防衛機制は
日本のナショナリズムの
愚かな本質を
明らかにしたのである。
日本という国家や
国歌を愛することと
それを
神格化し
絶対化することは
全く
次元が異なる。
神は既に
絶対性や遍在性といった本質的な属性を有しており
地上の国が
その特徴を帯びる必要などないのである。
おわり
高橋記(コラムニスト)
Whisper of the Heart - Mimi wo Sumaseba - Country Roads - Yoko Honna - Japanese