NPO法人 地域福祉協会

清掃事業  森林事業(植栽・剪定)

活動の記録。

2020-10-26 | 報告
日時:10月26日
内容:草刈り(富山市お客様駐車場)。清掃(経田駅前トイレ)。地域ケア推進事業。


感想:
世の終わりに
超自然的な救済があるならば
おそらく
個々人の宗教が何であるかは
救いには関係ないであろう。



なんとなれば
「あなたのことは知りませんが」
という人が救われる
と聖書に書いてあるからである(別に布教を始めた訳ではなく、宗教社会学的な論です)。




しかし
救済とは
あくまで神仏のわざであり

世俗的な地上の国で
人間が実現するものではない。



よって
キリスト教社会主義
解放の神学
一部のラディカルなイスラムやユダヤの政治的な宗教団体は
謬説の流布をしている。



神風連も
本来は学究団体であったに相違ないし

頭山満も
テロや行動右翼的な短慮と激情からは
距離を置いていた。



すなわち
吉田松陰や三島由紀夫の
激情とお上への不従順

今日の非合法な過激派と何ら変わるところがないそれは

宗教の世俗的解釈の
典型であり
他山の石とすべき
教訓を含んでいる。



つまり
この世における
世俗的幸せは
殆んどの宗教では
約束されていない。


自らの十字架を背負って私に従えであり
四苦八苦の果ての涅槃である。



今般のコロナ禍と
それによる社会の変革にも関わらず

いまだに
不自然な幸せ感を醸し出そうとやっきになる様は
ある意味で宗教の世俗化と
規を一にする。



この世で
プラトンの理想や
キリストの理想を
人為的に実現しようと焦る人々。

マルクスや
アダム·ヴァイスハウプト
ベルンシュタイン。

テロと戦争が
あたかも最後の審判であるかの如く
振る舞った
世界大戦の首魁。


それらの人々に通底する
この世の不幸感。


三島由紀夫は
戦後も作家として
不幸で不条理な生を全うすべきであった。


たとえ
日本が天皇親政となり
英邁な名君を戴いたとしても

現世における
民百姓の懊悩と不幸は
続くであろう。


すなわち
救いについての
神学的、社会学的な論究は

現下の社会情況においても
有効なのである。



おわり




高橋記(理論武装、始めました⛷️)。