日ユ同祖論 稲荷神社 「居皆亭(いるみなてい)」Vol.17 久保有政 3/6
私は
五島勉氏の
ノストラダムスの大予言Ⅱ
を読んで
文明論
終末論
ユダヤ人と世界の関係に目覚めた。
その後
宇野正美氏のユダヤが解るとシリーズを
経て世界観をまとめた。
生業として真言宗のお坊さんになろうとしたが
家族の反対にあい頓挫し
浄土宗の大学に行き
結局
伴天連(カトリック)になった。
ユダヤ人の歴史や聖人伝のリアリティーと
自分のでたらめな人生からくる聖なるものへの渇望が
そうさせたのであろう。
ときに
今日の日本は行き詰まり
真実への渇望が強まっているようだ。
そのなかで
個人的にも社会的にも
日本の皇室への関心が強まっている。
日本の皇室の未来を考えるにあたり
その歴史に遡及せねばならぬ。
日本の皇室の始源として
ユダヤ人(イスラエル人)の失われた10支族の一部が
日本に渡来し
王権を有したとする説がある(日ユ同祖論)。
実は
私は今まで
その説をだら(あほ)にし
視野から外していた。
しかし
最近見直し始めて
やはり
古代の王権や秦氏には
何かあると思いなおしている。
ただ
注意が必要なのは
各論者の最終的な結論である。
右翼国粋主義もしくは
天皇絶対王制を唱える人や
宗教の布教に帰着する人が大半で
純粋な基礎研究になっていない。
結局
日本の近代右翼は
神道系新興宗教そのもので
その結論は
日本と天皇制原理の至上性を唱えることになる。
また
プロテスタントの一部では
日本の神社神道や皇室が
ユダヤ教や原始キリスト教と親和性を持つことを指摘し
布教活動をしている。
つまり
合目的的な論考であり
恣意的な論究である。
では
私はどうかといえば
私も
合目的的で恣意的な論究である。
ただし
目的の純粋さと崇高さには自信がある。
つまり
私が日ユ同祖論に興味を持ち
日本の王権の始源を論究するのは
聖なるものの被差別者への転落の経緯を明らかにし
推古天皇的な平和な元首としての天皇陛下を戴き
ユダヤ人、同和問題、芸能人、ハンディ者の差別問題
を解決するためである。
私は
昔から布教活動というもの(信徒使徒職)には
向いていない。
何となれば
宗教は私的なもので
多様な嗜好があるだけだし
押し付けがましいあり方は
嫌だからだ(だからNPO法人)。
よって
各人が各様な宗教的な信心や唯物論や無神論を
持って生きればよいのである。
とにかく
田中英道氏の最後の結論
ムー民の結論
某派キリスト教の教義と実践
天津教の結論に
フォーカスすれば
無駄な時間を費やすことは
なくなるであろう。
おわり
高橋記
Tchaikovsky - "Waltz of the Flowers" (Nutcracker)
田中英道「秦氏とユダヤ人の埴輪」第60回・日本国史学会連続講演・10月13日拓殖大学